平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第17回は山田航大(体育4・東邦)と山辺丈瑠(体育4・船橋東)です!
是非ご覧ください!
こんにちは。
筑波大学4年外野手(元内野手)山田航大です。
ラストブログの投稿の順番的に飽きてもう読まない人が出てきている頃でしょう。
正直、投稿のトップバッターやフィニッシュを務める主将とヘッドよりもハードルが下がっていて気が楽です。
中学まで成績優秀だった文章力で想いを綴ろうと思います。
野球しかしてこなかった人生、17年間共にしてきた野球ともラストシーズンでお別れとなり、寂しい気持ちでいっぱいです。
これまでいろいろなチームで野球をやってきた思い出を振り返っても野球をやってきてよかったと思います。
そう思えたのも、全て環境、特に人に恵まれていたからです。
指導者、同期、先輩後輩のみなさんお世話になりました。ありがとうございました。
こんなにも多くの人との関係を持たせてくれる野球は最高でした。
そして、家族
こんな末っ子わがままな自分をここまで育ててくれてありがとう。
兄は、高校大学受験時期でも練習を手伝ってくれたり、両親は、小学中学では片道30~45分かかるクラブチームに送り迎え、高校大学と県外で野球をする決断に一度も嫌な顔を自分に見せることなく送り出してくれました。(思い出はまだまだありますが、文章が長くなってしますのでまた直接言えたら言います。多分言えませんが、、、)
野球を続けていくほど、自分の中で家族への感謝の気持ちが大きくなっています。
心配性な母、弟好きな兄、父、たくさん迷惑と心配をかけてごめんなさい。
家族のおかげでここまで野球を続けてこられて幸せでした。ありがとう。
17年という長い野球人生を振り返るといい思い出、悪い思い出がたくさんあり、「よくここまで続けた」と自分で褒めてやりたいです。
兄の影響で5歳の頃から野球を始め、なぜ野球を始めたのか、続けているのか、細かなきっかけは記憶にありません。
気づいたときにはボールとバットを持っていて少年野球チームで練習をしていました。
小学中学時代、うまくいくことが大半で選抜や代表にも選ばれたりしていたことから正直にプロ野球選手になれると思っていました。
そんな中、高校入学してすぐにプロ野球は無理だと感じさせられました。
プロになる人の打球はすぐにボールが遠くに消えていき、時には150m弾のバックスクリーン越えのホームランを見せつけられます。
世界が違います。
高いレベルで野球がしたいという理由で愛知県の東邦高校を選び入学しましたが、初日の練習から技術、体力、精神のなにもかもが予想をはるかに超え、高校を間違えたと思いました。
食らいつく毎日でしたが、1年生の8月に左肩脱臼の手術を行い、秋の大会はただ応援するだけで、甲子園が決まった試合(成沢さんのどん詰まりサヨナラ打)の勝利は喜びと悔しさが入り混じっていました。
そこから、リハビリ生活では、甲子園のベンチ入りを目標にしていたことから片手でバッティング練習に入ったり、沖縄の修学旅行も行かず(インフルエンザ)先輩と居残り無理にでも練習をした覚えがあります。
その努力が実ったのか、運が良かったのかわかりませんが、甲子園優勝という貴重な経験をさせていただきました。
人生最大の出来事すぎて今でも嘘のようです。
当時のことは緊張で9割は覚えていませんが、「甲子園優勝すごいね」と褒められるたび、スカして「たまたま」と言うようにしています。
実は、すごく気分がいいのでもっともっと言ってください。
そして、大学時代、
どんなにつらくても純粋に野球が好きだった気持ちが、推薦のプレッシャーや期待、思うような結果が出ないことに押しつぶされ、病んだ時期、野球を嫌いになった時期、自分を嫌いになった時期、そんなマイナスな時間が多く流れ、この4年間は個人的にはすごく長く感じました。
その中でも、可愛がっていただいた先輩方といるときは心の支えになったし、当たり前のように一緒に生活してきた同期がいたことでここまでやってこれたと思います。
特に、4年の6、7月にB、Cチームでの活動で慕ってくれる後輩たちができたことは自分の中ですごく大きいものになってます。ありがとう。
先輩も同期もラストブログに大学時代が一番苦しかったと書いている人が多いと思います。
人それぞれの苦しさがある中でそういう思いをしてきた人が多いからこそ筑波大野球部の強さに繋がっているのではないでしょうか。
自分は、大学で経験したつらさ、苦しさは今となっては貴重な経験だったと胸を張って言えます。
いろいろな経験、出会いに触れることができる野球に出会えてよかったです。
最後のシーズン、「優勝」で終えましょう。
体育専門学群4年 山田航大
東邦高等学校
「プライドを捨て、恥をさらすこと」
平素からお世話になっております、筑波大学硬式野球部4年、総局長の山辺丈瑠です。
いつも弊部に温かいご支援をしていただきありがとうございます。
今私はCチームのサポートとして活動しながらこのラストシーズを迎えようとしています。
書こう書こうと思ってもペンが進まず、書いては消したりとそんなことばかりを繰り返していたら、いつしか前日になっていました。森本ごめん🙏
ちなみに本日は、山田と山辺の2本立てでお送りしております。
センバツを優勝した経験を持つ航大の素晴らしいブログを読んで満足している方、まだ余力がありましたこの先をお読みください。
先に言っておきますが、少しばかり私の文章は長いです。
ちなみにこの先一生使わない情報を一つ。
航大とは学年で唯一木村さんという同じ美容師さんに髪を切ってもらってます。(結構最近知りました笑)木村さんには4年間で沢山お世話になり、かっちょいい髪型にしてもらえたり、航大、先輩との仲を深めてもらえました。
普段話す内容と言えばしょうもないことが9割ですが、私にとって居心地の良い場所にもなってます。引退後はパーマとカラーお願いしますね、楽しみにしてます🤲
余談はさておき、15年間続けてきた野球生活があと2か月で終わろうとしています。
喜びも苦しみも全て野球が教えてくれました。
まず一番初めに両親にお礼を言わせてください。
「本当にありがとうございました」
ご存知の通りシャイな性格なので、ありがとうの言葉を直接言えるには時間がかかるかもしれませんが、その点はごめんなさい。
小学生の頃、家の前の花園で毎朝Tバッティングに付き合ってくれた母親。
どんな場所でも車で、笑顔で球場への送り迎えをしてくれた父親。
母親の手料理は、1人暮らしをすると世界一美味しいとわかり、免許をとって初めて父親の運転の安心さに気が付きました。
どんな日でも私のために時間を使ってくれて本当にありがとうございました。
そして姉、家のお金を多く使ってごめんなさい。
お金食い虫はようやく卒業できそうなので、来年からは15年間分一生懸命恩返しをします。
落ち着いたら約10年ぶりの家族旅行もしましょう。
さて私の野球人生ですが、かの有名な最強磯辺シャークスから幕を開けます。
たまたま見学に行ったのがシャークスで本当によかったです。
小学生ではマクドナルド杯に出場。
神宮球場で鼻血を出しながら打席に立ちヒットを打った良い思い出もあります。
中学時代も、2016年度千葉で知らない者はいないであろう磯辺中野球部に所属。
毎練習後みんなと砂浜で走ったこと、砂浜が嫌でバスを何本も遅らせて遠征から帰宅したこと、千葉では一度も負けなかったこと、なんといっても春と夏全国大会に出てベスト8に進出できたことは将来パパになっても話します。
それもこれも全て小池監督という私に野球を教えてくれた恩師のおかげであり、今続けられているのも小中の環境のおかげです。
また花園グランドに遊びに行きます!
高校時代は、船橋東高校で野球に全力を注ぎます。
片道15キロの道のりを自転車で1時間通い、朝自主練も行い、毎日5合のお米も食べました。
勉強は散々ですが、野球はとても打ち込んだと心の底から言えます。
でも当時の自分は、あまり周りが見えてないことも多くありみんなに迷惑をかけたことが沢山あります。(例えば冷蔵庫事件や油谷さん激怒事件など)
ごめんなさい。
それでも康太や智哉、海洋といった素敵な仲間に会えたこと、大坪君という一生なんでも話せるダチに会えたこと、今思えばみんなに助けられてばかりでした。
でも大勢のマリンスタジアムで校歌を歌えたあの瞬間、絶対に忘れません。
船橋東高校を選んでよかったなと思います。みんな早く会おうぜ!
小中共に全国大会出場、高校では4番で副キャプテン。
このちょっとした自信とプライドが私の大学生活では壁になります。
わかってはいたものの、あまりのレベルの高さに圧倒される日々。
プライドの高い私は、下手糞なプレーは見せたくないという思いから、人前で練習することは段々と減っていきます。
南原コーチの言葉を借りるなら「逃げた」わけです。
キャッチボールでは思い通りに投げられないから端っこに行き、気が付けば「イップス」と呼ばれる症状になってました。
一度はまるとやめられないのと同じで、一度投げられなくなるとほとんど投げられません(今では5mもまっすぐいかないくらいです)。
それでも公園やグランドで自主練に付き合ってくれた中西には感謝しかなく、できれば恩返しがしたいです。
たまたま陸上選手のような走り方をしていることから、走りだけは少し通用しましたが、寿命は短く…。
正直に言って大学野球は「楽しくありませんでした」。
私は、執筆している途中、飯塚のラストブログを読んで胸を打たれます。
皆さんは読みましたか?
「ぶれない大切さ」
私はいつしかぶれるようになっていました。
他人の成績を気にし、周りの目を気にし、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。
それもあってか現在地が掴めない中1人露頭に迷い、気がつけば知らない国で1人ポツン状態。
選手を続けていくには精神的に限界になり、私は3年の1月で選手を辞めることになります。
その後も、同期には無駄な心配をかけ、大聖には怒られたりと、散々な行動をとってしまいました。
申し訳ありませんでした。
ただどんな時も笑顔の和田や同じ境遇の坂田、塩などみんなのおかげで少しずつだけ立ち直れました。
また叱ってくれた大聖には心から感謝してます。
ちなみに大聖と行きたい場所ありますのでぜひ笑
色々と相談に乗ってくれたおうすけや中ちゃんにも感謝したいです。
選手を辞めた大学野球。
そんな私のやりがいともなっていたのが、広報活動であり、総局長と言う役職にもついている訳でもあります。
「サヨナラー」と言ってしまい大恥を食らったこともあるライブ配信の実況では、4年間で約50試合担当し、様々な方と知り合うことにつながりました。
さらに招待試合を含めたホームゲームなどでは、今津さんと600人を超えるファンをスタジアムに呼ぶことができ、大学野球の可能性を感じるそんな機会になりました。
大学野球は、高校野球などと比べると、人気がありません。
ただ高校野球よりも遥かに高いレベルで、無数の可能性を持っている。
後輩たちには沢山の野球以外のアクションも起こしてほしいです。
実況の師匠、掛布とかいてかけのさん、そして今津さんお世話になりました。
ちなみに夢も叶えましたよ!!
長々と書いてきました。ごめんなさい。
話すのが好きで、余計な話をしてしまうのは、僕の悪い癖です。
下級生に伝えたいことがあります。
特にCチームのみんなに伝えたいです。
それは「プライドを捨て、恥をさらすこと」です。
就活でも、おそらく恋愛でも、なんでもそうですが、人は自分の弱みを他人に見せた時にぐっと距離が縮まります。
でも恥ずかしいから見せたくありません。
私もそうです。
でも恥をかかないと上手くなりません。
失敗は成功のもとだというけれど、ほんとにそうです。
沢山失敗して怒られて、それで学ぶんです。そうやって這い上がってきた同期を生で見てきました。
私はそれに気が付くのが遅すぎました。
怒られることがどれだけありがたいことなのか、人前で恥をさらすのがどれだけ素敵なことか、それに気が付けたらもっと良い選手に、良い人になれる、そんな気がします。
4年間のほぼ全てをCチームで過ごすことになってしまった私。
まだまだ実現すらできてませんが、それに少しでも気が付くことができたことが、この野球部にきてよかったなと思う一因だということは間違いありません。
ラストシーズンは、目をつぶればあっという間に終わっている気がします。
林や岩山という生意気な後輩、Cチームで苦楽を共にしてきた、有賀、遠嶋、タイラー、石川、加藤大みたいな安心できる後輩にもう会えないと思うとやや寂しいです。
大好きな広報の心配はありません、啓太などできる後輩に任せます。
4年生はもちろん、全部員が楽しかったと思えるような秋になればいいなと感じています。
最後になりますが、野球を通して出会った全ての人に感謝をしたいです。ほんとうにありがとうございました。
今後とも筑波大学硬式野球部の応援とご支援よろしくお願いします。
体育専門学群 4年
千葉県立船橋東高校 山辺丈瑠