アンダンテ ~私の歩幅で~

季節のこと、音楽のこと、誕生日シリーズなど

蛤の事情と実情

2006年03月03日 | 

今日は3月3日ということで「耳の日」ですね。(笑)
語呂合わせで1956年に制定されています。
(ちょうど半世紀☆)
3月3日は、三重苦のヘレン・ケラーに
サリバン女史が指導を始めた日でもあり、また、
電話の発明者グラハム・ベルのお誕生日でもあります。

でもやはり、何と言っても3月3日は、
桃のお節句、ひな祭りでしょう。

わが家には女の子がいないので、
雛人形は飾りませんが
(飾りたいけれど、猫の魔手がぁ・・)
夕食は「お雛祭りメニュー」と毎年決めております。

そこに欠かせないのが「蛤(はまぐり)の潮汁」です。

ところが、この蛤。
国産物はほとんどなく、多くは中国産なのです。
おそらく、多くの人が持っている「蛤のイメージ」は、
中国産の蛤のイメージだと思います。

アサリよりも大きめの二枚貝で、やや色白で・・。
というのは、中国産の蛤。

国産の蛤は、「大きめのアサリ?」と思いたくなるような、
そのくらいの大きさと色柄です。
蛤が生まれ育った環境が大きく違うわけですね。

今日スーパーへ行ってみたところ、
中国産の蛤が大量に並んでいる傍らに、
国産の蛤がひっそりと、少しだけ並んでいました。

どちらを買うか、とっても迷いました。
今までのイメージと、お椀をイメージして、
結局、大きな中国産に決めました。

「蛤は中国産に限る!」というわけではありませんが、
また来年も、中国産にすると思います。

もしかしたら、来年は、
国産の蛤にはお目にかかれないかもしれませんが…。

君の名は?

2006年03月02日 | 音楽
「モーツァルトの本名は?」と問われれば、多くの人が
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
と答えると思います。

でも実は、これ、通称なのだそうです。

正式な洗礼名は、
ヨハネス・クリンストムス・ヴォルフガング・テオフィルス・モーツァルト
です。(長~~い!)

「えっ? ヨハネス??」
「"アマデウス" が入っていない・・?」
と、私は思ってしまいました。

「アマデウス」はラテン語で「神に愛される」という意味で、
洗礼名の「デオフィルス」が同じ意味のギリシャ語です。
モーツァルトは、同じ意味の言葉を違う言語に置き換えた
通称を使っていたと思われます。
同じ意味のドイツ語で「ゴットリープ」も使ったことがあるとか。

なぜ、通称を使っていたのか?
なぜ、通称が本名のように扱われているのか?

洗礼名は、キリスト教会において、
洗礼によって授けられる名前です。
この洗礼名は何でも良いというわけではなく、
「聖者カレンダー」により決められているとのこと。

「聖者カレンダー」とは・・
記念すべき聖者の名前が1年のすべての日に
1日ひとつ以上設定されているというものです。

この聖者リストの中から「洗礼名」を選ぶので、
洗礼名(クリスチャンネーム)、つまりファーストネームが
同じになる人が大勢いることは、とても自然なことなのですね。

「ヨハネス」「ヨハン」などは、
聖書に出てくる「ヨハネ」に基づいている名前です。

ちなみに、同じ名前でも
英語では「ジョン」や「ジョーンズ」、仏語では「ジャン」、
オランダ語では「ヤン」、スペイン語では「フアン」、
そしてドイツ語では「ヨハネ」や「ヨハネス」になります。

そうなると、「ヨハネス~♪」と呼ぶと、
振り返る人が大勢いるというわけですね。
ややこしいし、フルネームは長いので、
通称・略称・あだ名を使う人もいるようです。

でもモーツァルトの場合、
なぜ「デオフィルス」を「アマデウス」
にしたのでしょうね?
素敵な意味を持つ言葉(名前)なので、
モーツァルト自身が気に入っていたのかも?
・・なんて思ってみたり…。

「神童」と呼ばれていたことと、関係があるのでしょうか?

結局のところ、よくわかりません。。。(苦笑)

「ヨハネス」という名前を持つ作曲家は、
モーツァルトとブラームス。

「ヨハン」と同じ語源の名前を持つ作曲家は、

ジャン・バティスト・ド・リュリ (ジョヴァンニ・バッティスタ・ルッリ)、
ヨハン・セバスティアン・バッハ (J.S.バッハ、大バッハ)、
ヨハン・クリスティアン・バッハ (ロンドンのバッハ)、
ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ、
ヨハン・ミヒャエル・ハイドン、
(「ハイドン」で知られているのは、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン)、
ヨハン・ネポムク・フンメル、
ヨハン・シュトラウス1世、
ヨハン・シュトラウス2世 (ワルツ王)。

↑これだけ見ても、ややこしいです。
もしかしたらモーツァルト同様、調べると、
正式な名前が違う作曲家もいたりして…?

クレオパトラの鼻

2006年03月01日 | 雑記
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら
 歴史は変わっていただろう」

という有名な言葉があります。
これは、哲学者ブレーズ・パスカルの
『パンセ』に書かれている言葉です。

これと同じことが、クラシック音楽の作曲家にも
言えるかもしれません。

もしも、ショパンがもっと大柄で大胆な性格だったなら、
あの旋律は生まれなかったかもしれません。

もしも、ブラームスがきゃしゃな体格で手が小さかったら、
もう少し違った和声のピアノ曲ができたかもしれません。

もしも、モーツァルトに絶対音感がなかったら、
神童と呼ばれるような天才ぶりを
発揮することがなかったかもしれません。

もしも、ベートーヴェンが腹痛持ちでなかったら、
晩年の難解かつ崇高な作品群は
生まれなかったかもしれません。

もしも、J.S.バッハがバッハ一族の遺伝子を
受け継いでいなかったら、
恵まれた環境の中で、多くの作品を
生み出すことがなかったかもしれません。

・・・・・と、アホなことを書き連ねました…。
(大変失礼いたしました!)

さて、クレオパトラの鼻は、本当に高かったのでしょうか?

パスカルは、フランスの哲学者、数学者、物理学者です。
ということは、『パンセ』もフランス語で書かれているわけです。
ところがフランス語には、鼻が高いとか低いという表現が
存在しないそうなのです。
そのような意識がないため、言葉もないのですね。

原文を直訳すると・・
「クレオパトラの鼻がもっと短かったら、
 地球のあらゆる面は変わっていただろう」
という日本語になるようです。

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら
 歴史は変わっていただろう」
という一文は、日本語らしく訳されているようですね。

つまり・・
クレオパトラの鼻は高かったのです。

ただ、美人の条件は、
お国柄や時代によりけりで、かなり異なります。

ところで、ここで述べられているクレオパトラ。
正式には「クレオパトラ7世」です。

古代ギリシャ・エジプト(プトレマイオス朝)では
伝統的な女性の名前のひとつのようです。
現在でも、ギリシャではポピュラーな女性名とか。

クレオパトラ(7世)の母親も
やはりクレオパトラ(5世)でしたとさ。