「金光明経 第十八」には
菩提樹の女神が発心し、
釈尊が その女神の言葉を読んだり聞く人は誰でも
甘露無生法門が得られると書かれているとされている箇所があり、
菩提樹は ヒンドゥー教の中でも特別な聖樹とされ、
菩提樹に水や牛乳を与えたり灯明を捧げるだけで 多くの功徳が得られるとされており、
そういった所からの影響があるようです。
以下 「金光明経 第十八」 です。
「爾時(にじ)
道場菩提樹神(どうじょうぼだいじゅじん)
複説賛曰(ぶせつさんわつ)
南無清浄(なむしょうじょう)
無上正覚(むじょうしょうがく)
甚深妙法(じんじんみょうほう)
随順覚了 (ずいじゅんがくりょう)
遠離一切 (おんりいっさい)
非法非道(ひほうひどう)
独抜而出(どくばつにしゅつ)
成仏正覚(じょうぶつしょうがく)
知有非有 (ちうひう)
本性清浄(ほんしょうしょうじょう)
稀有稀有 (けうけう)
如来功徳(にょらいくどく)
稀有稀有(けうけう)
如来大海(にょらいたいかい)
稀有稀有(けうけう)
如須弥山 (にょすみせん)
稀有稀有(けうけう)
仏無辺行(ぶつむへんぎょう)
稀有稀有(けうけう)
仏出於世 (ぶっしゅのうせ)
如優曇華(にょうんどんげ)
時一現耳(じいちげんに)
稀有如来(けうにょらい)
無量大悲(むりょうだいひ)
釈迦牟尼(しゃかむに)
為人中日(いにんちゅうにち)
為欲利益(いよくりやく)
諸衆生故(しょしゅじょうこ)
宣説如是(せんせつにょぜ)
妙宝経典(みょうほうきょうてん)
善哉如来(ぜんざいにょらい)
諸根寂滅(しょこんじゃくめつ)
而複遊入(にぶゆうにゅう)
善寂大城(ぜんじゃくだいじょう)
無垢清浄(むくしょうじょう)
甚深三昧(じんじんざんまい)
入于諸仏(にゅううしょぶつ)
所行之処(しょぎょうししょ)
一切声聞(いっさいしょうもん)
身皆空寂(しんかいくうじゃく)
両足世尊(りょうそくせそん)
行処亦空(ぎょうしょやくくう)
如是一切(にょぜいっさい)
無量諸法(むりょうしょほう)
推本性相(ゆいほんしょうそう)
亦皆空寂(やくかいくうじゃく)
一切衆生(いっさいしゅじょう)
性相亦空(しょうそうやくくう)
狂愚心故(きょうぐしんこ)
不能覚知(ふのうがくち)
我常念仏(がじょうねんぶつ)
楽見世尊(らっけんせそん)
常作誓願(じょうさせいがん)
不離仏日(ふりぶつにち)
我常於地(がじょうのうじ)
長跪合掌(ちょうきがっしょう)
其心恋慕(ごしんれんぼ)
欲見於仏(よっけんのうぶつ)
我常修行(がじょうしゅぎょう)
最上大悲(さいじょうだいひ)
哀泣雨涙(あいきゅううるい)
欲見於仏(よっけんのうぶつ)
我常渇仰 (がじょうかつごう)
欲見於仏(よっけんのうぶつ)
為是事故(いぜじこ)
憂火熾然(うかしねん)
惟願世尊(ゆいがんせそん)
賜我慈悲(しがじひ)
清冷法水 (しょうれいほうすい)
以滅是火(にめつぜか)
世尊慈びん(せそんじびん)
悲心無量(ひしんむりょう)
願賜我身(がしがしん)
常得見仏(じょうとくけんぶつ)
世尊常護(せそんじょうご)
一切人天(いっさいにんてん)
是故我今(ぜこがこん)
渇仰欲見(かつごうよくけん)
声聞之身(しょうもんししん)
猶如虚空(ゆうにょこくう)
焔幻響化(えんげんきょうか)
如水中月(にょすいちゅうがつ)
衆生之性(しゅじょうししょう)
如夢所見(にょむしょけん)
如来行処(にょらいぎょうしょ)
浄如琉璃(じょうにょるり)
入于無上(にゅううむじょう)
甘露法処(かんろほうしょ)
能与衆生(のうよしゅじょう)
無量快楽(むりょうけらく)
如来行処(にょらいぎょうしょ)
微妙甚深(みみょうじんじん)
一切衆生(いっさいしゅじょう)
無能知者(むのうちしゃ)
五通神仙(ごつうしんせん)
及諸声聞(きゅうしょしょうもん)
一切縁覚(いっさいえんがく)
亦不能知(やくふのうち)
我今不疑(がこんふぎ)
仏所行処(ぶっしょぎょうしょ)
惟願慈悲(ゆいがんじひ)
為我現身(いがげんしん)
爾時世尊(にじせそん)
従三昧起(じゅうさんまいき)
以微妙音 (にみみょうおん)
而讃歎言(にさんたんごん)
善哉善哉(ぜんざいぜんざい)
樹神善女(じゅしんぜんにょ)
汝於今日(にょのうこんじつ)
快説是言(けせつぜごん)
一切衆生(いっさいしゅじょう)
若聞此法(にゃくもんしほう)
皆入甘露(かいにゅうかんろ)
無生法門(むしょうほうもん)。」