半年前とは別人だったイラリオ・サパタ

 今から40年前の昨日80年9月17日に岐阜で行われたWBC:J
フライ級タイトルマッチで、前王者の中島成雄が王者イラリオ
・サパタに10RTKO負けしタイトル奪回に失敗した。

 両者は半年前の3月に中島の初防衛戦として行われ攻勢に出た
中島をサパタが動き回って捌く形でラウンドが進み、中立国のオ
フィシャル3人がサパタの軽打ながら多くのクリーンヒットを評価
する形で僅差ながら3-0でサパタがタイトルを奪取していた。

 とはいえ中継していたTV解説者をはじめとした多くの関係者が
中島の勝利と言っていた事もあり納得できない判定だった事から、
再戦を求める声も多く半年後の9月に再戦が決まったわけで今度こ
そ中島が勝つのではないかと思われていた。

 ところが試合が始まるとリードパンチの差し合いで後れを取り
中島のパンチをことごとく外されるだけでなく、接近するとクリ
ンチでごまかされるなどズルズルとラウンドを重ねるという最悪
の展開になる。

 そして軽打ながら数多くもらってダメージを貯めて行き10Rに
遂にストップされる形での完敗だったわけで、当時の専門誌では
評論家の矢尾板貞夫氏が‘ファイターがアウトボクサーと離れて戦
うとこうなる’と評していた。

 当時の予想では前回の戦いを見て‘KOなら中島で今回はごまかさ
れずに戦う事が大事’と専門家達は言っていたのだが、今にして思
うと前回の戦いでサパタは中島の攻撃パターンをインプットして
いたようで再戦では中島の攻撃はことごとく読まれ
カウンターを
合わされる展開に陥ったのだ。

 確かにサパタのパンチは中島に比べると弱いかもしれないが
多くカウンターでヒットすれば効かされてしまうわけで、自らが
打たれ強くない事を知っているサパタは初戦では慎重に戦い安全
運転に徹しながら攻撃パターンをインプットし再戦ではカウンタ
ーを決める形で完勝したという事だろう。

 この説は2年後に友利正がサパタをKOしたアマド・ウルスアか
らタイトルを奪取した初防衛戦でサパタと対戦し、中島戦同様に
ポイントをかすめ取るような戦い方で僅差の判定負けした後の再
戦では打ち合いに持ち込むもKO負けで完敗した事で証明された。

 思えば日本人ボクサーは‘自分の型’を持っており嵌ると強いが、
嵌らないと空転するタイプが多くサパタやエウせビオ・ペドロサ
にサムエル・セラノらはそこを上手く突いてきていたわけで80
年代から90年代の日本ボクシング界はこういったしたたかなタ
イプから痛い目に遭い続けたのだった。

 

 

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