融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

浜坂みことばコレクション

2016年05月23日 | 浜大根伝道

 浜坂田君川で撮影したバイカモを、浜坂教会みことばコレクション(はがき)にしてみました。分類は、「信仰」です。

 半分水上を、半分水中を撮影するようにしてみました。比較的、両方が撮れています。

 


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「イエスさん」で行こう!

2016年05月23日 | 信仰あれこれ

 私は、気がついたときには教会にいました。クリスチャンホームで生まれ、名前も牧師に頼んで名付けてもらったものです。

 それで、自分がイエス・キリストのことをどう呼んでいたのかを振り返ると、まず「イエスさま」だったと思います。回りの環境がそうでした。それから、「イエス・キリスト」だったでしょうか。そして、「主イエス」で、再び「イエスさま」になったような気がします。

 それぞれの時期に、よく考えて呼び方を決めたのですが、どうも「イエス」とは言えませんでした。何だか、呼び捨てにして、偉そうな気がしたからです。表現は、意思の伝達でもありますので、自分はそんなにご立派な人間ではないので、これからも「イエス」とは言えないでしょう。

 でも、「イエスさま」という呼び名に弊害があると思い始めてきました。それは、相手を(イエスさまのこと)偉い存在のように表現しているので、それを聞いている人(私の言葉を聞いている人)に「イエスさまは偉いんだ」と、無前提に意思を伝えていることになるのではないかと考えるからです。

 自分が尊敬しているから「さま」と言っているのですが、それが決まり言葉になってしまうと、人にも押しつけて伝えてしまうことにならないだろうか、そんなことを考えてしまいます。私が良いと思うことが、他の人にも良いとは限らないものです。

 それで、何を伝えたいのかと考えたとき、誰でも分け隔てなくイエス(あえて「さま」抜き)と人格的(変な表現かもしれませんが)な繋がりを持つことが大切なのではないか、ということです。

 それには、「~さま」と言うと、あまりにも上意下達的な関係になるのではないか、そうではなく対等な関係が良いのではないか、それには「~さん」というのがぴったりだと思うようになりました。信仰者というと、何でも従属してひれ伏していれば良いのではなくて、49%分の自分の責任を負い、51%分をイエスさんに委ねていれば、それで信仰者と呼べるのではないかと思っています。

 私は、イエスさまが私に、「お前は私の子分になれ、命令は絶対だ」とは言わないと考えます。そもそも、教えも全部は守れないし、そうではなく「自分で考えて、自分で責任を取って生きなさい」と言われるのではないかと思います。その気持ちを伝えたいのなら、「イエスさま」ではなく、「イエスさん」が良いのではないかと思いました。

 実は、浜坂教会の牧師をしていました大川先生が、「イエスさん」と言われていたことを思い出し、私もこれから「イエスさま」を改めて、「イエスさん」と言うようにしようと思います。でも、お祈りの最後の言葉は、「イエス・キリストの・・・」と言うことにしたいと思います。

 当分の間は、言葉がごちゃ混ぜになってしまうかもしれませんが、単に呼び名を変えただけというのではなく、伝えたい信仰の部分を伝えられるようでありたいと願っています。

 

 


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明日は礼拝です

2016年05月21日 | 礼拝のご案内

 明日22日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時15分から讃美歌練習、午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「邪悪な思いと闘っていた」、讃美歌は「十字架の血に」(今月の歌)、「聖霊よ、降りて」、「神の息よ」です。礼拝後は、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 明日は、浜坂で「麒麟獅子マラソン」が開催されます。教会学校に来ている子どもたちも出場します。熱中症やケガなどないように、お祈りします。

 


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「聖霊が共にあった」

2016年05月21日 | 聖書のお話

「聖霊が共にあった」 使徒言行録 2章1~4節

 ユダヤ人の祖先は、エジプトで奴隷の民であったと伝えられています。主なる神さまは、モーセを通して奴隷であった民をエジプトから導き出したのが出エジプトという出来事でした。ユダヤの人々は、そのことを記念して「過越祭」を守っていました。また、主なる神さまは、エジプトを脱出したイスラエルの民に、律法を授けました。ユダヤの人々は、そのことを記念して「五旬祭」を守っていました。五旬祭は、過越祭から数えて50日後のお祭りでした。出エジプトは主なる神さまに従って歩みを始めたということを伝え、律法授与は主なる神さまの民であり続けるために必要な教えをいただいたことを伝えています。ユダヤの人々は、そのことを信仰の原点として大切にしてきました。

 イエスさまは、過越祭のときに十字架にお架かりになり、復活されました。言い換えれば、死に勝利して、新しい命による歩みが始まったということです。イエスさまを信じる人々は、そのことを「イースター」と呼びました。また、五旬祭のときにイエスさまが「与える」と約束された聖霊が降りました。イエスさまを信じる人々は、そのことを「ペンテコステ」と呼びました。キリスト教は、ユダヤ教から出発していますので、過越祭がイースター、五旬祭がペンテコステと、新しい出発と「教え」の授与という考え方が共通していたのかもしれません。「教え」とは、律法でもあり聖霊でもあります。どちらも、目には見えないけれども、人々を助け、導き、生かす信仰のことです。とりわけ聖霊は、イエスさまの愛の教えそのものです。それは、主なる神さまが招いて授けられるもの、誰にでも分け隔てなく与えられる賜物のことです。

 


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思うこと

2016年05月20日 | 日記

 「内地」の人の中で、「日本が守られるために沖縄に基地がなくてはならない、中国が攻めて来たらどうするんだ」と、時々そういう声を聞くことがあります。

 それは、普通に考えてみると、「内地」の自分が静かで平安な暮らしをしたいために、沖縄の人は基地の騒音に悩まされたり、米軍関係者による犯罪の被害者になっても構わないと言っているのでしょうか。

 自分が幸せになりたいために、他人に不幸を押しつけて犠牲にしても構わないという考え方は、甘ったれているのではないでしょうか。そういう人は、最低でも「沖縄に基地がなくては困るので、私も嘉手納基地の真下に移住して、沖縄の人たちと共に騒音を甘んじて受けながら生活する」と言って、その通り実行しているのなら、まだ筋が通っているというものです。

 聖書には、「よきサマリア人のたとえ」という物語が記されています。旅の途中で追いはぎに襲われ、倒れている人がいました。そこを、宗教家や人格者と呼ばれているような人が通ったのですが、見て見ぬふりをして過ぎ去りました。しばらくして、サマリアの外国人がそこを通ったとき、倒れている人に応急処置をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行き、宿屋の主人に前金を渡して介抱させるといったことをしました。

 イエスさまは、「よきサマリア人のたとえ」を話された後、話を聞いていた人たちに向かって「誰が倒れていた人の隣人になったと思うか」と問われました。それは、誰が答えても「助け、介抱した人」に違いありません。

 つくづく、イエスさまの問と答えが「当たり前のこと」になっていないのが世の中というものかもしれません。けれども、イエスさまの教えを少しでも受け止め、自分の生活の中で、少しずつ実現させて行くことによって、確かに平和が訪れると信じる者でありたいと思います。

 

 

 

  


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