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北海道開拓の村 その2

2014-01-12 21:52:40 | 札幌 見・遊・食

    昨日の記事の続きです。

             北海道開拓の村

   
           (札幌市厚別区厚別町小野幌50-1)


   山村群

           森林鉄道機関庫
      
   北海道庁は、大正8年度から拓殖計画に国有林の直営伐採事業を加え、木材搬出のための森林鉄道の敷設に着手しました。
  その後、道内各地で建設が進められ、昭和初期には従来の流送にかわって鉄道運材が主流となり、機関車や貨車のほか、
  機関庫、貯木場も整備されました。この建物の中には、大正末期に置戸町に建てられた機関庫の写真資料や聞き取り調査を
  基に、復元されたものです。
      
             夕張岳森林鉄道で活躍した機関車が展示されています。
      



          旧平造材部飯場   (下川)
      
      
   この建物は、大正後期に下川村奥名寄の御料林内に建てられた造材飯場を再現しました。
  造材飯場は、伐木・造材に携わった山子や集・運材作業に従事した藪出し、馬追いなどが山中で寝泊まりした小屋です。
  この飯場には山子と藪出しが生活し、馬追い飯場は別棟になっていました。


         炭焼小屋 

   明治・大正期の北海道では、角窯が多く使われていました。
  一般に専業の炭焼きは大型の窯を、副業では小型の窯を使用していました。この炭窯は大正末期の副業製炭業者の角窯を
  再現しました。        冬期間は見学不可能です。


   市街地群


        旧広瀬写真館  (岩見沢)
      
      
      
   この建物は、大正末期から昭和33年(1958)まで岩見沢市街で営業した写真館を再現しました。
  外観は洋風であるが、内部の多くは和風で、和洋折衷の建物です。撮影には自然光を用いたため、写場は2階に設け
  北側の屋根をシングルスラントと呼ばれた斜めのガラス張りとしています。


        旧札幌拓殖倉庫  (札幌)
      
      
   札幌軟石を使用したこの倉庫は、五十嵐倉庫合名会社より明治45年創立の札幌拓殖倉庫株式会社に引き継がれました。
  この建物は札幌駅北側に隣接し、線路に直角に位置していた6棟の内の一番西側の棟です。


        旧本庄鉄工所   (石狩)
      
      
   明治30年から2代にわたって営業した本庄鉄工場の仕事場として、大正14年(1925)から昭和50年代まで使用されていました。
  石狩川河口にひらけた旧市街にあって、漁具や漁船の付属品のほか、農具などを作っていました。


       旧藤原車橇製作所  (妹背牛)
      
      
   明治31年(1898)、兵庫県出身の宮大工藤原信吉が深川に入植し、同36年(1903)には妹背牛で車橇製造を開業しました。
  以後3代にわたり営業を続けました。この建物は、開業以来使われてきた車橇製作所を再現したものです。


       旧太田装蹄所   (札幌)
      
      
   大正13年(1924)から昭和20年(1945)まで、札幌市街の江別方面に通じる幹線道路(今の国道12号)沿いで営業していた
  装蹄所を再現しました。蹄鉄屋の名で親しまれていた装蹄所は、馬が物資運搬や農耕の主役であった時代にはどこの町や村にもみられ
  馬蹄の保護には欠かせない職種でした。

 
       旧大石三省堂支店  (帯広)
      
      
   
札幌で家業である菓子製造の技術を習得した大石泰三が、大正14年(1925)帯広町の繁華街電信通りに店舗を求め、菓子の
  製造販売を始めた建物です。親子二代にわたり、昭和30年まで続きました。


         旧武岡商店   (新ひだか)
      
      
   武岡家は、旧徳島藩家老稲田邦植に従い明治4年(1871)に淡路島から静内郡に移住し、明治15年(1882)から米穀、雑貨
  荒物などを扱ってきた商家です。町の発展に伴い本格的な店舗兼住宅を新築し、明治34年(1901)には郵便局を開設するなど
  この地方の商業の中心的役割を果たしました。


      旧札幌警察署南一条巡査派出所  (札幌)
    
    
   明治18年(1885)、札幌創成橋の脇に最初に建てられた交番は木造で、札幌創成橋交番所と呼ばれていました。
  同じ木造で一度改築されましたが、その後個人の篤志寄付で建てかえられたのがこの建物です。


       旧島歌郵便局  (せたな)
     
     
   北海道で近代郵便の取り扱いが始まるのは明治5年(1872)で、島歌には明治19年(1886)に郵便局が設置されました。
  明治26年(1893)には畑野清治が2代目局長として就任し業務を取り扱いました。以後この局は畑野家により引き継がれてました。
  この建物は業務用だけで、局長や職員の住居は別棟でした。


         旧山本理髪店   (札幌)
     
     

   傾斜の急な切妻屋根、妻軒の棟折れマンサード、玄関の雨よけアーチなど、大正期の洋風建築の特徴を残したスマートな外観は
  理髪業とよくなじみ、北海道神宮裏参道沿いの「床屋さん」として長く親しまれてきました。


      旧渡辺商店  (中頓別)
     
     
   明治30年代には砂金掘りでにぎわい、大正5年の鉄道開通後は交通の要所として発達した中頓別市街に建てられた雑貨店です。
  漆喰仕上げの土蔵造りは、石造やレンガ造とともに耐火・耐寒を目的とした構造ですが、北海道では建築例が少ない建物です。

   
      旧浦河公会堂教会  (浦河)
     
   明治13年(1880)、神戸において北海道開拓会社「赤心社」が設立され、翌14年から西舎村や荻伏村に結社移民として入植
  しました。「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で、明治19年「浦河公会」が組織されました。この会堂は、2代目の礼拝・
  集会所として明治27年(1894)に建てられたものです。


      旧龍雲寺   (札幌)
     
     
     
   篠路山龍雲寺は明治19年(1886)頃、村民の努力によって創建された浄土宗のお寺です。
  この建造物は、明治28年(1893)頃に新築落成した本堂で、開拓期の農村の寺院建築の様式をよく表しています。
  正面入り口の向拝部分は大正年間に増築されたものです。       

                  現在の龍雲寺
     


      旧北海中学校  (札幌)
     
     
     
     
   この校舎は、明治41年(1908)から翌年にわたって建築された本館部分です。創立は明治38年(1905)で、前身は
  札幌農学校第三期生らが中心となり明治18年(1885)に設立した私立北海英語学校です(現・北海高等学校)。
  外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式です。




                                     続きます

  

  



 開村時間   5/1~9/30        9:00~17:00   入場は16:30まで    無休
        4/14/30 ・10/13/31  9:00~16:30  入場は16:00まで   毎週月曜日休み(月曜が祝日・振替休日の場合は翌日)
                                           年末年始(12/29~1/3)休み・さっぽろ雪まつり期間は無休

  入場料    夏季(4月~11月)  一般 830円  高校・大学生 610円  中学生以下・65歳以上 無料
         冬季(12月~3月)  一般 680円  高校・大学生 550円  中学生以下・65歳以上 無料

 

 

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