藤田元司監督の功績

 先日40年前のジャイアンツがファースト中畑清、セカンド篠塚
利夫、サード原辰徳という理想の布陣が中畑のケガから出来上が
った記事を上げたのだが今にして思うとこれは藤田元司監督の英
断だろう。

 この時期のジャイアンツ首脳陣は篠塚の腰の状態が1シーズン通
しての出場が厳しいと判断して新人の原をセカンドで起用する方針
だっただけでなく、1番も前年の後半からスイッチヒッターとして
レギュラーに定着していた松本匡史も先発から外され淡口憲治や河
埜和正
を起用していた事から前任者・長嶋茂雄監督が育てた選手達
に対して厳しいのではと思われていたのだ。

 実際4月4日の開幕戦から1番・河埜、2番・淡口で、篠塚と松本は
外されていたし5月3日までジャイアンツは9連勝していた。

 好調な時はチームをいじらないのがセオリーだから篠塚と松本は
控えで終わると思われていたのだが、2番で起用したレフトの淡口
憲治が小技が利かず左投手を苦手にしていた事もあり松本が2番で
起用され始めていた一方セカンドは原が出場し続けていたのだ。

 それが中畑のケガで篠塚と原が活躍し中畑が復帰してもこのま
までいいのではという声もあった一方で、川上哲治元監督などは
‘中畑が戻ってきたら、これまでの布陣に戻すべき’と語っていたの
を思い出す。

 思えば10年にドラゴンズを率いていた落合博満監督は井端弘和が
ケガで不在の時に起用されショートを無難に守っていた堂上直倫を
井端が戻って来ると、当然のように井端をショートに戻しバッティ
ングが不調でも使い続けていたように理想のプランは変えづらいも
のがある。

 実際に荒木雅博との二遊間はアライバといわれる絶妙のコンビネ
ーションを誇っておりチームの生命線という面もあったので、いく
ら堂上が活躍してもレギュラーとして交代しづらいのは仕方ないが
逆に言えば二遊間の世代交代の遅れになった面もあるだろう。

 上手くいっていた事を動かすのはそれだけ難しいのだが、藤田監
督は敢えて復帰した中畑をファーストで起用しただけでなく7月12
日からは松本を1番で起用し始め最終的に松本が出塁して盗塁し河
埜が送って篠塚で得点するというパターンまで作ったのだから凄い。

 そういう意味で藤田監督は本当にやり繰り上手だったと思う。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (餃子少年)
2021-06-07 21:55:55
フィクションですが1989年放送のアニメ「ミラクルジャイアンツ童夢くん」で童夢くんの超豪速球サンダーバキュームボールをキャッチャーが取れなくて困ってる所、童夢くんを外野手に回してレーザービームのごとく走者を刺させると言う采配をしてたのを思い出しました。
 
 
 
なるほど (こーじ)
2021-06-09 21:39:06
>餃子少年様

 たしか童夢くんはコロコロコミックでしたから、他のスポ根ものとは雰囲気が違ってましたね。

 ただコチラでは日曜朝だったので、あまり見る機会がなかったです。
 
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