「愛という矛盾」 ルカによる福音書 14章1~6節
私たちの住んでいる社会は、嘘をついて人を騙そうとする人があまりにも多いので、もはや「騙される人が悪い」と言われるほどになっています。新聞やニュースが必ずしも客観的な真実を伝えているのかというと、戦時中がそうであったように、時の権力にコントロールされてしまうこともあります。ひとたび嘘をつくと、嘘が嘘で塗り固められます。嘘がまかり通る社会とは、信用のならないものなのです。一方で、昔から「嘘も方便」とも言われています。人は、安寧を必要とするところがありますので、「病気が治る」とか「戦争に勝つ」と言われて一時的に安寧でいられるのなら、それが嘘であってもかまわないと考えられたりしています。嘘はいけない、しかし嘘もかまわないとは、実に矛盾しています。
イエスさんは、安息日にファリサイ派のある議員の家に招かれ、食事の席に着いていました。目の前には、水腫を患っている人がいました。ファリサイ派の人たちや律法学者たちは、イエスさんが安息日に病気を癒やし、安息日に労働をしてはならないという律法違反をするかどうかをうかがっていたのでした。それを知ってイエスさんは、彼らに「あなたがたの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」と言いました。彼らは、これに対して答えることができませんでした。つまり、ファリサイ派の人たちや律法学者の人たちをはじめ、多くの人たちは、安息日にイエスさんの言うようなことをしていたのでしょう。愛とは、律法による制限を受けません。愛には、一切の矛盾がないのです。