宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「諸仏の降臨を願う」

2006年06月30日 | Weblog





(  `m´) 「…諸仏の降臨を願う時は
          焼香して この呪を誦します。」


「ナモ・サンマンダ・ボダナン
ビユダサツラバ・ラバケイケイ・スバーハー。」

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「三力加持」

2006年06月29日 | Weblog



金剛合掌をして誦す。

「以我功徳力 (いがくどくりき)
如来加持力 (にょらいかじりき)
乃以法界力 (ぎゅういほうかいりき)
普供養而住(ふくようにじゅう)。」
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「経文の功徳を捧げる」

2006年06月28日 | Weblog

(  `m´) 「…経文や陀羅尼の功徳を得たり
          何かに捧げる為に、
          読経したり 陀羅尼を拝したり
          写経する方法が一般的でありますが」



(  `m´) 「…中華圏では
          経文が印刷された紙を焼いて、
          その経文の功徳を得たり
          祖霊の救いの為に捧げるという事も行われています。」



(  `m´) 「…中には 経名が羅列しただけのものさえあり、
          それでも燃やす事によって
          その経の功徳を捧げたり 得るという事が出来るという事のようです。」



(  `m´) 「…こちらは高王観音経でありまして」






(  `m´) 「…燃やす事によって
         高王観音経を誦す功徳が得られそうです。」
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「呼び名によって管理する事」

2006年06月27日 | Weblog


ちょっとテレビの電源を入れれば、ニュース関連の掲示板を
閲覧するなら、スーパーマーケットのレジの前に並べば、現在は
ネガティブな表現や言葉が巷に溢れに溢れている事が感じられます。
アメリカでは特にスーパーマーケットのレジの前に安い週刊誌が
並べられている事が多く、見たくもない醜聞や作り話の押し付けの
様にも感じてしまいます。

関連の仕事に携わっている方々が「ゴミを入れればゴミが出る
(Garbage in,Garbage out 略してGIGO)」という言葉を使用される
そうですが、コンピュータに限らず人間も自身が取り入れます情報や
表現のその質、その必要性に気を配ります必要がある様に思います。
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「フランクインセンスの香を捧げる」

2006年06月26日 | Weblog






(  `m´) 「…ヒンドゥー体系の中で
          フランクインセンスの香も 神々に捧げる供物の一つとなっています。
          焼香して誦します。」

「我 乳香と香木とを 
我がより良く生きる為
わが人生における 悪と障の一切が除かるる為に 捧げまつらん。」
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"白い雲の道"

2006年06月25日 | Weblog
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九世紀の偉大な神秘家のもとに、ある日一人の
男が訴えた。
「自分は断食と礼拝をこの30年間続けてきたが、
精神の至福というものを未だに得られずにおります。」
神秘家は言った。
「あと300年続けた所で、あなたには得られぬであろう。」
あなたの自惚れがそれを妨げているからだ。」

「どうしたらそれを無くす事が出来るのでしょうか。」
「一つしか方法はない。しかし、君には無理だ。」
「そうかもしれませんが、とにかく御教え下さい。」

「君はまず床屋に行ってその立派な髭を剃り、衣類を脱いで
腰紐だけを巻いて胡桃の入った桶を首から下げて市場に行き、
"私の頭を後ろから殴ってくれる少年に、胡桃を一個差上げます"
と言いながら裁判所まで行き、役人があなたに気づくのを待つのだ。」

「私にはその様な事は出来ません。それ以外の方法を教えて下さい。」
「あなたの自惚れを無くすにはこれしか方法がない。
私は最初に不可能だと言っておいたはずだ。そのようなわけで、
あなたの性格が直る見込みはない。」
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この話しの解説には、自分では真面目に真理を探求していると思い、
また他人のその様に思われていたとしても、実際には修行の完全なる
妨げとなる利己心などが動機となっている事がある、とあります。

悪行を働く場合よりも、却って精神修養や慈善行為などの社会的に善と
判断されている行為の場合の方が、真の隠れた動機を観察しにくい場合が
あります様に感じます。自分にとっても決して他人事などではなく、
常に気をつけねばと思います。
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「吉祥草を捧げる」

2006年06月24日 | Weblog


(  `m´) 「…吉祥草を 諸仏に捧げる事で
          生死衰老の無い金剛身が得られるとされます。

          吉祥草を模したものを捧げたり

          もしくは 乾燥して粉状にして
          粉香の中にブレンドされて焚かれるという形で捧げられる事もあります。
         
          また 吉祥草を銅器に盛って捧げると観想する事で
          その功徳が得られるとされます。」
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「着衣の作法 脱衣の作法」

2006年06月23日 | Weblog


現在この国で漢字や日本語の刺青が人気である様ですが、
中には望まぬ意味の漢字を彫られたり、間違った日本語を
指定されますケースが後を絶たぬ様です。
現在は除去治療が可能であるとの事ですが…。

この国の中で和装をするという事は、自分が日本人である
という大きな看板を持って歩く事と同じ意味である事を最近
感じました。
非常に歓迎されます事の多い反面、こうした事がありました。

和装の時に丁度必要に迫られて買い物に行きました。
カートを運びながら店内を歩いていると、サリーを着用した、
途中インド人の中年婦人を見かけました。
彼女はやや不機嫌そうな顔をしていましたが、わたくしとは無関係
である様ですので、特に気に留めませんでした。

わたくしがカートを自分の後ろにつけて商品を選び、十数秒後に
後ろを振り返ると、自分のカートとそのインド人女性が見えなく
なっていました。
彼女のカートはすぐそばにあり、間違える事などはとても考え難い
状態でしたが、その後彼女とカートを探しても、全く見つかりません
でした。

夫曰く、こちらに移住するインド人は大抵気位の高い人間であり、
彼女は自分だけの特権(民族衣装)を侵害されたと感じて、機嫌を
悪くしたのではないかとの事。しかし本当に故意でこうした行動に
出たのであれば、非常に子供っぽくも思うのですが…。

またメキシコ人には不思議と親日派が多い様に感じます。
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「チベット祈祷旗をかける祈祷」

2006年06月22日 | Weblog
日本でしばしば「全米が注目」「全米が泣いた」との
表現に出会いますが、毎回そうした事実はないと感じます
今日この頃です…部分的に当てはまる場合はありますが、
近年のそれは特に誇張になっております様に感じます。





「上師至尊度母与眷属(じょうししそんどもよけんぞく)
我等至心頂礼与帰依(がとうししんちょうらいよきえ)
所想一切三門之事業(しょそういっさいさんもんいじごう)
寿名財如願速自成(じゅとくめいざいにょがんそくじせい)。」
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人を構成する一つのもの

2006年06月21日 | Weblog
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アジア諸国の経済成長の速さとそれ以上に加速する食欲に
取り巻かれて、日本は1950年代の耐乏生活時の水準にまで
戻らなければならないほどの食糧危機に見舞われる可能性が
あると、日本政府関係者は考えていると6月10日付け
「ザ・オーストラリアン・ニュース」は東京発のニュース
として報道した。

その政府関係者が発する警告によれば、中国の台頭とますます
熾烈になる農産品をめぐる国際競争の結果、日本は今後10年
以内に豊かでバラエティーに富んだ現在の食生活を大幅に節減
せざるを得なくなるだろうという。食糧輸入が削減されれば、
白米、漬物、大根の味噌汁、それにいわしといった簡素な
食生活が常態なるかも知れない。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid
__2104009/detail?rd

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丁度バブル経済の只中から、環境破壊問題などがテレビなどで
少しずつ取り上げられ始めた様に思います。

そうした時に、将来予測される食糧難に備えるという半分は冗談の
企画の中で、昆虫入りの飴などをアナウンサーが口にして視聴者の
笑いを誘う内容の番組がありました。
しかしそれはニュース番組の中での一つの話題提供のためであり、
また当時は現在大衆文化の中に定着しているグルメ志向が発展し
つつあった時期であり、そうした報道などがあってさえ、それに
真剣に向き合おうとする流れは殆ど見られませんでした。

昨日上記の報道がありましたが、人々に対し10年後と言えば
実感がわかなく、永遠にそうした可能性がない様にさえ感じられて
しまいます。
そうした可能性が実現しない事を祈りますが、現在は日本でも
しばしば食事に対する感謝が完全に忘れられている例などが報告
されています。

以前目にした事がありますが、レストランから出される全ゴミの
半分は先刻まで皿に載っていた食べ物でありました。
人々が食事や食料というものに対し真剣に向き合ってあらゆる面から
考慮しなければ、この報道の内容の実現の可能性は高まる様に思います。
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