ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
山口百恵最後のコンサートから30年
今から30年前の今日80年10月5日は山口百恵が日本武道館でファイナル
コンサートを行った日である。
前年の10月に三浦友和との交際宣言をして80年の3月には婚約&引退宣
言をしてカウントダウンが始まり、この年は異様な雰囲気になっていた。
そして迎えた10月5日にファイナルコンサートが行われたのだ。
正直言って私は そこまで興味がなく、山口百恵が出演したドラマの ‘赤い
疑惑’をはじめとした‘赤い’シリーズも‘赤い衝撃’ぐらいしか見てなかった。
もっとも‘赤い衝撃’は将来を嘱望されたスプリンターという設定だったが、
とてもじゃないがスプリンターの体型ではないとみんなが突っ込んでいた。
とはいえ友人達に熱狂的なファンが多く煽られて見ていたという感じなの
だが、引退してから何度も歌を聴くと‘上手いな~’と改めて思う。
特に17・8歳で阿木燿子と宇崎竜童のコンビが作った「横須賀ストーリー」
など大人ソングを歌いこなしていたのは感心するし、谷村新司の「いい日
旅立ち」や さだ まさしの「秋桜」など全く毛色の違う世界にもしっかりとアジャ
ストしていた凄さが分かる。
あの落ち着きぶりは21歳とは思えなかった。
ラストで涙ながらに「さよならの向こう側」を歌い、マイクを置いて去って行く
姿は感動的だったし、同じ時代を共有できてよかったと今でも思うのだ。
予断ながら今日は休日という事で夕食時間中に山口百恵の歌を流して
いたし、ちびまる子の‘百恵ちゃんのコンサートに行く’というEPを夕食後に
息子達に見せたのだった。
PS,山口百恵のファイナルコンサートが終わった後に流れた予告編が具志堅用高 13回目の防衛戦だった。
あの頃のTBSは まともな中継をしていたなと、つくづく思う。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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> PS,山口百恵のファイナルコンサートが終わった後に流れた予告編が具志堅用高 13回目の防衛戦だった。
なんか象徴的ですね。山口百恵って格闘技好きな人ですよね多分。確かジャンボ鶴田のファンだったはずですよ。
で、具志堅さんが少し前松本人志の番組でいってたのが「百恵ちゃんファンだったけどマネージャー(百恵サイドの)が会わしてくれなかった」その理由が会えば山口百恵の方が好きになってしまうからという事だったそうで、いくら当時の具志堅さんの英雄っぷりでもそんな事心配するのはやっぱり普段からそういうことに関心と興味を持っていたんでしょうね。
はじめまして、よろしくお願いします。
HNを聞くと燃えよドラゴンでブルース・リーの姉スー・リンを演じたアンジェラ・マオを思い出してしまいます。
山口百恵がジャンボ鶴田のファンだったとは当時は知りませんでした。
具志堅が会えなかったというエピソードなかなかですよね。
それはそうとこの話題広げると面白いですね。山口百恵は楽屋で何読んでたんだろうかとかね。多分鶴田ファンなんで全日よりの月刊ゴングですかね?でこの時代のゴングはボクシングも網羅してたはずなんで(昔そうでしたよね?)これ読んでるとボクシングとプロレス両方好きになる。赤井英和なんかそういう人ですね。「ゴングは俺の教科書やった殺すていう難しい漢字もそれで覚えたんや」だっけかの台詞が「どついたるねん」にあったと思うけど、おそらくは本当にそうだったんでしょうね。だからこの人高田延彦となかいいし、プロレスも大好きですね。
以前関西ローカル番組で「アリも強いけどフリッツフォンエリックの方が強いんちゃうかと思ってたんや」といってましたよ。
山口百恵もおそらくはそうだったんでしょう。それを普段行動を共にして感じていたマネージャーは「会わせたら具志堅さんの事を好きになる」「そうなると具志堅さんも天下の山口百恵がそうなると満更でないだろうし、意識するだろうから下手するとそこに恋愛が成立してしまう」
「そうなるとこの女はやめて引退すると言い出すだろう」とそこまで考えて拒否したんでしょうね。
もしまかり間違ってそうなってたらどんな感じになってたんでしょかね?三浦友和に濃厚に漂う格落ち感は少なくともこの頃の具志堅さんには無いでしょうし、具志堅さんには人格的な問題もそんな無いと思うので案外上手くいったのかと思いますね
たしかに当時の月刊ゴングはプロレス&ボクシングですからジャンボ鶴田&具志堅という図式は十分考えられますね。
面白いのが山口百恵が引退して半年後の3月に具志堅は故郷の沖縄で防衛に失敗し、そのまま引退となりますから穿った見方をすると具志堅が山口百恵の後を追ったという解釈も偶然ですができない事もないですね。