「捨てえぬ心地」(1)

2011-03-21 21:18:35 | 「パラダイムシフト」
             「捨てえぬ心地」


                 (1)


「世の中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬわが身なりけり」

 西行という人は武士の身分を捨て出家した世捨て人のように伝え

られていますが、上の句のように社会との関わりを全く絶ったわけ

ではありません。それどころか、頻繁に都に姿を現わして社会と交

流した人でした。その思いが「捨てえぬ心地して」に表されていま

す。つまり、彼が捨てたのは社会的身分だけでした。決して余命を

絶って世を捨てた訳ではありません。彼は屈強な体躯をそなえた武

士だった。辞世の句とされている、

 「願わくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」

と詠んで円寂を果たしたのは奇しくも如月の満月の頃でした。

七十二歳の長寿でした。

 我々と謂えども生まれ育った馴染みのある土地を捨てて、見知ら

ぬ土地へ移り住むとなるとそう簡単に決断できるものではありませ

ん。ただ、仕事の都合で短期間出張するとかでなく、全く戻る宛て

のない別離を言っているのですが、もちろん今では地方と謂えども

東京と遜色なく生活することが出来ますが、西行がいた時代は、華

やかな都を離れれば一転して自然の山野が広がるばかりで、人里に

慣れ親しんだ者が山里の暮らしを強いられるとなるとその侘しさは

一入(ひとしお)で、「都落ち」の落胆は身に沁みたことでしょう。

私が「パソコンを持って街を棄てろ!」を書いてる時も、いつも頭

を過ぎったのはそのことでした。果たして、都民は自発的に東京を

棄てて山々に囲まれた限界集落へ移り住むことができるだろうか?

それには、東京での文明生活にはない希望、行き詰った近代文明に

換わる新しい文明がなければならない。ちょうどその頃、国連IP

CCの報告書が発表され地球温暖化が深刻な問題だと伝えられた。

そして、自然循環型社会への構造転換が叫ばれた。しかし、東京で

自然循環型の生活など出来るわけがない。何故なら自然など無いの

だから。それでは、東京で暮らす人々が希望を抱いて新しい土地へ

移り住むには何が必要なのか?それは自然循環に応じた技術革新で

はないだろうか。そうでなければ東京を捨ててとても限界集落へ移

り住むことなどできないだろう。近代文明の欠陥を補う自然循環型

の技術革新が生まれなければならない。

 それと同時に、我々自身も慣れ親しんだ生活、水道の蛇口を捻る

ように電気を消費する生活を見直さなければならないだろう。新し

いものを掴むには手の中にある古いものは捨てなければならない。



                               (つづく)

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