観測にまつわる問題

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国際テロ対策と日本の役割(3)日本で重視されていない公的検証~松本サリン事件~

2018-01-09 21:10:10 | 政策関連メモ
少し遅くなりましたが、新自衛隊論(講談社現代新書 2015年)宮坂直史防衛大学校教授の「国際テロ対策と日本の役割」からの記事「国際テロ対策と日本の役割(1)」「国際テロ対策と日本の役割(2)内部脅威対策」に続く「日本で重視されていない公的検証」の記事を書きます(この記事で宮坂教授のパートに関する言及は終わります)。松本サリン事件が題材です。

>日本には、テロ事件のあとに、なぜそういうことが起きたのか、政府や関係機関の対応はどうだったのかを、第三者が一次資料にアクセスしたり関係者にインタビューしたりできる特別の権限を付与されて、検証し政策提言をした経験がありません。オウム真理教事件もそうでしたし、ペルー日本大使公邸占拠事件(1996~97年)でもそうです。失敗したことを含めいろいろ経験しているのですが、公的な検証が全然なされていないのです。

>1994年の松本サリン事件について言えば、事件そのものを防止するのは、当時の状況からしても難しかったと思います。

>問題はその後にあります。警察や自衛隊の一部は、オウム真理教がサリンを作っていることを把握したのですが、9ヵ月後の1995年3月20日、地下鉄サリン事件を起こされました。松本サリン事件があってから地下鉄サリン事件までの間、日本政府や関係機関はどう対応したのかとか、メディアはどうだったのか、一般の日本人は何を考えていたのか、そういうことがきちんと第三者委員会(あるいは独立調査委員会)によって検証されていません。

松本サリン事件はテロ事件であると共に、冤罪事件・報道被害事件でもありますが、筆者はこの時未成年でしたが、報道と同じ論調で、河野義行(ウィキペディア)さんが犯人に違いないと思った大勢の内の一人だったんですよね。>1994年(平成6年)6月27日夜に発生した松本サリン事件に際して事件の第一通報者となった。警察から事件への関与が疑われ、長野県警は河野の自宅の家宅捜索を実施した。この捜索において農薬が発見されたことや、「河野宅において不審な煙を見た」との証言があり警察からの嫌疑が深まった。後に証言については虚偽と判明し、また農薬からサリンは合成できないことが判明している。>警察の捜査および情報のリークを受け、地元紙の信濃毎日新聞や主要な全国紙を含め、多くのメディアが河野を犯人と決め付けて扱った。河野やその家族は断続的に長野県警松本警察署からの取り調べを受けたが、有力な証拠が見つからず逮捕されることはなかった。>その後、山梨県の上九一色村(現・富士河口湖町)のオウム施設周辺において不審な証拠が発見され、さらに1995年(平成7年)3月20日に発生した地下鉄サリン事件によって、松本サリン事件もオウム真理教の犯行であることが判明し、河野への疑いは完全に解消された。>捜査当時の国家公安委員長であった野中広務は、長野県警から推定有罪的で執拗な取り調べがあったことなど、度を越していた河野に対してへの行為について直接謝罪したが、マスメディア各社は報道被害を認めて謝罪文を掲載したのみで、本人への直接謝罪は皆無であった。長野県警は遺憾の意を表明したのみで「謝罪というものではない」と公式な謝罪を行わなかった。長野県警本部長が当時の捜査の誤りとそれに起因する河野の被害について謝罪したのは河野が長野県公安委員会に就任して以後のことであった。

分かる人は分かっていたんでしょうが、報道を通じて国民大勢が間違った事件であるがゆえに、検証されることが無かったという側面もあるのではないかと思います。

しかしながら、それが結局地下鉄サリン事件に繋がったことを考えると、何故オウムを野放しにしてしまったのか、国民自身のためにこそ考える必要があると思います。

筆者が何故河野さんが犯人と思ったかというと、知識不足にあるのではないかと思います。理系(名城大学理工学部卒)で農薬が発見されたことなどから、自分で実験中に失敗したように見えたんだと思うんですよね。当時もそうでしたが、神経ガスによるテロなど考えられず(オウムが起こした事件以外に類似の事件がありません)(北朝鮮がせっせと化学兵器をつくっていることを警戒しなくていいと主張したい訳ではありません)、化学マニアみたいな人の実験失敗みたいな仮説が合理的な説明のように少なくとも筆者には思えました。今から振り返っても真犯人(オウム真理教・麻原彰晃)の松本サリン事件の意図は分かり難いところがあります。裁判の邪魔をしたかったとか、敗訴の可能性は低かったから実験だとか言われているようですが、河野さんはまったくのとばっちりですし、省庁制を持つ荒唐無稽な宗教団体(ただし省庁制を持ったのは松本サリン事件と同日だそうです)がテロの実験をしたとして、その先に日本国打倒を目指していたのかどうなのか知りませんが、こんな空前絶後の事件をやはり想像することは難しかったんだろうと思います。

かと言って仕方ないで済ませるつもりもありません。宮坂教授も指摘しているように、事件を振り返ってみても、中々松本サリン事件を防ぐことは難しかったとは思いますが、技術的に個人がサリンをつくることは有り得ないという一部の専門家の指摘はあったこと踏まえ(残念ながら筆者の記憶にはありません)、原因が良く分からないのですから、「松本サリン事件に関する一考察」という怪文書をもうちょっと真剣に検討していれば、地下鉄サリン事件の方は何とかなったのかもしれません。松本サリン事件後、読売新聞が一面で上九一色村でサリン残留物が検出されたとスクープしていますし、銃の密造がバレて警察の捜査も入っています。オウムが何もしなければ、いずれは警察がオウムを潰したのかもしれませんが、そうなる前に逆にオウムが暴走して事件を起こしてしまったという形です。これは勿論テロ集団を野放しにしていいという意味ではありません。話は逆でビシッと怪しい集団をマークすることができれば、事件は未然に防止できたと考えるべきでしょう。今にして思えば、松本サリン事件があって、読売のスクープがあった時点で一般でもほぼオウムが真っ黒だと認定できたように思います。この辺は河野さんの冤罪問題があったがゆえに適切な警戒ができなかったのかもしれません。推定無罪の考えは大切でしょうが、怪しいものは怪しいと決め付けなければ、犯罪者・犯罪集団の暴走を防ぐことは難しいのもまた真理でしょう。別に無茶な捜査をしろと言っている訳ではありません。人員を割いて徹底監視・徹底マークできていれば、オウムとて暴走のしようが無かったはずです。通常ではつくりえない毒ガスが実際に使用されたということは、通常ではありえない能力を持つ犯罪者・犯罪者集団がいるということに他なりません。

一連の事件の教訓は、化学兵器の研究・知識は必要であること(実際に化学兵器を持てとまでは言いませんが)、専門家の技術的な話は重んじること、化学兵器の製造を防ぐ技術的取り組みを重視すること(材料の入手をマークしていれば、同様の事件を起こしにくくなることは明らかです)、製造知識の頒布をチェックすること、監視の実効手段を強めること(裁判所が許可すれば怪しい集団に盗聴器を仕掛けて監視することが考えられます。そうできれば、オウムが地下鉄サリン事件を起こす前に逮捕できたかもしれません)、テロ等準備罪で事前に捕まえてしまうことなど考えられるのではないでしょうか?オウムは違法薬物を使用していましたから、その線で攻めることもできたかもしれません。

オウムの荒唐無稽な側面は後から見れば、有名な怪しい選挙活動でも分かるのではないかと思います。

また、松本サリン事件の証言は後に虚偽であることが判明していますが、偽証罪の積極運用・厳罰化による抑止は考えられていいのではないかと思います。

偽証の罪(ウィキペディア)

>裁判員制度の開始に合わせて、検察は偽証罪の積極的な適用を進めているとされる。プロの裁判官とは違って、裁判員が嘘の証言を見破るのは容易ではなく、法廷での証言は真実という前提でなければ、裁判員制度の根幹が揺らぎかねないからである。今まで、適用例が少なかったのは、偽証の多くは客観的な証拠が少なく、捜査に手間がかかる上、偽証があっても有罪判決が出れば、問題にしないこともあったからだといわれる

>一方で、2006年(平成18年)8月、強制わいせつ罪の容疑で起訴された長男の公判で「虚偽の証言をした」として、さいたま市の夫婦が偽証容疑で逮捕されたが、夫婦は検事から「刑務所に送ってやる。獄中死しろ」「人間の屑だ」などと暴言を吐かれ、結局、妻は無罪、夫は起訴猶予処分となった。夫婦は2009年(平成21年)8月7日、日本国政府を相手取って770万円の損害賠償を求める裁判を起こした。夫婦の弁護団は、検察が裁判員裁判に向けて偽証罪を積極的に摘発していること、検察と違う証言をすると逮捕される危険性を孕んでいることを指摘している。

元検察政治家がシャアシャアと自演して嘘を吐きまくるような世の中ですから(推定無罪じゃなくて申し訳ありませんが)、検察を何処まで信用していいのかそういう問題もあるのかもしれませんが、一般に物証→人証、他人の証言→家族・親族・友人の証言という図式は成り立ちますから、証言が真正のものか偽証か分からない段階であっても、親の証言を軽いものとして見ない検察に問題があったんだろうと思いますし、そういう認識で社会や司法が対応していけば、検察の暴走は防いでいけるんだろうと思います。

松本サリン事件で偽証した人がいかなる理由でそうしたのか、あるいは何気なしに思い込みで言ってしまったのか知りませんが、故意でないとすれば(分かりませんが)、人の記憶とはいい加減なもので、証言の取り扱いには注意すべきなんだろうと思います。

偽証の罪には主観説と客観説の対立があるようです。松本サリン事件の場合を考えると、主観説であっても客観説であっても、結果的に事実でない証言を本人が事実と信じて証言したケースでは無罪となり、故意に事実でない証言をした場合では有罪になるようであり、一見記憶に反する証言を罪とする主観説の方が分かり易くて良い印象がありますが、記憶に反しているかどうかをどう立証することを考えると客観説の方が優位にある印象があります。サリンが河野さんがつくれないと客観的に認定される時、煙を見たという証言は怪しいということになりますが、いや見たんだと「犯人」が言い張った時、あるいは誤解だったとあくまで主張した時、嘘をついている/ついていないをどう判定するかの問題です。心が読める機械がある訳ではないので、主観説だと偽証の罪を立証するのが難しくなってしまい、運用されないということになるのではないですか?今は主観説の方が有力であるようであり、その結果運用されていないということかもしれません。客観説ならまず事実に反していることが認定されればひとまず罪だと断定できます。後は故意が阻却されるかどうかですが、河野さんに恨みがあるというケースや証言者にオウムを擁護する理由があるケースでは阻却せず、そうでないケースでは阻却すればシンプルです。知らずにやったら許されるのが罷り通るのも疑問ですが(皆「記憶に無い」を連発するでしょう)、人間の記憶の曖昧性を考えると事実と違ったからと言って一々全部ブタ箱に入れていると、刑務所が幾つあっても足りません。事実と違った時点で罪とし、嘘を吐く理由があると客観的に判定される場合は、本人が何と言ってもブタ箱に入れればいい訳です。事実と違った時点で罪ですから。親・友人の偽証の場合は情状酌量の余地があるとして罪を軽くしたり、虚言癖のある人物や怨恨犯やオウムの犯行を誤魔化すといったような悪質なケースでは情状酌量しなければいいと考えられます。偽証罪の時効は7年ですから、オウムの問題が明らかになって、事件の全貌が明らかになってから立件しても遅くはありません。参考:1 偽証罪(169条)(司法試験用 刑事法 対策室)

以上ですが(投稿日時が9日夜になっていますが、主観説と客観説を検討している間に寝てしまいました。その部分だけ10日朝に考え朝に投稿しています)、筆者も素人ですし、宮坂教授が挙げるもうひとつの事件「在ペルー日本大使公邸占拠事件」の方は(知っていはいますし、確認しましたが)はどういう検証があるべきだったのか特に良く分かりません。いずれにせよ、そうそう回数がある訳ではない重大事件に関しては、専門的知見を踏まえた公的検証が重要ではないかと思います。十分な経験を積むのを待つ訳にもいきませんし、何もせずに同様の事件を繰り返される訳にもいきません。

食品ロスあれこれ

2018-01-09 20:30:36 | 日記
食品ロス削減 過度な「鮮度志向」見直したい(読売社説 2018年01月09日 06時00分)

>大きな要因とされるのが、加工食品の商慣習である「3分の1ルール」が存続していることだ。

>製造から賞味期限までの期間の3分の1を過ぎると、メーカーや卸売業者は小売店に納品できない。まだ食べられる商品が、廃棄を余儀なくされる仕組みだ。売り場でも、賞味期限まで一定期間を切った商品は撤去される。

>小売業者は消費者の「鮮度志向」を理由に挙げる。しかし、適切な商品知識を普及させることこそ、業界には求められよう。

>賞味期限は、傷みやすい食品に表示される消費期限とは異なる。おいしく食べられる期間のことであり、直ちに捨てなければならない日付というわけではない。

>ここ数年、一部の大手小売りチェーンなどでは、3分の1ルールの見直しが始まっている。保存性の高い菓子や飲料について、納品期限を「賞味期限までの期間の2分の1」に延ばすものだ。

>卸からメーカーへの返品や廃棄が減る成果が報告されている。

読売社説で食品ロスについて論じられていました。具体的な対策にも踏み込んでいますね。こういったことに関して、筆者はあまり考えたことが無かったのですが、昨日間伐での廃棄物対策に言及しましたし、こういうテーマを考察してみるのも面白いと思って、いろいろ考えてみました。以下、筆者のツイッター投稿を纏めておきます(一部加筆修正)。

食品ロス対策としては、既に食品ロス削減国民運動(NO-FOODLOSS PROJECT)(農林水産省 食料産業局バイオマス循環資源課食品産業環境対策室)などあるようですが、これを掛け声だけに終わらせず更に実行していくことが必要かもしれません。バイオマス発電に関しては、木材の輸入による発電という本末転倒の状況があるようですので、昨日批判的に言及しましたが、まぁさすがに食品ロスを削減するために食品を輸入するなんてことはないとは思います。2014年においては家庭から282万トン、食品産業から339万トンの食品が廃棄されているようです。食品産業で廃棄される食品のうち、35%が外食産業から、18%が食品小売からだそうです。外食産業の食品ロスを減らす有効な手段は食べ残しの持ち帰りであるようです。アメリカでは実行されているみたいですね。持ち帰りには食中毒のリスクもあるようですが、店側に責任はないとハッキリさせることが有効であるかもしれません。以上、台湾出身のグルメジャーナリスト東龍さんの記事「食べ残しをやめられますか? 「食べ残し」対策の留意事項から外食産業の食品ロスを考える」(Yahooニュース 2017/5/21(日) 10:31)を参考にしました。飲食店とお客様の行動、法的対応の難しさに関しては、同氏の「お笑い芸人の店で60人の無断キャンセル。どうしても飲食店ができない3つの有効な対策」(Yahooニュース 1/7(日) 16:35)も勉強になります。

食品廃棄と言えばコンビニ弁当のイメージがあるかもしれませんが、量的には食品小売の廃棄量は外食の半分ほどに過ぎません。個食化が進む中、自分が食べる分だけ惣菜を買うというスタイルには食べ残しがないことに留意してもいいのではないでしょうか?

冷蔵庫にある材料で料理をつくるのは主婦の腕でしょうが、これからはコンピューターがレシピを提案するというのも有り得るかもしれません。食べたいものありきの発想ではなく、食品廃棄を減らした上で食べたいものを食べる発想が重要かもしれませんね。野菜等の保存テクニックもあるようです(鮮度がぐっと長持ち!野菜の保存テク① −包んでくるんで冷蔵保存−(Nadia 2016.03.31)。教えていないのであれば、例えば家庭科の時間で、調理だけでなく、そういったことを教えておくことも考えられます。

以下、食品ロス(ウィキペディア)を参照しましたが、見た目の悪い食品や規格外のサイズの食品の廃棄の問題も大きいようです。中身に問題がないのであれば、業務用で使うことも考えられるかもしれませんし、キャンペーンなどで消費者の意識を上げて利用していくことも考えられるかもしれません。食べられないものもありますし、食べ切りを強制するべきではないと思いますが、工夫で給食の食べ残しを減少させた学校もあるようですね(“給食食べ残し問題”減少させた学校とは? 日テレNEWS24 2017年9月25日 16:09)。日本国内で1年間に廃棄されている食品に由来する廃棄物は約632万トンであり、2009年における世界の食糧援助の合計570万トンと比較しても日本の食品ロスはきわめて膨大なのだそうです。スーパーなどでの食品廃棄物をどう促進していくかも重要な課題ですね(スーパー及びコンビニエンスストアにおける食品廃棄物の発生量、発生抑制等に関する公表情報の概要(環境省))。




「無期契約転換ルール」に対する脱法行為とその対策、解雇規制の緩和

2018-01-09 18:55:50 | 政策関連メモ
社説[無期転換ルール]「抜け穴」ふさぐ監視を(沖縄タイムス 社説 2018年1月9日 07:33)

>雇用期間に定めのある労働者が同じ職場で5年を超えて働くと、正社員と同じように定年まで勤めることができる「無期転換ルール」が、ことし4月から本格運用される。

>新ルールを先取りして無期契約を進める企業がある一方、「ルール逃れ」とみられる動きも出始めている。

>厚生労働省の調査によると、大手自動車メーカー10社のうち7社が、再契約までの間に6カ月以上の「クーリング期間」を設け、無期契約への切り替えができないようにしていた。

>職場を離れて6カ月以上の空白があれば、それまでの雇用期間をリセットできるとする労働契約法の悪用ではないか。

>さらに有期契約職員の雇用期間の上限を5年までとする大学や研究機関などもあり、4月以降、大勢の雇い止めが出るのではないか懸念される。

こうやって法の目をかいくぐって、不当な利潤を追求しようとする企業が多いから、人手不足が叫ばれながら賃金が上昇しないとか、無駄に内部留保がたまるってことになるんでしょう。ただ、非正規が全て正規に切り替わったら持たないのではないかと考える企業もあるかもしれません。5年もあったのだから、当然対策が練られておいて然るべきですが、その対策が規制回避なのですから、何をか言わんやです。

これまでにも取り上げてきましたが、解雇規制の緩和はしておくべきでしょう。正社員でも会社の事情に応じて解雇ができないなら、弱い立場の新入りに皺寄せするしかありません。解雇規制に関しては「なぜ日本で「解雇規制の緩和」が進まない? 倉重弁護士「硬直した議論はもうやめよう」」(ORICON NEWS 2018-01-08 09:22)を参照しましたが、>解雇するだけして、企業が金銭を払わないという事態を招くのではないか、という指摘もありますが、支払義務の規定を労働基準法に入れてしまえばいいのです。そうすると、金銭が支払われなかった場合、弁護士に依頼しなくても、労働基準監督署が動くことができます・・・という指摘もあって、乱発を防ぐことは可能であると考えます。筆者も以前「解雇の金銭解決制度と人手不足の解消、賃上げ、経済成長」という記事を書きましたが、解雇の問題は経済問題ですから、お金で解決することをもっと考えるべきでしょう。ここで強調しておきたいことは、少子高齢化社会において、社会全体の流れとして、社員を年功序列で評価して若者を働かせるなんてシステムは維持不可能だということです。これはもはや結論ありきで、無理なものは無理だと言わざるを得ません。社会全体で新卒採用→終身雇用・年功序列で少子高齢化社会を乗り切るアイディアがあるなら、ノーベル賞ものじゃないですか?終身雇用・年功序列は上に優しいルールであることは明らかですが、上が重いまま逆ピラミッドになったら上手くいかないに決まっています。それがバブル以降今ひとつ上手くいかない原因のひとつだと考えます。筆者も努力の大切さを認めないものではありませんが、「mission impossible できないことをやろうとしない」ことも大切なはずです。日経社説「技術革新に合わせた労働政策を テック社会を拓く」(2018/1/9)からの孫引きですが、>リクルートワークス研究所の調査によると、正社員で「継続的な学習習慣のある人」は17.8%にとどまる。自分の将来ビジョンを描き、能力開発に励む人は少数派だ・・・ということのようです。これは正社員になったらもう安全という社会と無関係ではないと考えられます。正社員になっても、継続的な能力開発をしないと、解雇され得る社会にならなければ、能力開発に力を入れる人が増えるはずもありません。自ら能力開発するつもりのある人が増えない限り、生産性革命は掛け声倒れに終わるんじゃないですか?少なくとももう少し解雇規制を緩和した方が、逆説的ですが自分の身は自分で守るで人的資本は蓄積するのではないかとも考えられます。また、その会社で一生勤められないかもしれないという認識が一般的になれば、活気のある業界に移ることを考える人が増えるんじゃないでしょうか?労働市場が流動的になって社員が下手に能力開発すると逃げられるのではないかと後ろ向きのことを考える企業もあるかもしれませんが、企業は企業でコアになる人材はより良い待遇で囲めばいいはずです。そういう動きが広まれば、コアになる人材になろうと能力開発に力を入れる人が増えると考えられます。こういう社会になれば、競争からドロップアウトする人も出てくるかもしれませんが、今時死んでしまうこともないでしょう。高望みしすぎなければいいだけで、それもひとつの生き方だと思います。

クーリング期間や雇用期間の上限を設ければただでさえ低いと指摘される生産性が上がらないことは明らかでしょう。かといって新ルールがなければ、同一労働同一賃金が実現することはありません。「クーリング期間」に関して言えば、空白をリセットできる期間を延ばすとか、リセットを認めないようにするとか、あるいは6ヶ月の空白があれば雇用実績を6ヶ月マイナスして計算するなどの対策が考えられます。雇い止めの懸念に関して言えば、正当な理由無く雇用期間の上限を設けることを違法にすることが考えられるかもしれません。

安倍政権は、同一労働同一賃金の流れを維持しつつ、解雇規制の緩和に踏み込んでいくべきだと筆者は考えます。