今から40年前の今日71年4月1日は前年10月にWBAフライ級王者になった
大場政夫がベネズエラの挑戦者:ベツリオ・ゴンサレスを相手に苦闘の末 初
防衛に成功した日である。
当時ベネズエラのボクサーといえば2年前にWBAフェザー級王者:西城正三
の初防衛戦で完勝したペドロ・ゴメスのイメージだったし、そんなに怖さがない
タイプだったので‘楽勝だろう’と親達は言っていたのだが・・・・
意外に ゴンサレスは強かった。
立ち上がりから妙にハイテンポな攻防となったのだが素早いフットワークで動き
回り、威力こそなさそうだが的確にパンチをヒットするだけでなく変な角度から
打ち込む右が厄介だった。
それでもロングレンジからの右ストレートを時折ヒットし13Rには右ストレートを
立て続けにヒットして‘これは倒せるぞ’と期待したものの、むしろスタミナ切れ
したのは大場の方。
前半に‘あのペースなら終盤に絶対へばる’とオヤジや祖父が言っていたので
安心していたら最終ラウンドなど大場の方が動き負けてパンチをまとめられて
‘これはヤバいのでは?’と思ったが、日本人だけのレフェリー&ジャッジ構成
だった事も幸いし72-70、72-71、71-70の僅差ながら3-0の判定勝ちで
初防衛に成功したのだった。
これが今のような中立国のジャッジ構成でラウンドマストシステムだったら負けに
されたのではと88年にNTVの深夜番組‘朝までスポーツ’の中で再放送があった
ときの感想だ。
大場政夫は この苦戦を糧にして5度の防衛に成功したのだが、ご存知のように
自動車事故を起こして世界王者のまま死亡という悲劇に見舞われた。
大場の死後 決定戦に勝って王者になったチャチャイ・チオノイから74年10月に
タイトルを奪取したのが大場のライバルだった花形進。
実に5度目の挑戦で悲願の世界王者になったのだ。
そして初防衛戦が奇しくも大場の初防衛戦が行われた4年後の75年4月1日
だった。
2度目にフィリピンに乗り込んで挑戦したエルビト・サラバリア相手に完璧な試合
展開で倒せなかったものの大差の判定勝ちだと思って疑わなかったのだが、何と
判定はサラバリアに上がったのだ。
大場は負けにされても仕方なかった試合を僅差の判定勝ちし5度の防衛に成功
したのに対し、花形は完璧な試合をしながら負けにされたのだから本当に不運だと
思う。
4月1日になるとフライ級のライバル2人の明暗に思いをはせてしまう。