旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

駅弁コレクション238 「ますのすし」(富山駅)

2022-08-24 05:53:36 | 駅弁コレクション
【ますのすし】(富山駅)
                            2022.8.24投稿

2017年(平成29年)4月23日
 マエダ「全国有名駅弁大会」で購入 価格1,400円
                         [製造元](株)源

 1965年(昭和40年)から、日本の洋画家で文化勲章を受章した中川一政(なかがわ かずまさ)画伯が描いた絵の掛紙(ピローケース)が使われています。


 木製の「曲げ物」の容器に入った押し寿司です。


 お寿司は笹でくるまれており、ほんのりとよい香りがします。もっちりとしたご飯の上にピンク色のますの身がのっています。


 鱒好きにとっては、ほどよい脂がある美味しい押し寿司です。
 現在も1,600円(税込)で販売されていて、公式ホームページで次のように案内されています。
 全国のみなさまに愛され続けて100年 富山駅弁ますのすし
 ほどよい脂ののった鱒、富山神通川流域でとれる県産米を使用したすし飯、緑が濃く香りの良い国産笹。味と色彩が見事に調和した富山の名産品です。


 2012年(平成24年)「ますのすし」は100周年を迎え、次のようにアナウンスされています。
駅弁ますのすし 次の100年へ
 ますのすしの起源は平安時代とされ、勅使に持たせた献上品が始まりでした。
 当時は、今のような形のものではなく、米を醗酵材料とした魚の身だけを食べる「なれずし」と呼ばれるものでした。
 それから、米を一緒に食べる「生なれ」へと変化し、源の前身である料亭[天人楼]でも名物として喜ばれました。
 明治には早寿司の流行とともに今の鱒寿司の原形となり、明治41年に駅弁業に転身した源が、北陸本線・富山駅構内にてオリジナルのパッケージと現代に引き継がれる製法で『ますのすし』を販売し、富山のお土産として全国に広まりました。
 写真は昭和38年頃、富山駅での立売風景。後ろにはディーゼル特急『白鳥』が見えます。


 製造元の源は、江戸時代に富山町旅篭町で旅館と紙屋を営んでいた、源梅山(みなもとばいざん)が料理業を中心として吉川屋を営んだのが始まりと言われています。
 1908年(明治41年)富山駅の開業にあわせ創業、構内営業人となり、1912年(明治45年)には「ますのすし」の販売を開始しています。


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