今まで札幌の名所について紹介してきましたが、過去記事を検索すると、雪まつりの雪像紹介はして
いましたが大通公園自体の紹介はしていなかったようです・・・。
何てこった!
まずは大通公園の歴史を
札幌市の街は、開拓使の開拓判官の島 義勇が碁盤の目状の区画を構想したことにさかのぼります。
東西の基軸が創成川で、南北の基軸は大通公園です。
明治4(1871)年、中心部を北の官庁街と南の住宅・商業街とに分ける大規模な火防線がつくられました。
これが大通公園のはじまりです。つまりは火事の延焼を防ぐための緩衝地です。
明治5(1872)年には、道内の国郡名をとって道路の名前にしています。大通は後志通・北一条通りは
浜益通・南一条通りは渡島通と名付けられました。
ですがあまりに煩雑になったために明治14(1881)年、これらの名称は廃止されて現在の条丁目に変更
され、後志通から大通に正式に改称されました。
では・・・大通公園を1丁目から西に歩いていきます。
1丁目
1丁目と言えば、さっぽろテレビ塔
昭和32(1957)年に開業しました。テレビ電波を発信するアンテナを設置していました。
現在は、札幌のテレビ電波は手稲山から送信されていて、テレビ塔はテレビ・ラジオの中継基地として利用
されています。
高さは、147.2m 展望台の高さは90.38mです。
(テレビ塔の敷地は公園用地ではないそうです)
南側には、札幌を代表する川、豊平川(とよひらがわ)の水位を表示する
豊平川水位表示塔があります。
北側には、交番があります。
2丁目
北側に彫刻・碑・などがあります。
花の母子像 (昭和46年設置)
山内 壮夫 作
札幌の百貨店・丸井今井が創業100周年を記念して寄贈しました。
壁泉
北海道電話交換創始の地碑 (昭和48年設置)
明治33年に大通西2丁目の札幌逓信局(電話局)で北海道初の電話交換が行われました。
北海道の電話が100万台に達した記念に、逓信局の跡地であるこの場所に碑が建てられました。
ベンソンの水飲み (昭和41年設置)
札幌の姉妹都市・アメリカのポートランド市から贈られた水飲みです。この型の水飲みは1900年代の
初め、ポートランド市のベンソン氏が街でのどが渇いて泣く少女を見かけ、哀れに思い水飲み場を作り、
ポートランド市に寄贈したのがはじまりと言われています。
開拓母の像 (昭和38年設置)
佐藤 忠良 作
北海道開拓を陰の力となって支えた母達を讃え、北海道農協婦人部の寄贈で建てられました。
3丁目
北側に彫刻が二基あります
牧童の像 (昭和31年設置)
峯 孝 作
牛乳生産100万石突破を記念し、酪農関係者によって建てられました。
戦後に大通公園に建てられた像の第一号です。
石川啄木歌碑 (昭和56年設置)
坂 担道 作
北海道ゆかりの歌人・石川啄木の没後70年を記念して建てられました。
明治40年、啄木は函館から札幌へ来て2週間程過ごし、小樽へと旅立ちました。
碑の歌 しんとして幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍(とうもろこし)の焼くるにおひよ
南側に彫刻が一基
湖風の像 (昭和51年設置)
山田 良定 作
昭和50年の日展で特選を受けた青年像です。
中央には噴水と像があります。
噴水
昭和37年に大通公園初の噴水がこの場所に作られ、現在の噴水は平成3年にリニューアルされたもの
です。
泉の像 (昭和34年設置)
本郷 新 作
元ニッカウヰスキー会長の竹鶴政孝氏が寄贈したブロンズ像です。この作品について作者の本郷は
「踊り子が先にあったのではなく、地下から天空を支え、雲や風と遊ばせたかった。雨や雪を呼びたかった」
と語っています。札幌の代表的な彫刻作品です。
撮影 5月12日