11月30日 (土) どれだけ続くんだという11月30日の記事もこれで終了です。
JR名古屋駅に到着
名古屋市営地下鉄 東山線に乗り換えて栄駅へ
名古屋の久屋大通公園というところにある、名古屋のシンボルへ
NAGOYAアカリナイト と言うイルミネーションが行われていました。
(2013年11月29日~2014年2月16日まで)
名古屋テレビ塔
(名古屋市中区錦3-6-15先)
名古屋の復興のシンボルとして、テレビ電波の送信所として、昭和28(1953)年9月19日に
工事が着工し、翌年の昭和29(1954)年6月20日に開業しテレビ電波を送信しました。
高さは180m 総重量は3,300tあります。
設計は、内藤多仲で札幌テレビ塔や東京タワー・通天閣などを設計した建築家です。
平成23(2011)年7月24日のアナログテレビ放送の終了と共に、名古屋テレビ塔からのテレビ電波は
終了し、瀬戸市幡中町に新たに建設した瀬戸デジタルタワーから送信されています。
NTTdocomoのスマートフォン向けのマルチメディア放送のNOTTV(ノッティーヴィー)の電波が
平成24(2012)年4月1日から名古屋テレビ塔から送信されています。
1階からエレベーターで4階に上がり、入場券を購入(大人600円)し、再びエレベーターへ。
地上90mのスカイデッキへ。
この日はスカイデッキでイベントをやっていて、もの凄い人でごった返していました。
地上100mのスカイバルコニーへ。
こちらは金網で囲まれた展望ゾーン。人もあまりいなくて名古屋の夜景を楽しむ事が出来ました。
ん?これは?
恋人の聖地だそうです。
展望料金 大人(中学生以上) 600円 子供(小学生) 300円 65歳以上 500円
定休日 年中無休 (年に2回ほどメンテナンスで休館日あり)
展望営業時間 4~12月 9:00~22:00 1~3月 10:00~21:00
土日祝は11:00開館
最終入場は20分前まで
観覧車のあるビルがあったり、道路が碁盤の目になっていたりと札幌とちょっと似た雰囲気が
ある街ですね。
職場の上司お勧めの名古屋めしを食べる事にしました。
みそかつ 矢場とん 栄LACHIC店
(名古屋市中区栄3-6-1 LACHIC7階)
三越の隣にあるファッションビルの7階にあります。
豚カツだけだと胃にもたれそうなので、ご飯もと思い・・・
みそかつ丼 (キャベツ・みそ汁付き)
1260円 にさらにネギもトッピング(値段失念)
濃い味の味付けのとんかつ。腹ペコだったのでペロリといっちゃいました。
ちょっとやみつきになりそうです。名古屋のみそかつ…。
LACHIC店の営業時間 10:00~23:00 ラストオーダー22:00
定休日 年中無休
そして、この日の宿、名古屋栄東急イン へ
(名古屋市中区栄3-1-8)
1階にスターバックスが入っていました。
シングルを予約したのですが、フロントで「シングルが混み合っていまして、予約していただいた
宿泊料で結構ですのでお部屋をアップグレードさせていただいてよろしいでしょうか?」と。
ラッキー!と思い快諾。
鍵を受取り、部屋の鍵を開けると・・・。
ベッドが3つも・・・。
あの…こんなにベッドいらないんですけど・・・。
真ん中のベッドで寝ました。
この日のスマホの万歩計の歩数、28900歩。
まだ続くんですよね・・・。
11月30日 (土) 続きです
清州駅にタクシーで到着。
名古屋に行こうかな~と思ったら、駅前に看板が。
清州城 →
せっかくなので行ってみようと思い、案内看板が出ている方向へ。
案内看板が途中に何個も出ています。駅から歩く事15分
小高い丘の上に、神社と碑が。
清洲古城跡公園
(清須市清洲古城448)
応永12(1405)年、尾張国の守護職であった斯波義重が、下津城(稲沢市)の別郭として
建てられたのが清須城の始まりといわれています。
文明8年(1476)戦乱により下津城が焼失し、文明10年(1478)守護所が清須に移転して清須が尾張国の中心地となります。
弘治元年(1555)に織田信長が那古野城(なごやじょう)から入城し、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに勝利した信長は
清須から天下統一への第一歩を踏み出しました。
天正10(1582年)に本能寺の変で信長の跡目を決める「清須会議」がこの地で行われました。
城主となった次男、信雄によって改修された清須城の城郭は、天守を備え東西1.6km、南北2.8kmにも及ぶ巨大なもので
郭域の中に城下町のあらゆる機能を備えた城塞都市として過去最大の規模のものとなります。
その後城主は、織田家から豊臣秀次(関白)、福島正則(秀吉子飼の大名)と移り、関ヶ原の戦いでは、東軍の最前線の城
として重要な軍事拠点となります。
関ヶ原以後、城の主は松平忠吉(家康四男)、徳川義直(家康九男)と変遷し、この頃の清須城下は人口6万人を数える賑わい
を見せ、清須城は「天下の名城」と讃えられました。
慶長15(1610)年に徳川家康は、清須城廃城と名古屋城築城を命じ、町の建物、町の機能全てが移転
する「清須越え」が行われました。
これにより尾張の政治・経済・司法の中心は清須から名古屋へ移り、清須城とともにその城下町は歴史から姿を消し去りました。
清洲越しの後、現在に至るまで清洲城跡地として保存され、幕末の清洲城跡顕彰碑2基や、信長を
祠る小社があります。
清州城の石垣跡
五条川の対岸には
清州城 (きよすじょう)
(清須市朝日城屋敷1-1)
平成元年(1989年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して、
外観や規模は、実在した当時を想像して建てられた天守閣です。
(本当の天守閣は、古城跡公園の辺りにありました)
現在公開中の映画(2013.11公開) 「清州会議」 (三谷幸喜監督) の実際の舞台です (ロケ地ではありません)
天守閣の中は展示室になっていますが、訪問した時間が遅くて入れませんでした。
開館時間 9:00~16:30 (入館は16:15まで)
閉館日 月曜日〈休日の場合は直後の平日〉 12月29日から31日
桜の花見期間・清洲城ふるさとまつり期間は開館
入館料 大人 300円 小・中学生 200円 幼児 無料
再び、清州駅まで戻り、名古屋へ向かいました。
まだ 続きます。
11月30日 (土) 続きです
近鉄で名古屋に着き、名鉄に乗り換え。
岐阜方面の列車に乗り、向かった先は・・・
大里駅
ここからタクシーに乗り、ソニーイーエムシーエス株式会社稲沢サイトへ
ソニーの液晶テレビ VRAVIA を主に製造している工場だそうで。
タクシーに乗る事15分程で到着。
ソニーイーエムシーエス株式会社 稲沢サイト
(稲沢市大矢町茨島30)
何で、テレビの工場に行ったかと言いますと、この工場の正門前に設置されている
郵便ポストを見たかったからです。
さび錆びのボロいポストじゃない?とお思いのあなた!
このポスト 差出箱5号 という形式で
郵便差出箱として現役なのは唯一、このポストだけなんです。
ちょっと待っていてくださいと運転手さんに言い、ポストの写真を撮り、タクシーに戻ると・・・
「え?もういいの?あれ?ええっ?」
そうですよね~タクシーから降りて、ポストの写真撮ったかと思ったら、駅に戻ってくれって言ったら
びっくりしちゃいますよね~。
運転手さんに「あの形のポストは日本で一個しか残っていなくて、私は郵便ポストマニアです」
と話すと納得してくれました。
ちなみに、郵便ポストの形は14の形式があります。
帰りは、JRの清州駅まで行ってもらう事にしました。
駅まで行く途中、タクシーの車窓から見えた、三菱電機のエレベーター試験塔 SOLAÉ(ソラエ)
高さは173mもあるそうです。
札幌や名古屋のテレビ塔より高い…。
変人を乗せたタクシーは清州駅へ。
タクシー料金3850円・・・マニアには惜しくない必要経費(笑)。
次回はまともな記事です…退かないで~~~
続きます
11月30日 (土) 続きです
一連のお伊勢参りを終えて、一泊二日で帰ろうと思ったのですが、せっかく来たのだからと思い
名古屋に一泊することに旅程変更~。
近鉄 宇治山田駅から電車に乗り・・・。
伊勢中川駅で下車。
北海道にゆかりのある人の記念館へ。
タクシーで約10分
松浦武四郎記念館
(松阪市小野江383)
松浦武四郎は、幕末から明治維新に活躍した旅行家・冒険家・作家・出版者・学者とたぐいまれ
なる多芸多才を発揮した人物で「北海道の名付け親」である人です。
以前、北海道の名付け親・・・と記事を作っているので、由来についてはこちらを。
伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)の出身である為、こちらに記念館があります。
アイヌとの関わりの中で、北海道という名前が付けられたという経緯
貴重な資料が展示されています。
本物の十勝日誌です。
6度に及び北海道を調査し、その成果である調査記録151冊の一つである十勝日記。
文久元年(1861)に発刊されたものです。
六花亭のお菓子の箱(詰め合わせ)でしか見たこと無かったです…。
って北海道の人しか解らないネタですね。
↓
(参考資料 六花亭の十勝日誌の箱 上の写真2枚)
一度行ってみたかったので、来れて良かったです。
開館時間 9:30~16:30
入館料 一般 300円 6歳~18歳以下 200円 就学前の子は無料
休館日 毎週月曜日 (月曜日が休日の場合はその翌日)
祝日の翌日
年末年始(12月29日~1月3日)
記念館でタクシーを呼んでもらい、伊勢中川駅に向かう途中に「松浦武四郎誕生地」へ行ってもらいました。
松阪市指定史跡 「松浦武四郎誕生地」
(松阪市小野江町321)
松浦武四郎の実家です。誕生地の前の道は「伊勢街道」といい、南に行けば伊勢神宮へ。
北へ行けば「東海道」につながっていて、古くから伊勢参りの旅人が多く行き交った道でした。
武四郎は街道を歩く多くの旅人に刺激を受け、旅を志すようになっていったと考えられます。
そして、武四郎は28歳で北海道を探検しますが、北海道を目指す前に実家の仏壇で、すでに
亡くなっていた父母にお参りをして旅立っています。
現在は松阪市の所有となっていて、内部の保存整備を行っています。平成28年度には内部も
公開される予定です。 今のところ、外見だけの見学になります。
タクシーで伊勢中川駅まで戻り…。
近鉄で名古屋へ。
番外編 続きます。
11月29日 (金) 続きです。
14:39 二見浦駅からワンマン列車に乗り・・・
14:47 伊勢市駅に到着
いよいよ伊勢神宮(外宮)へ。
表参道
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
(伊勢市豊川町279)
一般的には伊勢神宮の外宮(げぐう)と呼ばれています。
御祭神の豊受大御神は、食物・穀物を司る神様です。
衣食住や産業の守護神として崇められています。
雄略天皇22年、天皇の夢に天照大御神(内宮の祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかに
できないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と申されました。
同年7月7日、内宮に近い山田原に豊受大御神を祀ったのが御鎮座の由来だそうです。
表参道火除橋
左側通行です。
大きな木々が生い茂り、神々しい雰囲気です。
正宮
こちらは今年造られたお宮です。
そして、こちらは20年前に作られたお宮。
新旧の正宮が並んでいます。
式年遷宮の年だからこそ見る事が出来る光景です。
日々、平穏に暮らせましてありがとうございますとお祈り
御朱印
境内の中にある別宮
風宮 (かぜのみや)
風の神をおまつりしています。
鎌倉時代の元寇の際に神風を吹かせて日本をお守りになった神様として知られています。
土宮 (つちのみや)
大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)をおまつりしています。
古くから、山田原(この辺り)の鎮守の神としてまつられ、外宮創建後は宮域の地主の神としておまつり
されています。
多賀宮 (たかのみや)
豊受大神の荒御魂をおまつりしています。
山の頂にあるため、古くから高宮(たかのみや)と呼ばれていました。
御厩(みうまや)
神馬はお留守でした・・・
外宮を後にして・・・
伊勢市駅方向へ徒歩10分
月夜見宮 (つきよみのみや)
(伊勢市宮後1丁目)
御祭神 月夜見尊 月夜見尊荒御魂
地元の人々には「つきよみさん」という愛称で呼ばれています。
月夜見尊(つきよみのみこと)は、天照御大神(あまてらすおおみかみ)の弟神です。
荒御魂(あらみたま)とは、荒く猛き神霊 の事です(広辞苑より引用)。
御朱印
境内社の 高河原神社(たかがわらじんじゃ)
御祭神は 月夜見尊荒御魂 です。
つきよみさんを後にして
再び伊勢市駅へ。
近鉄に乗り・・・(目的地へはJRより10円運賃が安かったので)
松坂駅へ
まずは腹ごしらえ。
松坂と言えば松坂牛ですが、ちょっと無理・・・。
スマホで探したお店へ。
美豚 (びとん)
(松阪市日野町10 ベルタウン1F)
こちらは、品質管理を行ったオリジナル三元豚(松坂豚)を提供するお店。
特製味噌漬け
880円 (ライスは250円)
串とんや生ハムもあって豚三昧!
お店の方もフレンドリーで、北海道から来たと話すととても歓迎していただきました。
そして、ホテルにチェックイン
東横イン伊勢松坂駅前
(松坂市京町514-1)
一人旅なのに、ダブルを予約…
この日の累計歩数 約18000歩
テレビを見つつぼんやりしていたら眠くなり・・・直ぐにおやすみなさいでした。
続きます