観測にまつわる問題

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東アジアと夫婦別姓考

2018-01-12 23:43:19 | 政策関連メモ
日経社説 2018/1/11「夫婦別姓に真剣に向き合おう」を読みました。夫婦別姓は以前何度か取り上げたテーマですので、フォローしておきます。以下、facebookコメントの再録に出典をつけた記事になります。

夫婦別姓は認める必要ないと思いますね。別に同棲を否定している訳ではなく、結婚=同姓はひとつの規格です。もし部分的にでも夫婦別姓を認めたら、同棲と既婚の区別が容易につかなくなります。欧米でも選択は出来ても実際問題妻が名前を変えたり複合姓にすることが一般的なようです。

一方で韓国や中国は原則夫婦別姓で選択の余地がありません。これは日本との大きな違いです。韓国や中国の人が帰化するのは別に構わないと思いますが、日本の慣習を受け入れられないなら、別に帰化してもらう必要は無いと思います。これは定着した文化であり個性なのであって、どちらも歩み寄る必要はない問題だと思います。韓国や中国は元は離婚率は低かったですが、経済発展に伴い日本より離婚率が上回ってしまいました(図録 主要国の離婚率推移(1947年~))。結婚という制度に一体感がないことも原因のひとつではないかと考えられます。パートナーの名前に変えたからと言って、実家との繋がりが消えることも全く無く、文化的な弊害があるとも思えません。別に子供が無い夫婦を否定するつもりはありませんが、結婚が子供をつくる前提は否めません。子供をつくることは特に現代においては経済的にはマイナスになりがちです。少子化が進めば国や社会は存続しない訳で、お上が結婚をサポートするのは現代的にも意味があります。子供の立場になってみてください。夫婦の姓が同じであれば、どちらも等しく見やすいと思いますが、別姓の場合自分と違う姓は常識的に考えて違和感がないとは言えないんじゃないかと思います。

経済的なロスはあるかもしれませんが、全てを合理的にする必要もありません。元号なくして全部西暦にしろという主張のようなもので、全てを経済合理性で考えると、文化など一瞬で消えてなくなります。日本は数多い名字がありますが、これは家の文化と関係があると思います。家を存続させるため婿をとったり、養子をとったりしてきたから多様な名字が残ったということもあるんじゃないですか?これが夫婦別姓の国だと妻の名字はドンドン消えていくことになりますよね。それだけが原因じゃないと思いますが、韓国の名字は300種類で、中国の名字は4100種類、日本の名字は30万種類です。

※追記:以下、沖縄タイムス社説 2018年1月13日 10:53「[夫婦別姓で提訴]歴史を前に進める時だ」を読んでのツイッター投稿を纏めています。

>戸籍法の規定では、「日本人と外国人の結婚」「日本人同士の離婚」「日本人と外国人の離婚」で同姓か別姓かを選ぶことができる。「日本人同士の結婚」だけ別姓が選べないのは戸籍法の欠陥であり、法の下の平等を定めた憲法に反するというのが原告側の主張だ。

外国人に日本の慣習は強制できませんし、離婚後は自由にしたらいいと思います。「日本人同士の結婚」は同姓のみは日本の慣習の維持であり、例外を認めると慣習は成立しません(別姓が婚姻の証拠か同棲か判断できなくなります) 。筆者は外国人にも人権はあるという立場ですが、憲法14条を読む限りでは「すべて国民は、法の下に平等であって」ですから、日本国憲法にある法の下の平等規定では、外国人と自国民の権利を同じにする論理を導くことは不可能だと思います。固より外国人と自国民の権利が全く同じである国が存在するとも思えません。いずれにせよ、別姓にする権利は現状でも存在するのであって(誰も同棲している人に結婚を強制する権利はありません)、日本国が結婚は同姓と決めているからと言って、何ら権利が侵害されているということにはならないだろうと思います。逆に一部国民の主張が通らないからと言って権利が侵害されていると考える方がおかしいでしょう。自分達の主張を通したいなら、政治を通して法を変えて実現をはかるべきです。その権利は認められているのですから、我侭を言うべきではありません。また、法制度上は両性どちらの姓を選んでもいいのであって、法の下の平等は制度上実現しています。慣習の問題に政府が積極的に関わるのも疑問が無きにしもありません。結婚する権利は認められていますが、結婚の内容を一部の人が勝手に決める権利は認められないと思います。現状の規定は合法的に成立していますし、憲法の規定にも矛盾していませんから、原告の主張は成り立ちません。

>東京地裁に提訴した1人、ソフトウエア開発会社「サイボウズ」の青野慶久社長は、結婚に際し妻の姓を選択した。「名字を変えたくない」という妻の希望に沿ったもので、「名前が二つあったらおもしろそう」と深く考えずに改姓したという。

>ところが仕事では旧姓の「青野」を使用し続けたため、パスポートや株主総会などで戸籍上の姓を強いられ想像以上に支障が出た。銀行口座や印鑑、クレジットカードの名前を変えるのもかなり面倒で、当時保有していた自社株の名義変更には数百万円かかった。

>結婚までに築いたキャリアが分断されないよう旧姓を通称として使用したのに、公的な書類では結婚後の姓を強いられるというストレスは、多くの女性たちが感じてきたことでもある。

青野氏が不便な思いをしたのは、別姓が認められないからではありません。青野氏が二つの名前を使い分けようとしたからです。

姓を変えるとなると結婚時に手間がかかることは否めませんが、結婚式の手間隙、出産・子育てに伴う苦労を考えると、一々そんなことを気にしているようであれば、先が思いやられるとしか言いようがありません。

個人事業主がキャリアの分断を考えるのは妥当だと思いますが、ペンネームや芸名みたいなもので、本当の名前を結婚後の名前だと思えるかどうかがポイントになるんじゃないですか?戸籍の名前が本名で、通称が仮の名前と判断するしかありません。

歴史を振り返れば、本名をコロコロ変えることは良くあった話です(幼名など)。有名人でもなければ(青野氏は有名人かもしれませんが)、「キャリアの分断」もほとんど影響はありません。

「名字を変えたくない」で裁判までする人を見ていると、少々手間でも日本人として日本に住むなら日本の慣習を尊重すべきだとしか思えませんね。尊重したくない慣習があるのは止むを得ませんが、尊重しないことによるデメリットぐらい引き受けることはできないんですかね?例外を認めると、日本人が結婚したら同姓という社会通念が維持できないので、例外を認めることは有り得ないと言っています。

交通事故の増減の決定的要因の考察

2018-01-12 19:43:04 | 政策関連メモ
昨晩、日経社説 2018/1/12(11日夜更新)「交通事故死をもっと減らそう」を読んでいろいろ考えたのですが、今日【韓国の反応】みずきの女子知韓宣言(´∀`*)(2018年01月12日16:00 【韓国の反応】「なぜ日本の交通事故死亡率は韓国の3分の1なのか?」)を見て、「昨晩調べた時は、結構日本の事故率高くなかったか?」と疑問に思い、再調査しました。とりあえず分かったことを箇条書きで纏めていきます。

①死亡率が激減しているのは、大体シートベルトとエアバッグの普及が原因ではないか?

シートベルトとエアバッグのデータをグラフ化してみる~「戦後の交通事故・負傷者・死亡者をグラフ化してみる」後日談(Garbagenews.com 2009年01月07日 12:00)

「1946年~2008年の交通事故発生件数・負傷者数・死者数(人)(再録)」を見ると、第二次交通戦争のピーク1990年から死亡率はドンドン減っていますが、2000年まで負傷者と発生件数は増えています。事故が増えて負傷者が増えているのに死亡者が減っている原因は(重大事故を緩和する)機械的なものと考えるのが妥当でしょう。運転技術の問題など他の原因で事故を増やし死亡者だけ減らすのは考えにくいはずです。実際に「衝突安全装備の普及率(保有ベース)」を見ると、1990年以降ドンドン安全装置が普及しているのが分かります。このデータは保有ベースとのことなので、多分新車はそのあたりでほぼ安全装置をつけるように切り替わっているのではないかと考えられます。

そう考えると、一般に途上国の交通事故死亡率が高いのは安全装置の有無の問題が大きいのではないかと推測できます。韓国も死亡率が高いのですが、調べてみるとヒュンダイの安全評価は決して低くありません(装置の有無と機能を見落とす海外評価は考えにくいところです)。じゃあ国内用と輸出用で違う車つくってるのかな?と考えたのですが、どうもビンゴくさい(参考:韓国ヒュンダイ自動車のエアバッグ 激突しても作動せず「飾りか?」の声「情報は自分で取得し、自分で判断する」2011/7/22(金) 午前 11:58)。さすがにヘル朝鮮と言われるだけあります。韓国財閥の輸出に賭ける執念は侮ってはならないのかもしれませんね。

死亡者数の減少は運転技術の問題というより、装置的な要因が大きいのではないかと推定した訳ですが、そう考えると気になるのはチャイルドシートの普及です。

相変わらず低い日本のチャイルドシート着用率。ワースト1位常連のあの県は、出生率の高さが影響しているのかも…(美ST ONLINE 2017.07.28)

「法制化から17年経過してもいまだ使用率は64.1%」で、欧米自動車先進国での使用率はほぼ100%だそうですから、日本もまだまだなところはありますね。愛知(や岐阜)はさすがトヨタのお膝元だけあって意識は比較的高いようです。シートベルトの着用率も高いみたいですね。逆にチャイルドシートやシートベルトの着用率も低い県があるようですね。我らが愛媛もチャイルドシートの着用率が低いとの指摘も・・・。警察は子供が亡くなる事故が起きてもチャイルドシートの使用状況についてほぼ言及しないのだそうです。

②事故数の減少は、道路交通法の改正と取り締まり状況の変化が大きいのではないか?

平成25年度 交通事故の状況及び交通安全施策の現況(内閣府)

平成10年あたりから事故数が横ばいになった後、平成16年をピークに事故数そのものが減少していることが分かります。この内閣府のデータでも死亡率の減少との大きなズレが確認できますが、事故数減少のトレンドも何か原因があるはずです。完全自動運転はまだ先ですし、これは機械的な要因ではないでしょうが、何か明白なトレンドを生み出す要因があるはずです。どうもこれは道路交通法(ウィキペディア)の改正とそれに伴う取締り状況の変化にあるのではないかと思います。ウィキペディアを眺めると1999年(平成11年)11月1日の「運転中の携帯電話の使用が禁止」を皮切りに、2000年(平成12年)10月1日の「軽自動車、自動二輪車の高速道路での法定速度の変更(80km/h→100km/h)」(元々高速道路の法定速度は守られていないと思いますが、法定速度が上がったことにより、追い越し車線の遅い車が減って、追い越すための危険運転が減少したとも考えられます。参考:高速道路の追越車線は遅く走らないで!スピード違反車より事故の原因になると動画で解説!(MOBY 2016年08月31日更新))、2002年(平成14年)6月1日の「酒酔い運転、酒気帯び運転、死亡事故など悪質・危険な違反の罰則強化」、2004年(平成16年)11月1日「走行中の携帯電話等の使用の罰則強化」「酒気帯び検査拒否の罰則強化」・・・その他諸々数が多いので後は省略しますが、立て続けに重要そうな法改正が続いており、それに伴い警察が取り締まったことで、危険運転が減って事故が減ったのではないかと考えられます。少なくとも人口動態や運転者の自主に任せた運転マナーの向上では事故数の減少は説明がつかないと思いますが、どうでしょうか?

③走り屋が昔は大勢死んでいたのではないか?

交通事故の年齢別死者数(はじめて自動車保険)

自動車乗車中の年齢別死者数の推移を見ると、基本的な流れとしては出生数の推移と若者の死者数の推移は連動している訳ですが(第2次ベビーブームの時に生まれた人が若者になった時に死亡事故が増えている)、それだけではピークの時の若者の死亡者数の突出した多さは説明できません。これは走り屋の数の推移と連動しているのではないかと考えられます(昨晩facebook投稿では暴走族と表現しましたが、暴走族は低速で走るようで、事故にはあまり関係ないようです。勿論筆者も実際には峠での事故(走り屋)をイメージしていたのですが、暴走族との表現になったのはその辺の事情に詳しくないからです)。話が話だけに正確な統計はないかもしれませんが、yahoo知恵袋「80、90年代の死亡事故について」を参照しても峠の花束に触れていますし(筆者も見たような記憶があります)、「峠、俺サ、ハングオン、バリマシ。某雑誌には最高速ランキングのメーター写真や罰金、点数の投稿が毎月の月刊誌にあったからね。今では信じられないね。」とのことです。若者の圧倒的な危険運転が若者の死亡者数の激増を招いていたんでしょうね。

※追記:交通事故の死亡率の減少や事故数の減少それ自体はいいと思いますが、こういうことを書いていると逆に、近年の草食化というか体力低下傾向が心配になってきます(筆者自身は超文化系ですので悪しからず)。キツイ仕事のなりてがいないのも、求人側の問題(お金を出さないから)もあるでしょうが、なりてがいないという労働者側の問題もあるはずです。建設現場の深刻な働き手不足が問題だと考えるなら、教育の失敗も考えるべきでしょう。お金だけで解決しようとすると、その業界が高コスト体質になってしまいます。子どもの体力の低下の原因(文部科学省)を考えることも重要かもしれませんね。特に幼児教育の無償化が焦点になった今だからこそ、幼児の運動の重要性を考えてみるべきかもしれません(参考:幼児期運動指針(文部科学省))。親がつきっきりで勉強や運動の面倒をみるのも限界があるんじゃないですか?それに仲間と遊ぶのが重要だと思います。事故の発生の観点からも赤ちゃんの歩行器について議論があってもいいかもしれません(赤ちゃんに歩行器はいつから使う?本当はよくない?デメリットもあるの? mamanoko 2018年01月12日)。