宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

ほうれん草の豆腐和えレシピ

2006年08月31日 | Weblog
ようやく普通の食事が出来る様になり、また
先週は食していなかった豆腐を食べたく感じ、
本日は精進料理とも言えるほうれん草の豆腐
和えを作りました。
レシピはこちらを参考にさせて頂きました。
http://allabout.co.jp/gourmet/washokukotu/
closeup/CU20051031A/index.htm

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(4人分)
木綿豆腐 2丁
ほうれん草 1束
塩、こしょう 各少々
【ドレッシング】
白練りごま 大さじ2
砂糖 少々
しょうゆ 少々
油 大さじ1
昆布だし入り味付けぽん酢 大さじ1
白いりごま 適量

1.豆腐はペーパータオルに包み、軽く水気をきる。
2.ほうれん草は塩少々を加えた熱湯で茹で、
水にとって水気をしぼり、食べやすい長さに切る。
3.豆腐を食べやすい大きさに手でちぎり、ボウルに
入れて塩、こしょう各少々をふる。
4.別のボウルにドレッシングの材料を入れてよく混ぜる。
5.3.に2.を加えて軽く混ぜ、4.のドレッシングで
和える。
味をみて足りなければ塩、こしょうで味を調える。
6.器に盛り、白いりごまを散らす。
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「15分でできる!」と記載されていましたが、本当に早く
簡単に作る事が出来ました。

体重が落ちてしまいましたので、服が突然大きくなって
しまった様に感じていますが、少しずつ戻ればと思って
おります。
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「コーランの読誦によって 喜びや幸福を受ける」

2006年08月30日 | Weblog





コーランの「 蜘蛛 (アル・アンカブート) 」を誦す事で
喜びや幸福が得られるとされる。

http://www.way-to-allah.com/jp/quran/29.htm




○ 蜘蛛


「アリフ・ラーム・ミーム。

人びとは 「私達は信じます。」と言いさえすれば 試みられる事はなく 放って置かれると考えるのか。

本当に 我は 彼ら以前の者も試みている。
アッラーは 誠実な者を必ず知り また虚言の徒をも 必ず知っておられる。

悪を行う者は 我を出し抜く事が出来ると考えているのか。
彼らの判断こそ 災いの元である。

アッラーに会う事を切望する者よ
アッラーの(定められる)期限は 確かに来る。彼は全聴にして 全知であられる。


信仰のために奮闘努力する者は 自分自身の為に 奮闘努力しているのである。
アッラーは すべてのものに 何一つ求めない。


我は信仰して 善行に勤(いそ)しむ者には 色々の罪を取り消し
その行った最善の事に 必ず報いるであろう。


我は人間に 両親に対して親切にするよう命じた。
だがもし 彼ら(両親)が あなたに対し 何だか分らないものを
我に配するように強いるならば 彼らに従ってはならない。
あなた方は(皆) 我の許に帰る。
その時 我は あなた方の行った事を 告げるであろう。

我は信仰して 善行に勤(いそ)しむ者を
必ず 正義の人びとの中に 入らせるであろう。


人びとの中には 「私達は アッラーを信仰します。」と言うが
一度アッラー(の道のため)に苦難に遭うと 人間の迫害を
まるで アッラーの懲罰であるかのように 考える者がある。

またもし あなたの主からの助け(と勝利)が(声?)されると
彼らは必ず 「本当に 私達は あなた方と一緒でした。」などと言う。
万人の胸の中に抱く事を 最もよく知る御方は アッラーではないか。


アッラーは 信仰する者たちも 偽信者たちをも 必ず知っておられる。

不信心の者は 信仰する者に向かって
「私達の道に従いなさい。 私達が あなた方の罪を 必ず負ってやりましょう。」と言う。
だが 彼らは 少しもあなた方の罪を 負いはしない。
本当に彼らは 虚言の徒である。


だが 彼らは自分の重荷を負い その上(外の)重荷をも負うであろう。
復活の日には 彼らの虚構していた事に就いて 必ず問いただされるであろう。


かつて 我はヌーフを その民に遣わした。
彼は その間に留まること 千年に欠ける50年。
人びとは悪を行っている間に 洪水に襲われた。


その時 我は 彼と方舟(はこぶね)の仲間とを救い それを万有のための訓戒とした。


そして イブラーヒームが その民に こう言った時を思え。
「アッラーに仕え 彼を畏(おそ)れなさい。
それが あなた方の為に 最も良い。もし あなた方が 理解するならば。

あなた方は アッラーを差し置いて 偶像を拝し 虚偽を捏造しているに過ぎない。
あなた方が アッラーを差し置いて拝するものたちは あなた方に 御恵みを与える力はない。
だから アッラーから糧(かて)を求め 彼に仕え 感謝しなさい。
あなた方は 彼の御許に帰されるのである。


あなた方が 嘘つき呼ばわりしても(よい)。
だが あなた方以前の諸民族も 嘘つき呼ばわりしたものである。使徒は ただ公明に伝えるだけである。」


彼らは アッラーが 如何(いか)に創造をなされ
それから それを繰り返されるかを知らないのか。それはアッラーには 本当に容易なことである。


言ってやるがいい。
「地上を旅して観察せよ。 彼が如何(いか)に 最初の創造をなされたかを。
やがてアッラーは 最後の(甦りの)創造をなされる。本当にアッラーは すべての事に全能であられる。」


彼は 御望みの者を罰し 御望みの者に慈悲を垂れられる。
あなた方は 彼の御許に返されるのである。


あなた方は 天においても地にあっても 彼(の計画)を
頓挫(とんざ)させる事は出来ない。
またアッラーの他に あなたの守護者も援助者もないのである。


アッラーの印を信じないで また
彼との会見を信じない者には 我の慈悲に与(あず)かる望みはなく 痛ましい懲罰があるだけである。


彼(イブラーヒーム)の民の返答は
ただ「彼を殺しなさい。焼いてしまいなさい。」と言うだけであった。
だがアッラーは 火から 彼を御救いなされた。
本当にこの中には 信仰する人びとへの印がある。


また 彼は言った。
「あなた方は 現世の生活において お互いの慈しみとして
アッラーを差し置いて偶 像を崇めている。
だが復活の日には あなた方は互いに(関係を)否認し合い 互いに呪い合うであろう。
住まいといえば火獄であり
あなた方には どんな救助者もないのである。」


ルートは彼(イブラーヒーム)を信じた。
彼は言った。
「わたしは主(の御許)に移り住もう。本当に 彼は偉力ならびなく 英明であられる。」


また我は 彼にイスハークとヤアコーブ(のような子孫)を授け
その子孫の間に 預言の天分と啓典を授け 現世の報奨をも与えた。
来世においても 彼は必ず 正義の徒の仲間になろう。


またルート(を遣わし) 彼の民に こう言った時を思え。
「あなた方は醜行をしている。あなた方以前に どんな世代でもしなかった事を。


本当に あなた方は 男性に近づき また公道で強盗を働く。
また あなた方の集まりで 忌まわしい事をしている。」

だが 彼の民は(答えて) ただ
「あなたが真実を言うのなら 私達にアッラーの懲罰を(湾?)してみなさい。」と言うだけである。


彼は(祈って)言った。「主よ 不義を行う民から 私を御助け下さい。」


わが使徒(天使)たちが 吉報を持ってイブラーヒームの許に来た時 彼らは言った。
「私達は この町の人びとを滅ぼそうとするところである。
本当に ここの住民は 悪を行う者たちばかりである。」


彼(イブラーヒーム)は言った。
「だがルートがそこにいる。」 彼らは言った。
「私達は 誰がそこにいるかを熟知している。
落伍者である 彼(ルート)の妻の他は 彼も その家族をも必ず救うであろう。」



わが使徒たち(天使)が ルートのところに来た時
彼は自分の無力さを感じ 人びとのため悲しんだ。
彼ら(天使)は言った。
「心配してはなりません。悲しんではなりません。
本当に私達は あなたの妻の他は あなたと あなたの家族をも救います。彼女は落伍者です。

私達は この町の人びとが邪悪無法なため 彼らに天から懲罰を下そうとするところです。」


本当に 我はそれによって 理解ある民への 明白な印を残したのである。


また 我は マドヤン(の民)に その同胞のシュアイブを遺わした。
彼は言った。
「私の人びとよ アッラーに仕え 最後の日を待ち望みなさい。
悪を行って 地上を退廃させてはならない。」


だが 彼らは 彼を嘘つき呼ばわりした。
それで 大地震が 彼らを襲い 翌朝 彼らは家の中に平伏していた。


また アードとサムードについては
(廃墟と化した)彼らの住まいによって 既に あなた方に明瞭である。
悪魔は彼らに 自分の所行を立派であると思わせ
立派な見識を与えられていたのに 正道から離反させる結末となった。


また カールーンとフィルアウンとハーマーンの事であるが
ムーサーが明証を 彼に(晒(さら)?)したが
それでも 彼らは 地上において高慢であった。
だが 彼らは(我を)しのぐ事は出来なかった。


それで 我は 彼らを それぞれの罪に照らして懲(こ)らしめた。
ある者には 砂石の暴風を送り
また ある者には一声(懲罰)で襲いかかり
また ある者は大地に沈め
また ある者を溺れさせた。
これは アッラーが 彼らを損なったのではない。彼らが 自分を損なったのである。


アッラーを差し置いて 他の主人を取る者を譬(たと)えれば
(自分で自分の)家を造る 蜘蛛のようなものである。
本当に 家の中でも最も弱いのは 蜘蛛の家である。彼らに分かっていたならば よかったのに。


本当にアッラーは 彼を差し置いて 彼らが祈る すべての事を知っておられる。
彼は偉力ならびなく 英明であられる。


これらは 我が人間のために提示する譬(たと)えである。
だが 知識ある者の他は これを理解しない。


アッラーは諸天と大地を真理によって創造なされた。
本当に その中には 信仰する者への印がある。


あなたに啓示された啓典を読誦し 礼拝の務めを守れ。
本当に礼拝は,(人を)醜行(しゅうこう)と悪事から遠ざける。
なお 最も大事な事は アッラーを唱念〔ズィクル〕することである。
アッラーは あなた方の行う事を知っておられる。


また啓典の民と議論する際には 立派な (態度で)臨(のぞ)め。
彼らの中 不義を行う者に対しては別である。
それで言ってやるがいい。
「私達は 自分たちに下されたものを信じ あなた方に下されたものを信じる。
私達の神(アッラー)と あなた方の神(アッラー) は同じである。
私達は 彼に服従 帰依するのである。」


我はこのように あなたに啓典を下したのである。
それで 啓典を与えられている者は
この(クルアーン)を信じる。
また これら(マッカの人びと)の中にも それを信じる者がある。
わが印を否定するのは 不信心者だけである。


あなたはそれ(が下る)以前は どんな啓典も読まなかった。
また あなたの右手でそれを書き写しもしなかった。
そうであったから 虚偽に従う者は 疑いを抱いたであろう。


いや これこそは 知識を与えられた者の胸の中にある 明瞭な印である。
不義の徒の他は わが印を否定しない。


だが 彼らは 「何故(なぜ)主から印が 彼に下されないのか。」と言う。
言ってやるがいい。
「本当に すべての印は アッラーの御許にある。私は公明な警告者に過ぎないのである。」


我があなたに啓典を下し
あなたは 彼らに読誦する。
彼らには それで十分ではないか。
本当にその中には 信仰する者への慈悲と訓戒がある。


言ってやるがいい。
「アッラーは 私とあなた方との間の 立証者として万全であられる。
彼は 天と地にあるものを知っておられる。
だから 虚偽を信じて アッラーに背(そむ)く者は 失敗する者であろう。」


彼らは懲罰を急ぐよう あなたに求める。
もし 定められた期限がなかったならば 懲罰は必ず 彼らに来るであろう。
彼らが気づかない中に 突然必ず襲うであろう。


彼らは懲罰を急ぐよう あなたに求める。だが地獄は 不信心者たちを取り囲んでいる。


懲罰は 彼らの上から また足元から 彼らを襲う。
その日(声があって)言われよう。「あなたの行った事を味わえ。」



信仰する 我のしもべよ 本当にわが大地は 広いのである。だから 我だけに仕えなさい。


各人は 死を味わわなければならない。
それから あなた方は 我の許に帰されるのである。


だが信仰して 正しい行いに勤(いそ)しむ者は
我は必ず 下に川が流れている楽園の高殿に 落ち着かせよう。
(永遠に)そこに住まわせる。(善)行を行う者への報奨は 何と ありがたい事よ。


これは よく耐え忍び 自分の主を信頼している者(への報奨である)。


自分の糧(かて)を確保出来ないものが 如何(いか)に多い事であろうか。
アッラー(こそ)は それらと あなた方を養われる。彼は全聴にして 全知であられる。


もし あなたが 彼らに
「誰が天と地を創造し 太陽と月を服従させるか。」と問うならば
彼らは必ず「アッラー。」と言うであろう。
それなら どうして 彼らは迷い去るのか。


アッラーは 御自分のしもべの中
御好みの者には 糧(かて)を豊かに与え また(そう望まれる)者には 切り詰められる。
本当にアッラーは すべての事を熟知なされる。


もし あなたが 彼らに
「誰が天から雨を降らせ それで 死んでいる大地を甦らせるのか。」と 問うならば
彼らはきっと「アッラー。」と言うであろう。
言え 「アッラーを讃えます」。
だが 彼らの多くは理解しない。


現世の生活は 遊びや 戯(たわむ)れに過ぎない。
だが来世こそは 真実の生活である。もし 彼らに分かっていたならば。


彼らは船に乗っていると アッラーに信心の誠を尽くして祈る。
だが彼が 陸に無事に送って下さると たちまち 彼らは偶像を拝みだし


我が 彼らに授けたものを ありがたく思わず 享楽に耽(ふけ)る。
だが 彼らは 今に分かるであろう。


彼らは 我が安全な聖域を定めたのに気づかないのか。
まわりでは 人びとが略奪に晒(さら)されているというのに。
それでも 彼らは虚構を信じ アッラーの恩恵に背を向けるのか。


アッラーに対し虚偽を捏造し 真理が(お?)されたのに
それを虚偽であるとする者よりも ひどい不義者があろうか。
地獄の中には 不信心者たちの住みかがないとでも思うのか。


だが 我(の道)のために奮闘努力〔ジハード〕する者は
必ず わが道に導くであろう。
本当にアッラーは 善(よ)い行(おこな)いの者と共におられる。」

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「静寂は巣で 音楽は鳥」

2006年08月29日 | Weblog
「夢はシャボン玉の様です。何も分ける事は
出来ません。普通私達は目覚めている時の
リアリティを『現実』として、夢を見ている時の
リアリティを『非現実』と思い込んでいますね。
けれども最終結論として、日中と夜の両方共が
同じ夢であるという事です。」
(タルタン・トゥルク)
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部分的立場

2006年08月28日 | Weblog
わたくし自身は道教や儒教、そして仏教の思想をも
包含しているとされる「法輪功」の信条や実修や
組織の運営の実状に関してあまり詳しくないのですが、
中国大使館のサイトや彼らの政府がこの法輪功に
関してなりふり構わずカルトだ、洗脳だ、邪教だと
声を張り上げるほど、却って法輪功が、少なくとも
組織や教条に関しては猜疑心を抱いて互いを見つめ合う
彼らの社会や国家の中において、精神の奥底からの飢えや
渇きを癒すものの一つに、健全な人々が健全な社会の
実現を求めている表現の一つになっている様にさえ
感じられてしまいます。

日本でも少しずつ彼らの国の中での法輪功実践者への
弾圧や拷問、殺害の現状報告が伝えられる様になりました。

http://www.epochtimes.jp/jp/2006/07/html/d97249.html

こうした許され難い行為も、恐らく彼らの国の中で行われている
全ての非道な行為のほんの一部に過ぎない様に思いますが、
これでかの国がどうして他国を批判など出来るのかと感じて
しまいます。
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油を使わないベークドポテトチップスレシピ

2006年08月27日 | Weblog


本日は以前ネット上で紹介されていたレシピを
利用させて頂きました。体調の悪い時でも食しやすく
思います。

油を使わないベークドポテトチップス
1.大きめの皿にクッキングシートを広げる。
2.その上にスライスしたジャガイモを広げ、電子
レンジで3分以上加熱して水分をとばす。
3.イモの表面に軽く焼き目がつき、水分がとんだのを
確かめて塩をふって出来上がり。

水分を完全にとばすためには4分近く加熱する必要が
あります。

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「穢気を除く」

2006年08月26日 | Weblog








大乗仏教の穢気の考え方に、
「朱に染まれば赤くなる」と同じく
「悪しき人には 業障が厳重に積もっており、
そのような人と交流した場合 自分にもその穢気が降りかかってしまう」
という教えがあります。

また 刑場だったような不吉な場所も 穢気の積もる場所であり
不用意に足を踏み入れた場合 容易に人に感染するとされます。

また 遺体から発する事もあり、
死者が出た家で 忌日を設けて 穢気を移さないようにする事も
大事であるとされます。

また 出産において生じる事もあり
汚らわしい事を語ったり
ふさわしくない貪心によって男女が接した時にも生じるとされます。


穢気を生じたり 被ったままであると
それは身心に積累し、心身が重くなって 気性が荒くなって怒りやすくなり
自己の元神(生霊・一霊)にも 好ましくない影響を与え、
瞑想や修行は進まなくなるとされ 悪趣に向かう要因ともなり
日常的に穢気を避け また祓う事が重要であるとされます。


穢気を除くためには 宗教的な香を焚く 呪や真言を誦すなど様々な法があります。



【教盛願文】

「由以三宝釈迦仏(ゆうじさんぽうしゃかぶつ)
三部怙主与弥勒(さんぶこしゅよみろく)
大阿羅漢十六尊(だいあらかなんじゅうろくそん)
及与蓮師諦実力(きゅうよれんしていじつりき)
祈願上師身寿堅(きがんじょうししんじゅけん)
祈僧増上与和合(きそうぞうじょうよわごう)
教法違縁願寂滅(きょうほういえんがんじゃくめつ)
進修事業祈増盛(しんしゅうじごうきぞうじょう)。」

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やがて藍色の光を見

2006年08月25日 | Weblog


驚くのは、この国に「喪に服する」「忌」という
発想が殆どない事でしょうか。葬儀でもピンク色
などの服を着用してくる人もいますし、また葬儀の
翌日に夫や兄弟両親はキャンプに行くと言うのです…
そうなると葬儀から帰宅して、落ち着く時間もなく
準備をして遊びに行かねばならない、という事に
なります。

この国の国教である新教(プロテスタント)では、
死者のために祈りを捧げる事が禁じられています。
「死者は既に行くべき所に行ったのだから祈りを
捧げる必要はない」との論理的帰結からである様ですが、
死者のために落ち着いて深く祈りを捧げたいという心は
何処かの教義や聖典解釈よりも深い、人間の本性に根ざした
ものであると感じます。

それを敢えて否定して、今現在生きている人間を中心に
置くのがこの国の文化の特徴の一つである様ですが、
反面死というものから常に目を背けたがっている様にも
感じられます。
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「崖っぷち」

2006年08月24日 | Weblog
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直木賞作家の坂東眞砂子さんが日本経済新聞に
寄せたエッセーで、自身の飼い猫が産んだ子猫を野良猫
対策として殺していることを告白し、波紋を広げている。
(中略)
「こんな事を書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
(中略)承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。」
と書き出し、飼っている雌の猫3匹には避妊手術をせず、
子猫が生まれると自宅隣のがけ下に放り投げていることを
明らかにした。
野良猫対策としての避妊手術は認めているが、「人は他の
生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を
殺す権利もない」との論を展開。
「獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然の中で
生きる事だ。」
「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する
責任として子殺しを選択した。もちろん殺しの痛み悲しみも
引き受けての事である。」と結んだ。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
この作家に関してはこれまで、名前さえも知らなかった
のですが、こうした見解を読み、人格と論理が破綻している
様に感じました。

御本人の論理からいくならば、猫を飼育し、自身の手で
生まれた子猫を放り投げる行為そのものもまず「人間の
干渉」であり、「獣にとっての生」の否定であって、
非常に矛盾を含んだものである様に思われ、御本人の
言葉全体から論理も殺害を肯定するいかなる正当性も
伝わってきません。

またこの動物の「生の充実」というものも、公平的な
観点というよりも、子猫を投げる御本人の感覚的力学
からの見地であり、彼女の自身の行為はそこから導き
出された病的なものである様に感じられます。

こうした記事が肯定的に一部の紙上で公然と掲載されて
しまう事を大変遺憾に思いました。
社会は子供達に命の大切さを教えなければならないと
しながらこうした狂態を否定する事なく一記事として
紹介してしまう側も本当にどうかしている様に感じます。

こうした話題が提供されるという事は、同じ病気の連鎖が
生み出されかねないという事でもあり、そこが非常にまた心配
される所です。
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不定の虹の光

2006年08月23日 | Weblog
先日医学専門誌の「精神薬理学」にて、実験によって
改めて幻覚性キノコの危険性が確認されたと発表
されたそうです。それが脳に与える幻覚作用は最も
長期の場合は数週間にも及び、また使用者に多大な
衝撃を与える様です。

こうした幻覚性キノコはいくつかの文化の中で、
変性意識を喚起する目的で儀式や祭りの中で使用されて
きた歴史がありますが、個人がいくらかの金銭を支払う
のみで誰でも比較的容易に入手出来、興味本位に利用
出来てしまう現状を危うく感じてしまいます。


先日一人の日本の大学生が、服用後に転倒か何かの
事故で亡くなったというニュースがありました。
この州では数年前になりますが、服用後に車の運転をして
事故を起こした人がいました。
飲酒運転よりも危険なその運転は、車を歩道に乗り上げさせ、
丁度ジョギングをしていた中企業の社長を轢き殺してしまった
そうです。
自身の人生を狂わせたのみならず、他の人から生命や家族を
奪ってしまったその人は現在服役中の様ですが、遊び的な
感覚や行動から生命さえも失う事態を招きえる事は、どんなに
強調されてもされ過ぎるという事はない様に思います。


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「はい、立ち止まらないで」

2006年08月22日 | Weblog


先日「米国を野次馬の国に変えた写真家」という記事を
読みました。
40年代から50年代にかけて、タブロイド新聞の有名な
写真家として活動したウィジーに関する記事でした。

その中で非常に的を得ていると思われた意見がありました。

「ウィジーの写真は何十万人もの新聞記者が、自宅に
いながら事件の現場や有名人を取り巻く野次馬に加わる事を
可能にした。
ウィジーの後にはケーブルテレビやインターネットが登場し、
マイケル・ジャクソンや、スコット・ピーターソンといった
法廷悲劇を繰り返し見せる24時間メディア・サーカスの一員
にした。

米国がイラクの泥沼や経済問題に苦しみ、世界が米国に
冷たい目を向ける中で、ウィジーが写した群集の子孫である
米国の大衆はCSIの様な犯罪捜査番組や、有名人の子供などへの
興味ばかりを高めている。
インスタント・メッセージを使って"アメリカン・アイドル"に
投票した様な人々が、ほんの一部でもいいから連邦議員に
電話をして最低賃金の引き上げを求めていたら、最低賃金が
10年も据え置かれた事はなかっただろう。」

現在は情報の流通量や速度と、その質や真の必要性の
バランスが非常によくないと言えるのかもしれません。
映像の提供や取得の自由性も、現在は20世紀とは比較にもならぬ
ほどに進んでおり、特にネットに接続可能であるならば、
自身の選択によって様々なものを、あたかもその現場にいるかの
様に目にする事が出来ます。

こうした技術が善用されるならば、それは過去には達成され
なかった恩恵を人々に与える事が出来ますが、現在は
様々な意図によって人々が不要な事に過剰に関心を抱かされ、
間接的な「野次馬」になるように仕向けられている様にさえ
感じてしまいます。
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