日本海海戦とメキシコ五輪サッカー銅メダル

 昨日は日露戦争の日本海海戦が行われた日で、東郷平八郎大将率
いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊をほぼ壊滅させる大勝利と
なった。

 バルチック艦隊の艦船のほとんどを損失させた一方で連合艦隊は
小艦艇数隻のみの喪失という世界の海戦史上でも例を見ない空前の
大勝利を挙げた事になっているのだが、その一方バルチック艦隊を
壊滅させた事から日本は艦隊決戦に自信を持ち過ぎて第2次大戦で
は航空機を含めた機動部隊が主役になっていく中で艦隊決戦論が根
強く残る事になっていた。

 つまり偉大過ぎる勝利は転落への第一歩という事になるわけでス
ポーツ界でもよく見られる話の中、例えばサッカー日本代表のメキ
シコ五輪の銅メダルが昭和の時代の日本海海戦になるのだろう。

 64年の東京五輪に開催国枠で出場可能だったサッカー日本代表は
何としてもグループステージを突破するために、西ドイツのデッド
マール・クラマー氏をコーチとして招聘し強化にあたった結果アル
ゼンチンに3-2で勝ちグループステージの突破に成功した。

 五輪終了後クラマー氏が離日する際に「サッカー選手のピークは
20代後半で今の代表チームは若いから、質の高い試合を多くこなす
事で更なるレベルアップが見込めるから日本リーグを作れば」と提
言してくれたので他の競技に先駆けて日本リーグを立ち上げる。

 そしてクラマー氏の教えを受けたメンバーが年齢的にピークで迎
えたメキシコ五輪で日本はナイジェリアに3-1で勝った後ブラジル
&スペインと引き分けグループステージを突破すると、ベスト8でフ
ランスに勝ち準決勝で東京とメキシコの両方で金メダルを獲得する
ハンガリーには敗れたものの3位決定戦でメキシコに勝って銅メダル
獲得だった。

 ところが当時の協会は五輪の銅メダルで過信の域に入るのだが釜本
邦茂や杉山隆一らはメキシコがピークで下り坂だった一方、それ以外
の選手達の間で断層ができる事になるだけでなく今ではヨーロッパに
編入されているイスラエルと戦うハメになり悉く敗れていたため次の
五輪出場は28年後の96アトランタまで待たなければならなかった。

 東郷大将は日本海海戦の大勝利を‘紙一重の勝利’と称していたが、
考えてみれば連合艦隊が採用した丁字戦は敵艦隊の射程距離内で横
並びするわけでコレが完成するまで狙い撃ちに遭うため一種の賭け
であり勝ったからこその大勝利だった。

 サッカーのメキシコ五輪・日本代表もアジア最終予選では韓国と
引き分けただけでなく、終了間際にGKとの1対1を作られ相手選手の
シュートがクロスバーに当たって外れた直後に試合が終わったのだ
からコチラも紙一重。

 なにせ五輪本大会で相手がフル代表だったのは金メダルを取った
ハンガリーのみで勝ったナイジェリア&フランス&メキシコや、引
き分けたブラジル&スペインはB代表未満の選手達だった。

 そういった要素には目もくれず‘五輪で銅メダルを取ったのだから
アジア相手に負けるはずがない’と過信した結果、五輪から28年も遠
ざかるハメになっているのを見ると望外の大勝利は敗北への第一歩
と実感するのだ。

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