平成の三四郎・悲願の金!

 今から16年前の今日、92年7月31日はバルセロナ五輪で平成の三四郎
と言われた古賀稔彦が膝の靭帯を損傷しながら金メダルを獲得し屈辱の
ソウルから4年目にしてリベンジを果たした日である。
 古賀は得意の背負い投げを引っさげて早くから将来を嘱望されていたが、
87年の世界選手権では3位。
 ソウルでは、まさかの3回戦敗退となった。

 ここまで芸術的とも言える背負い投げで相手を投げ飛ばして勝ってきた
反面、背負い投げを封じられると何もできないというタイプ。
 エッセン世界選手権とソウル五輪で勝てなかったのは、背負い投げを
封じられたからである。
‘背負い投げだけでは世界で勝てない’と実感した古賀は、巴投げや足技
など背負い投げを封じられた時の対策を考え出した。
 その結果89ベオグラード、91バルセロナ世界選手権で連続優勝し 92
バルセロナ五輪では71㌔級の優勝候補筆頭となっていた。

 ところが現地入りして後輩の吉田秀彦との練習中に左ひざを痛め歩く事
すらできなくなる。
 左足側副靭帯損傷で歩くのに1ヶ月かかると言われる重症だったのだ。
 日本は初日にエースの小川直也がファイナルで敗れてから負の連鎖に
はまっていたが、前日に後輩の吉田が78㌔級で得意の内股でのオール
一本勝ちして初の金メダルをもたらしていた。
 テーピングでケガをした左ひざをガチガチに固定しての出場となったが、
初戦を巴投げで一本勝ち。
 その後は2戦は優勢勝ちだったが、Sファイナルではドイツのスピットカに
得意の背負い投げで一本勝ちしてファイナル進出。
 ファイナルではハンガリーのハイトシュ相手にてこずるが、旗判定の結果
勝って見事な金メダルとなった。

  赤旗が上がって勝ったのを知った

 古賀の雄たけびは忘れられない! 

 左足肉離れに耐えて金を取ったロスの山下泰裕や膝痛が完治せずに
日本勢唯一の金を取ったソウルの斉藤仁。
 1ヶ月前に左足首を痛めながら金を獲得したアテネの谷亮子など、達人
の域に達した選手は致命的なケガを負いながらもしっかり勝っている。
 翌週にレスリングのゲスト解説に出ていたソウルの金メダリストの小林
孝至も‘ケガをしていた方が五感が研ぎ澄まされて、かえって勝てるもの。
ボクはあの日は初戦を勝ったのを見て勝てると安心して寝ましたよ’と
言っていたのを思い出す。
 
 ただケガをおしての金メダルは劇的だったが、その代償として当然の
ように長いブランクを作り結果的に4年後のアトランタではファイナルで
敗れ銀メダルに終わるのだった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
金メダリストは (柴田真紀)
2008-08-01 02:36:05
 恋愛は不得手である……と、どっかのキャスターが言っていたっけ。
 古賀さんも、ご結婚されてすぐ、離婚されましたよねー。後輩の女子選手とどーのこーのとか……。

 某大日本職業野球団の二岡選手も、それでうやむやになればいいですねー(単なるイヤミ)。
 
 
 
たしかに! (こーじ)
2008-08-01 23:38:09
>柴田真紀様
 世界のオギワラも離婚経験者でしたね。
 金メダリストではないけど、伊藤みどりや八木沼純子も縁遠いです。
 やはり自分の世界に没頭しますから、よほど覚悟のあるパートナーでなければ務まらないかもしれません。
 その点、山下泰裕夫人は続いてますね。
 けっこう軽そうでしたが。
 
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