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札樽国道開通記念碑

2010-11-21 00:01:41 | 北海道・歴史探訪


    国道5号線、小樽市朝里にあるチェーン脱着場にこんな石碑があります。

           

              札樽(さっそん)国道開通記念碑
       

    
           安政4年に、石狩平野に細い一本の道が出来ました。

  「札幌越新道」と呼ばれる、小樽市銭函から千歳に至る道が箱館奉行の命で完成しました。
 草を刈っただけの粗末な道だったそうですが、日本海側と太平洋側が結ばれて往来する役人や漁師で次第に
 踏み固められていったそうです。
  明治2年、札幌本府を建設する為に、開拓使が銭函から札幌まで馬車が通れる道の開削に着手し、明治5年
 に完成しました。
  翌年の明治6年には、銭函~小樽間の海岸沿いに道も完成しましたが、断崖沿いに作られた道は壊れやすく
 車は走行できる状態ではなかったそうです。

  明治12年に開拓使がアメリカ人技師のクロフォードを雇い入れ、札幌~小樽間の道路改修を命じました。
 クロフォードは「将来、鉄道を敷設する際は線路にすること」として改修にあたりました。難工事を乗り越え改修が
 終わり、明治13年11月28日に日本で3番目の鉄道、幌内鉄道が開通しました。

          
              海岸沿いを走る函館本線(銭函~朝里間)

   しかし、道路の上に線路を敷設してしまったので、多数の踏切や待避所を設けて線路脇を人や馬車が通った
 のですが、場所によっては逃げ場がなく多数の事故が起きたそうです。

  明治37年、日露戦争が起きロシア艦隊が小樽に押し寄せた際に、退避する道路がないので敵の目から避ける
 ように、毛無山の鞍部を越えて朝里に出て、石倉山の峠を越えて張碓に出て銭函に至る「軍用道路」が明治38年
 に開通しましたが、 なんとも遠回り。しかも馬車は通れるような代物ではなく、使う人も皆無だったので廃道状態
 だったようです。ですので、危険な線路沿いを往来する人が絶えず、事故も多発して問題になっていました。

  昭和6年に政府直轄と請負で小樽~札幌間の道路改修工事が行われ、昭和9年1月に開通しました。
 戦後、舗装工事や勾配を緩やかにしたり、急カーブの改良が行われました。

  この碑は、昭和9年6月に当時の張碓(はりうす)村が、張碓トンネル小樽側入り口に建立したものですが、平成
 10年から始まった道路の4車線化に伴いこの場所に移設されました。
               

  設置当時の銘板はなく、平成12年9月・北海道開発局設置の銘板が台座に設定されています。
           


   国道5号線の小樽~札幌間、今のルートになったのは昭和に入ってからと言うのに
 驚いたのと、多数の悲劇が基になって完成した道路なんだと学んだ、とある日の昼下がりでした。


 

 

    

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