今から40年前の1月は3つの世界戦が行われ7日に具志堅用高
がリゴベルト・マルカノを7RでKOして防衛の日本新記録である
7度目の防衛に成功したのに対し、2日後の9日にロイヤル小林が
WBAフェザー級王者のエウセビオ・ペドロサに13R終了TKO負
けを喫し王座返り咲きに失敗する。
そして40年前の今日79年1月29日に浜松で行われたWBA
フライ級タイトルマッチで、挑戦者の大熊正二は王者のベツリオ・
ゴンサレスに挑戦し果敢に攻撃し最後まで攻勢をかけながら引き分
けで4年ぶりの王座復帰を阻まれたのだった。
両者は74年5月に当時WBC王者だったゴンサレスに小熊がノ
ンタイトルで対戦し僅差の判定負けしたのだが、10月にタイトルを
かけて戦い今度は小熊が僅差の判定勝ちでタイトルを奪取するなど
1勝1敗だった。
ただし小熊は3ヵ月後にミゲール・カントとの初防衛戦で僅差の
判定負けでタイトルを失うと、3度にわたって挑戦するものの特に
カントとの試合は際どい判定に泣く形で返り咲きを阻まれリングネ
ームを大熊に変えての挑戦になる。
一方ゴンサレスは小熊に敗れた後78年にWBA王者のグティ・
エスパダスからタイトルを奪取し初防衛に成功した後に大熊の挑戦
を受けたのだが、カントよりも相性がいいので大熊にチャンスあり
と思われていたし実際‘今度こそ返り咲きに成功’と思っていたら
引き分けに終わったのだ。
当然のように両者は再戦となったわけだが半年後の対戦では12
Rに右のカウンターを食って大熊はKO負けを喫し、年齢的にも厳
しいと思われながら80年5月にカントからタイトルを奪ったWBC
王者の朴賛希にソウルで9RKO勝ちし5年4ヶ月ぶりの返り咲きを
果たしたのだった。
一方のロイヤル小林は具志堅がタイトルを奪取する前日の76年
10月9日にリゴベルト・リアスコを8RでKOしWBC:Jフェザ
ー級王者になったものの、45日後の11月24日にソウルで廉東均
に不運な判定負けでタイトルを失うと78年1月に廉からタイトル
を奪取したウィルフレド・ゴメスに挑戦するが3RKO負けで返り
咲きに失敗。
そこで階級を元のフェザーに戻し東洋太平洋タイトルを取りチャ
ンスを待った結果、WBA王者のペドロサへの挑戦が決まった。
王者のペドロサはこれが3度目の防衛戦でタイトルを取ったリア
スコと同じタイプだったので小林の返り咲きに期待がかかったが、
ペドロサは老獪なテクニックで小林を寄せ付けず10R以降はワン
サイドの展開になり13R終了時点で小林陣営はギブアップ。
確かにアゴが弱そうで実際に負けた試合は全てKO負けだった
事から‘小林のパンチが一発でも当たれば’との期待も虚しく完
敗だったのだが、後にペドロサは実に19回もの防衛に成功する名
王者だったわけで最初に挑戦したアレクシス・アルゲリョをはじめ
連続KO防衛記録を作ったウイルフレド・ゴメスといい小林が挑戦
失敗した相手は悉く歴史に名を残す名王者だった事になる。
後に13回の防衛に成功した具志堅と翌年王座返り咲きを果たし
た大熊に比べロイヤル小林は運がなかった形だが、ここまでの強豪
と戦えたのは勲章だと思う。