「世界飽和」
バブル経済の崩壊は、そのアワで隠されていた不正や犯罪をも洗
い出した。大手都市銀行までが不正に手を「濡らして」アワを掴も
うとして、巨額の不良債権を抱え込んでアワと消えた。ところがそ
んな金融恐慌の最中にあっても、名の知られた経済評論家たちは日
本の実態経済の底堅さを強調し直ぐに回復すると断言し、「全治三
年」とまで予測する者までいた。この国が道を迷ったすればまさに
あのバブル崩壊後に、再び「日は昇る」と信じ込み財政支出による
巨額の景気刺激策を官民挙って待ち望み、それに応えるように政府
は赤字国債による公共事業を日本全国津々浦々山々町々に至るまで
バラ撒いて、その結果、カラオケ大会にしか使われないオペラハウ
スや、獣たちの為にケモノ道を舗装してやったり、人の居ない限界
集落にまで立派な集会ホールを造ってきたからだ。金融破綻を認め
ながらも実態経済は堅調であるからとの理由から後戻りすることな
く崩れ落ちたバブル街道を進み続けた。それはまるで、思わぬ大金
を手にした者がギャンブルにのめり込み、調子に乗って賭け金を増
やした挙句にスッテンテンになって熱くなり、子供の貯金に手を付
けて後戻りが出来ず、遂には高利貸しにまで証文を預け、その返済
を子供に負わせても眼が覚めず泥沼へと堕ちていく破綻者のようだ
った。
素人の意見だが、実体経済が堅調であるなら人は易々と金融投資
には向かわないだろう。理想を求めて現実を投機するにはそれなり
の契機があるはずだ。人が投資に傾く時は経済成長が停滞したから
だ。金融バブルとは、実は、実体経済の飽和から発生するのではな
いだろうか。そうだとすれば、金融不安が起る時はすでに実体経済も
内部から朽ち始めているのだ。そうだとすれば金融政策をいくら弄(い
じ)くっても実体経済は回復しないだろう。アメリカ発の世界を巻き込ん
だ金融破綻は、嘗ての日本のように金融対策に追われているが、しか
し実態経済そのものが行き詰っているのだ。それでも経済を動かそ
うとするなら貯め込んだ富を放棄するしかない。つまり、破産か戦
争だ。現在のアメリカの金融緩和や景気刺激策を聴くと、これまで
の日本経済と同じ道を辿っているように思えてならない。辛うじて
新興国の経済発展によって凌いではいるが、何れそれらの国々も思
っていたよりも早く行き詰り、だって彼等が自慢する豊かさは既に
先進国では飽いてしまった豊かさなのだ、そこから何か新しい発見
や成長が生まれてくるとは到底思えない。やがて溜息を吐くように、
日本を含む先進国の金融不安から、再び世界経済が危機に襲われる
ことだろう。
以上は、小説の時代背景を簡単に描く心算で記したのですが、段
々と熱を帯びてきて本来の小説を忘れてしまい、それでも削除する
に忍びないので、ブログ(ウェブ上の記録)としては残すのもありか
なと思ってそうします。
ただ、マクロの視点から経済危機や金融不安を齎す根本的な原因
とは何だろうと考えていると「飽和」という言葉がぴったりなのか
なと思っています。甕(かめ)の縁(ふち)までなみなみと貯められた
水は、更に注いでも溢れるばかりで容量は変わりません。だからと
いって注がなければ水は腐敗する。「飽和」とはある限界に達して
それ以上は変化しない状況を言うのであれば、今まさに世界は「飽
和」の時代を迎えているのかなと思います。つまり、経済危機(腐っ
た水)を薄めようと金融緩和や財政支出といった新しい水をいくら
注いでも何も変わらないでしょう。経済危機と財政支出のイタチゴ
ッコでやがて財政破綻するのではないだろうか。敢えて言うなら、
もう、この近代という甕そのものを諦めなければならないのではな
いかと思っています。それが出来るのは甕の底に沈んで腐りかけ
た水ではなく、甕から溢れ落ちた水ではないでしょうか。
ただ、そう思っていてもなかなか近代を棄てる勇気が持てません。
近代を棄ててもより明るい時代が保障されているならいいのですが、
まったくそんなことはありません。荒野での自由を選ぶか、やっぱり
空調の効いたエサのある檻の中を選ぶのか、ブレまくって全く決断
が着きません。
世の中を捨てて捨て得ぬ心地して都離れぬわが身なりけり 西行
(菅)⑧
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バブル経済の崩壊は、そのアワで隠されていた不正や犯罪をも洗
い出した。大手都市銀行までが不正に手を「濡らして」アワを掴も
うとして、巨額の不良債権を抱え込んでアワと消えた。ところがそ
んな金融恐慌の最中にあっても、名の知られた経済評論家たちは日
本の実態経済の底堅さを強調し直ぐに回復すると断言し、「全治三
年」とまで予測する者までいた。この国が道を迷ったすればまさに
あのバブル崩壊後に、再び「日は昇る」と信じ込み財政支出による
巨額の景気刺激策を官民挙って待ち望み、それに応えるように政府
は赤字国債による公共事業を日本全国津々浦々山々町々に至るまで
バラ撒いて、その結果、カラオケ大会にしか使われないオペラハウ
スや、獣たちの為にケモノ道を舗装してやったり、人の居ない限界
集落にまで立派な集会ホールを造ってきたからだ。金融破綻を認め
ながらも実態経済は堅調であるからとの理由から後戻りすることな
く崩れ落ちたバブル街道を進み続けた。それはまるで、思わぬ大金
を手にした者がギャンブルにのめり込み、調子に乗って賭け金を増
やした挙句にスッテンテンになって熱くなり、子供の貯金に手を付
けて後戻りが出来ず、遂には高利貸しにまで証文を預け、その返済
を子供に負わせても眼が覚めず泥沼へと堕ちていく破綻者のようだ
った。
素人の意見だが、実体経済が堅調であるなら人は易々と金融投資
には向かわないだろう。理想を求めて現実を投機するにはそれなり
の契機があるはずだ。人が投資に傾く時は経済成長が停滞したから
だ。金融バブルとは、実は、実体経済の飽和から発生するのではな
いだろうか。そうだとすれば、金融不安が起る時はすでに実体経済も
内部から朽ち始めているのだ。そうだとすれば金融政策をいくら弄(い
じ)くっても実体経済は回復しないだろう。アメリカ発の世界を巻き込ん
だ金融破綻は、嘗ての日本のように金融対策に追われているが、しか
し実態経済そのものが行き詰っているのだ。それでも経済を動かそ
うとするなら貯め込んだ富を放棄するしかない。つまり、破産か戦
争だ。現在のアメリカの金融緩和や景気刺激策を聴くと、これまで
の日本経済と同じ道を辿っているように思えてならない。辛うじて
新興国の経済発展によって凌いではいるが、何れそれらの国々も思
っていたよりも早く行き詰り、だって彼等が自慢する豊かさは既に
先進国では飽いてしまった豊かさなのだ、そこから何か新しい発見
や成長が生まれてくるとは到底思えない。やがて溜息を吐くように、
日本を含む先進国の金融不安から、再び世界経済が危機に襲われる
ことだろう。
以上は、小説の時代背景を簡単に描く心算で記したのですが、段
々と熱を帯びてきて本来の小説を忘れてしまい、それでも削除する
に忍びないので、ブログ(ウェブ上の記録)としては残すのもありか
なと思ってそうします。
ただ、マクロの視点から経済危機や金融不安を齎す根本的な原因
とは何だろうと考えていると「飽和」という言葉がぴったりなのか
なと思っています。甕(かめ)の縁(ふち)までなみなみと貯められた
水は、更に注いでも溢れるばかりで容量は変わりません。だからと
いって注がなければ水は腐敗する。「飽和」とはある限界に達して
それ以上は変化しない状況を言うのであれば、今まさに世界は「飽
和」の時代を迎えているのかなと思います。つまり、経済危機(腐っ
た水)を薄めようと金融緩和や財政支出といった新しい水をいくら
注いでも何も変わらないでしょう。経済危機と財政支出のイタチゴ
ッコでやがて財政破綻するのではないだろうか。敢えて言うなら、
もう、この近代という甕そのものを諦めなければならないのではな
いかと思っています。それが出来るのは甕の底に沈んで腐りかけ
た水ではなく、甕から溢れ落ちた水ではないでしょうか。
ただ、そう思っていてもなかなか近代を棄てる勇気が持てません。
近代を棄ててもより明るい時代が保障されているならいいのですが、
まったくそんなことはありません。荒野での自由を選ぶか、やっぱり
空調の効いたエサのある檻の中を選ぶのか、ブレまくって全く決断
が着きません。
世の中を捨てて捨て得ぬ心地して都離れぬわが身なりけり 西行
(菅)⑧
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