「境界性パーソナリティー障害(BPD)」
今日(3月3日)の、NHKの「クローズアップ現代」で「境界性
パーソナリティー障害(Borderline Personality Disorder)」、所
謂「ボーダー」と一般的に呼ばれる人格障害で苦しむ人が増えてい
ると放送されていました。詳しく調べると人格障害も様々で、症例
によって呼び方は異なるようですが、私の個人的な見解を述べると、
要するに「相手によって人格や言動または感情が豹変する」「自ら
の言動の責任を問われると自分を正当化して逃げようとする」とい
ったように人格の自己同一性(本来のアイデンティティー)が破綻し、
他者から見ると多重人格者のように映るのだと思います。ただ、こ
の症例に陥るのは圧倒的に社会的立場の弱い若い女性に多いらしい。
しかも、本人もそのことを充分自覚していて苦しんでいるというこ
とです。専門家は幼児期の成長過程に何らかの原因がある場合が多
いと指摘しています。この症例の増加は日本だけのことではなく、
欧米では随分以前から指摘され治療法も確立されているようです。
さて、複雑な現代社会の中で自分を活かそうとすれば、どうして
も自分自身を押し殺して、立場のある人の意見に従わざるを得ない
時もあります。わかり易い例でいえば、芸能人を目指してる人が、
自分では決してやりたくないと思っていても、チャンスを得る為に
「仕方なく」引き受ける仕事だって少なくないと思います。主義に
合わないことを言わされたり、本当の事を隠さなければならなかっ
たりもするでしょう。そういった自分の思いと社会の要請とのディ
レンマの間で、共同体に適合しようとして自分の感情を封じている
と、遂には自己を棄てて操り人形のようにその時その人に適った、
その場限りの言動を用いることに責任を感じなくなり、さすがに人
に覚られると無視するか、或は豹変せざるを得なくなるのでしょう。
芸能人の多くが人気(他者の眼)を気にし過ぎてパニック障害に掛か
ることも頷けます。
わたしは前の章(十一)でも記しましたが、自分自身を失ってま
でして社会に適合したとしても果たして何を得るのでしょうか。こ
れは随分前に記したのですが、フランスのジョルジュ・ルオーとい
う画家は「人に教えられて成功するくらいなら、自分の考えで失敗
した方がましだ」みたいなことを嘗て語ったと、確か小林秀雄の著
書の中にありましたが、ルオーはもちろん画家だったので絵画のア
イデンティティーに拘って語ったのでしょうから一般にはならない
ですが、それでも、自分の人生を他人に求めて、操り人形のように
生きて果たして自分に何が残るでしょうか?すでに閉塞的な社会は
自由な言動が諌められ、リゴリズム(厳格主義)や秘密主義が蔓延り
増々硬直化し、我々は型に嵌まった生き方を強いられている。社会
は瑣末な末枝末葉に拘って寛(くつろ)かさを失ってしまった。我々
が人格破綻する前に、すでに共同体としての体格が破綻してしまっ
た社会を見限って、「他人に媚び諂(へつら)って生きるくらいなら、
自分の考えで生きる方がましだ」と自己本位の生き方を取り戻して
みてはどうだろうか。
尚、「BPD」について知りたい方は、専門家の説明よりも遥か
に解かり易い、具体的にボーダーの彼女に振り回された辛い体験を
残された以下のサイトを是非ご覧になって下さい。
「彼女が重度の境界性人格障害だった」
( http://anond.hatelabo.jp/20100820021613)
(おわり)
にほんブログ村
今日(3月3日)の、NHKの「クローズアップ現代」で「境界性
パーソナリティー障害(Borderline Personality Disorder)」、所
謂「ボーダー」と一般的に呼ばれる人格障害で苦しむ人が増えてい
ると放送されていました。詳しく調べると人格障害も様々で、症例
によって呼び方は異なるようですが、私の個人的な見解を述べると、
要するに「相手によって人格や言動または感情が豹変する」「自ら
の言動の責任を問われると自分を正当化して逃げようとする」とい
ったように人格の自己同一性(本来のアイデンティティー)が破綻し、
他者から見ると多重人格者のように映るのだと思います。ただ、こ
の症例に陥るのは圧倒的に社会的立場の弱い若い女性に多いらしい。
しかも、本人もそのことを充分自覚していて苦しんでいるというこ
とです。専門家は幼児期の成長過程に何らかの原因がある場合が多
いと指摘しています。この症例の増加は日本だけのことではなく、
欧米では随分以前から指摘され治療法も確立されているようです。
さて、複雑な現代社会の中で自分を活かそうとすれば、どうして
も自分自身を押し殺して、立場のある人の意見に従わざるを得ない
時もあります。わかり易い例でいえば、芸能人を目指してる人が、
自分では決してやりたくないと思っていても、チャンスを得る為に
「仕方なく」引き受ける仕事だって少なくないと思います。主義に
合わないことを言わされたり、本当の事を隠さなければならなかっ
たりもするでしょう。そういった自分の思いと社会の要請とのディ
レンマの間で、共同体に適合しようとして自分の感情を封じている
と、遂には自己を棄てて操り人形のようにその時その人に適った、
その場限りの言動を用いることに責任を感じなくなり、さすがに人
に覚られると無視するか、或は豹変せざるを得なくなるのでしょう。
芸能人の多くが人気(他者の眼)を気にし過ぎてパニック障害に掛か
ることも頷けます。
わたしは前の章(十一)でも記しましたが、自分自身を失ってま
でして社会に適合したとしても果たして何を得るのでしょうか。こ
れは随分前に記したのですが、フランスのジョルジュ・ルオーとい
う画家は「人に教えられて成功するくらいなら、自分の考えで失敗
した方がましだ」みたいなことを嘗て語ったと、確か小林秀雄の著
書の中にありましたが、ルオーはもちろん画家だったので絵画のア
イデンティティーに拘って語ったのでしょうから一般にはならない
ですが、それでも、自分の人生を他人に求めて、操り人形のように
生きて果たして自分に何が残るでしょうか?すでに閉塞的な社会は
自由な言動が諌められ、リゴリズム(厳格主義)や秘密主義が蔓延り
増々硬直化し、我々は型に嵌まった生き方を強いられている。社会
は瑣末な末枝末葉に拘って寛(くつろ)かさを失ってしまった。我々
が人格破綻する前に、すでに共同体としての体格が破綻してしまっ
た社会を見限って、「他人に媚び諂(へつら)って生きるくらいなら、
自分の考えで生きる方がましだ」と自己本位の生き方を取り戻して
みてはどうだろうか。
尚、「BPD」について知りたい方は、専門家の説明よりも遥か
に解かり易い、具体的にボーダーの彼女に振り回された辛い体験を
残された以下のサイトを是非ご覧になって下さい。
「彼女が重度の境界性人格障害だった」
( http://anond.hatelabo.jp/20100820021613)
(おわり)
にほんブログ村