大沢親分死す

大沢啓二氏死去、78歳=球界の「親分」、元日本ハム監督(時事通信) - goo ニュース

 今朝ネットをつないでいたらトップニュースに元ファイターズ監督の大沢啓二氏が胆のう癌で死去というニュースが飛び込んできて驚いた。

 大沢親分といえば最近は和服姿で‘喝’氏と一緒に辛口コメントをする姿が
定番だったので元気にしていると思ったのだが、最近体調を崩していたとは
思わなかった。

 64年生まれの私にとって大沢啓二といえば2度ファイターズの監督を務めた
というイメージで現役時代の姿は分からないが‘親分’という異名があるだけ
あって人望のある人だったというのが分かる。

 76年にファイターズの監督に就任した時にはBクラスだったのを徐々に
レベルアップさせ78年から2年連続3位に入り80年後期には最後まで優勝
争いを展開、最終戦でバファローズに敗れて優勝を逃し総合で3位に終わる。

  そして81年に広島から江夏豊を獲得して前期こそ4位だったが後期優勝
してプレーオフでもオリオンズに3勝1敗1分で勝って悲願のリーグ優勝を
飾った。

 そのときに‘ビールを頭から飲むとは初めて知った’とビールかけの時の
コメントで、監督が いかに嬉しかったか分かる。

 84年限りで監督を辞任した後に93年に監督に復帰し王者・ライオンズを
あと一歩まで追い上げて意地を見せたのだが、この年はJリーグ発足で野球
人気に翳りが見えた年だ。

  特にライオンズの森監督が どんな手を使ってでも勝ちに拘るという姿勢に
対して‘1回から送りバントをやるのはプロじゃない’と挑発したのを覚えて
いる。
 また守備固めに過ぎなかった広瀬哲朗を主将に任命、これに発奮した
広瀬はケガをした田中幸雄からショートのポジションを奪取してチームを引っ
張ったのが今でも忘れられない。

 その翌年に最下位に終わると最終戦の試合後にグランドでファンに向か
って土下座する姿も印象に残っているが、これが最後のユニフォーム姿
だった。

 振り返ると いろんなエピソードが思い出されるが、いつまでも元気で辛口
コメントをして欲しい方だった。    

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