ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
オリンピックでの日本復活の狼煙となったシドニー五輪
今から20年前の今日00年10月1日は、シドニー五輪が閉幕した
日である。
シドニー五輪の日本選手団は金:5、銀:8、銅:5個の計18個
のメダルを獲得したのだが、思えば4年前のアトランタでは金:3、
銀:6、銅:6の計15から3個増えただけでなく日本スポーツ界が
復活の狼煙を上げた大会だと言えるだろう。
ソウル五輪での日本は金:4、銀、3、銅:6の計13個と東京五輪
からでは最低の成績に終わった事を受け立て直しを計った日本は、
4年後のバルセロナで若手中心で金こそ3個だったが銀:8、銅:11
と一気に22個のメダルを獲得し4年後の躍進が期待されていた。
ところがアトランタでは競泳陣を中心にメダル量産を期待された
ものの、コンディション調整に失敗するなどで思ったような結果を
残せずに終わる。
特に競泳では女子のリーダーだった千葉すずが代表落ちし最終的
に却下されたもののスポーツ仲裁裁判所に提訴するなど話題を呼び、
結果的に競泳陣は金こそ取れなかったが銀:2&同:2の計4個とい
うミュンヘン以来の複数メダルを獲得する。
また陸上でも高橋尚子が女子マラソンで金メダルを獲得したのが
大いに日本選手団を盛り上げたわけで、やはりメイン競技の陸上と
競泳で取るメダルというのは他の種目以上に嬉しいものだ。
柔道では篠原真一が決勝でダビド・ドゥイエに不運な負けを喫し
銀メダルに終わるのだが、田村亮子が3度目の五輪で金を取るなど
井上康生らと共に計4個の金メダルを獲得した。
残念だったのが体操で団体ではアトランタで失ったメダル奪回
まだあと一歩に迫りながら4位にだったし、何より野球はプロも
合流させたにも拘わらず準決勝でキューバに敗れると3位決定戦
でも韓国に敗れてメダルすら逃す事に。
思えばソウルまでの日本は周囲がプロ化していたにも拘わらず
アマチュアリズムに拘る勢力が主流を占めており、徒手空拳で挑
む形ではソウルでの惨敗は必然だっただろう。
それがバルセロナからメダリストに報奨金を出す形になるなど
国からのサポートが始まり、若い才能のある選手を大量に育成し
始めたのだからバルセロナでは健闘できた。
ところがアトランタでは才能型選手特有の勝負に対する淡白さが
目立ち、それゆえ金メダルやメダルを逃す悔しい結果に終わる、
ただ象徴的だったのは決勝でアメリカに敗れ銀メダルとなった女
子ソフトボールのメンバーに向かってフジTVのスタジオで松平康孝
氏は‘みなさん悔しいでしょう’と声をかけると‘監督や選手達が悔し
いを連発する。
もともと銀メダルを祝う予定だったフジTV関係者には驚くべき
事態だったわけで、慌てて関係者達が取り繕うとするのだが松平
氏はたたみかけるように‘出場するからには金メダルのみを目標に
しているので銀や銅メダルというのは負けた象徴だから、悔しい
のが当たり前’と語りソフトボールチームのメンバーは我が意を得
たりという雰囲気で当然ながら祝賀会というより残念会という雰
囲気になってしまったのが思い出される。
田村亮子は‘最低でも金、最高で金’という名言を披露した一方、
アトランタまでの選手は才能はあるものの勝利への執念が今ひと
つだったのだが松平氏のコメントは勝利への執念がいかに大事か
という事を実感させ4年後のアテネでメダル量産につながるのだ。
それを考えるとシドニー五輪こそ日本選手団が復活への狼煙を
上げるきっかけになったと言っていいだろう。
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