以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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職場の上司(男性)
取引先や社長から理不尽な罵倒されても
悪口、愚痴は言わず部下を常にかばい
責任を持つ人がいる。汚い言霊もなし
何でも若い頃相当苦労したらしい
「何故反論しないのですか?」と聞いた事がある
「相手にしていないから」と一言
恐れ入りましたと思いました。
子供さん達は3人皆難関の国家公務員にすんなり合格されている。
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私保育士ですが、子供にオモチャの車でワザとに突っ込まれ、足が腫れた。
その日の内にその子供が転んで頭を打ってたんこぶ出来た。
因果応報だなぁ~とは思ったが、親にはそうは言えないので、
とりあえず、謝っておきます。
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ある日タバコポイ捨てしようとしたら捨てた数秒後(風の方向かなんか?)
戻ってきて背中火傷した。
それ以来ポイ捨て一切しません。
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叔父(父の弟)は4人家族。その妻(叔母)と娘AとB。
AはブサいけどBはどう間違ったのか、どっちにも似ず、キューピーみたな可愛い顔。
姉のAと、叔母は欲深だったし、面の皮が厚かった。
正月にうちに来ては、うちがご馳走を出すまで帰らなかったり。
面倒はうちに全部押し付けようと言う性格。ついでに、自分たちでほとんど働かない。
叔父と娘Bはよく似ていて、身体は弱いものの働き者で、娘Bは心臓が悪いのに、
保育園の年長の頃から、近所の個人経営の工場などで電話番やお茶汲みやごみ拾いでお小遣い稼ぎをして、
叔父が「Bにはお年玉以外あげた事が無い」と言うぐらい働き者だった。
(「ご飯食べたいから、働かせてください」と言われて、見かねた工場の経営者が、
お小遣いと言う名目で一時間500円で使っていたらしい)
AとBは6歳も年が離れて居るにも関わらず、AはいつもBの物を横取りしていた。
もちろん、うちの父や祖母が上げたお年玉も、私らが見ている前で強奪。
うちの父と叔父が叱るも、叔母は平然と、「Aは優秀な子だから参考書とかほしいだろうし」と言ってのける。
うちの父が誕生日プレゼントにあげた、Bが欲しがっていたリカちゃん人形とおうちセットも、
買ってあげた本とかゲームも、次の日にはAがそれで遊んでいた。
確かにAは優秀だった。学校の成績だけは。だけどBは頭は良かったけどどこか足りない子だった。
Aと違って服なんか買ってもらえないから、汚い格好をしていて苛められたりしても、文句ひとつ言わなかった。
Bはご飯を食べさせてもらえないらしく、よく自分で稼いだお小遣いで、
80円のパンとか、パン屋の手伝いをして、
貰ったパンの耳を夕食として公園で食べてるのを見かけてた。お金があるときには私や兄、
弟がちょっと奢って上げたりもした。
叔父が、叔母の目を盗んで食堂でご飯を食べさせているときもあった。
Bは手先が器用で、お小遣い取られてご飯が食べれない時には、
いつもチラシなどで作った箱などを持ってきては、
「ごめんなさい。冷ごはんとおしんこで良いから食べさせてください」と言って居た。
うちの母はいつも、お風呂に入れたり、私らが小さい頃に来ていた服を着せたりしていた。
Bの頭は、後頭部が骨から凸凹になっていて、相当小さい頃から殴られていたんだと思う。
身体にも痣があった。
父が、Bをいっその事、うちの養子にしようかと言う話が出た。叔父が泣いてそれを拒否した。
「Bだけが俺の頼りだから」と。
確かに叔父は、遅くなってからできたBを目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
だけどこのままじゃ、Bはいつ再発するか解らない心臓病と、
虐待とネグレクトに怯えて生きて行かなければいけない。
結局、その話は無かったことになってしまった。
月日が経つにつれ、Aは「優秀」なりの道を進み、学費もそうとうかかるようになった。
Bは中学高校、ずっとバイトをして、欲しい物を自分で買ったりし、
学費も自分で払ったりしながら、生き延びた。
Bが高校卒業し、進みたい道の学校に合格し、入学してしばらく経った頃、突然退学させられる。
この時ばかりはベソをかきながらBは私のアパートに来た。
「お姉ちゃんの学費がかかるから、私は働けって。学校行ったら退学届けが出てました。
学校、面白いから辞めたくなかったのに…」
と、初めてBが大声で泣いた。
Bは成人式もして貰わず、(Aが成人式で来た着物は、Bが半額出した)そのまま家族のために昼夜働いた。
職場で苛められることもあったらしいけど、いつもニコニコ笑っていた。
「いつか、お父さんと温泉旅行に行きたいです」と言って居た。
だが、叔父は60歳の若さで過労で死んだ。その時、Bは仕事しながら看病した。
叔父が死んだとき、Aと叔母は葬式中でもワーワー泣いてばかりだった。
Bは病室で30分間、私の両親の前で大声で泣いただけだったと言う。
Bは一人、弔問客に挨拶したり、葬式の手伝いをしていた。
それからBはまた一生懸命働いた。工場の夜勤をやったり、それがダメだったら水商売とかやっていた。
「お母さんが生活が大変だから」と、まだ二十歳ちょっとなのに、給料のほとんどを家に送っていた。
が、そのお金で叔母とAは海外旅行に行きまくった。
その間に、Bは三回も入院していた。けど、付き添いは「家族」は誰もいなかった。
四回目の入院、意識不明に陥り、二度の心肺停止状態。
医者が「栄養状態が悪すぎます。ほとんど食べてないんじゃないですか?」と言った。
ほとんど奇跡的に何とか回復したBが、実家に帰ると言うとき、私の実家から電話があった。
Bの家が火事になったと言うことだった。そして、叔母とAは焼死。
だけど不思議と、叔父の仏壇と、
そこにBが隠してあった小さい頃に父子で一枚だけ撮った写真だけが無事だった。
(叔父のアルバムと、Bの幼少期のアルバムは諸事情あって、うちの実家にあった)
近所の人や親戚からは、今も「因果応報」だと言われている。
葬式で、誰も泣いていなかった。
むしろ、集まった親戚から、Bは「Bちゃん良かったねぇ、これで自由だよ」
と言われて、不思議そうな顔をしていた。
今Bは、叔母とA、叔父の遺産を相続して、ゆっくり治療しながら私の実家でのんびり暮らしている。
もう、ボロボロの服を着なくても、お腹を空かせたりもしなくても良い。
両親が電話で「最近、Bがちゃんと笑ったり、
ちょっとわがままを言ったりするようになったりもした」と、報告してくる。
その報告を聞くのが私の楽しみだ。Bには幸せになって欲しい。