琴似屯田兵の週番所(中隊本部)があった場所は現在、札幌市西区役所の前庭があります。
琴似本通を隔てた向かい側には、琴似神社があります。
神社の境内には、琴似屯田兵に関する碑が3つあります。
琴似屯田 授産所趾
現在、琴似神社のあった場所は、授産所と言うものがあって、養蚕を行っていたようです。
桑は屯田兵村の周囲の畑で生産したようです。
(中央区にある桑園地区は、明治9年に現在の山形県酒田地区から庄内藩士族が入植し、桑畑を作ったことから
地名の由来となったようです)
琴似兵村五十年記念塔跡
大正13年9月に、琴似屯田兵村開村50周年を記念した塔が建立されました。
高さ3.5m・直径45cm・弾丸をかたどった形状で、塔の先端には星章がついていました。
しかし、老朽化が進み、平成10年9月に解体されてしまいました。
忠魂碑
全国各地にも忠魂碑と呼ばれる碑があります。日清戦争・日露戦争に出征して戦死した方々の霊を祀っています。
琴似神社境内にある忠魂碑は、日露戦争で戦死した4人の方の霊を祀っています。
日露戦争当時、琴似屯田兵は後備役が満期になり、多くは新琴似兵村の人々で84人が出陣したそうです。
そして、琴似屯田兵にゆかりのある神社です。
琴似神社
(札幌市西区琴似1条7丁目1-30)
明治8年5月、琴似屯田兵に応募し琴似に移住した、仙台亘理藩の有志は旧藩祖の伊達藤五郎成実公の神霊を
武早智雄神として、現在の山の手2条1丁目・日登寺の境内に神祠を建立したのが始まりです。
明治20年に武早神社と改称しました。明治30年に現在の山の手5条1丁目に御遷座し、琴似神社と改称しました。
明治44年に、大国主大神を御増祀しました。大正4年に現在地に御遷座しました。昭和28年11月に現在の社殿が
建立されました。開道百年の昭和43年に天照大御神と豊受大神を御増祀されました。平成6年5月に、旧会津藩祖の
保科正之公の神霊の土津霊神を御増祀しました。
御祭神
境内は3500坪あり、先に紹介した屯田兵屋もあります。
第一鳥居
演舞場
第一鳥居の狛犬 昭和60年8月建立
吽形 阿形
第二鳥居
社殿前の狛犬 昭和33年5月建立
吽形 阿形
社殿
御朱印
境内社があります
安全神社
御祭神 天御中主大神
祀職の始祖の神々をお祀りしています
報徳神社
御祭神 大国魂神
氏子中の靖国の英霊と琴似屯田兵240柱をお祀りしています
御門山琴似天満宮
御祭神 菅原大神
菅原道真公を祀りしています
琴似屯田兵と共に、琴似の街の歴史を作ってきた神社です。