小熊正二の苦闘の始まりから40年

 今から40年前の今日75年1月8日に行われたWBCフライ級
タイトルマッチで、王者の小熊正二は2位のミゲル・カントに
0-2の僅差判定負けで初防衛に失敗し‘百日天下’といわれた。

 小熊は約3ヶ月前に1度ノンタイトルで惜敗していたベツリオ・
ゴンサレスに挑戦し果敢な攻撃が功を奏し僅差ながら判定勝ちして
タイトルを奪取して迎えた初防衛戦で、試合前の予想はゴンサレス
相手に王座決定戦で完敗したカントに対し小熊は1勝1敗ながら負
けた試合も僅差だったので小熊の防衛は確実というのが多数を占め
ていた。

 試合が始まると小熊が前進しパンチを振るうもののカントは巧く
いなして右のショートを軽打する展開で、4Rにカウンターでカント
がダウンするがスリップの判定。

 結局カントは決定打こそないものの軽くではあるがパンチを当て
続けたのに対し小熊は前進してもパンチが出ずにイライラする展開
の末2-0の判定負けとなったのだが、レフェリーの採点が147-
145だったので4Rのスリップがダウンと判定されていれば流れは
小熊だったという見方が多く再戦すれば絶対に勝てるといわれて
いたのだ。

 実際にカントはKO率も決して高くなくサイズ的にも怖さは感じ
なかったのだが、それから4年もの間にパスカル・ペレスの持つ防
衛記録を大幅に塗り替える14度の防衛をするとは当時は誰も想像
してなかっただろう。

 その中に高田次郎・花形進・触沢公男に小熊とパンチ力では勝る
と思われた日本人選手が総ナメされているわけで、ベテランでKO
数が少ない選手を与し易しと見る傾向が日本のボクシング関係者や
メディアに対し痛烈なアンチテーゼを突きつけた形だった。

 残念ながら日本のボクシング関係者やメディアなどは以後も学習
しなかったのか、ダニエル・サラゴサに辰吉丈一郎が挑戦した時も
同じような評価基準でサラゴサを随分下に見る報道が多かったのを
見てガッカリしたのを覚えている。

 その後 小熊は76年4月のアルフォンソ・ロペス戦を皮切りに
カントやゴンサレスとの再戦でも勝ちきれなかったのだが、5年
4ヵ月後にカントを破った朴賛希をソウルに乗り込んで9RKOし
世界王者に返り咲くのだった。

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