「捨てえぬ心地」(3)

2011-03-26 02:29:13 | 「パラダイムシフト」
           「捨てえぬ心地」


              (3)



 ホッテントットの話もさることながら、ヨーロッパ文明の中で育

った人々が未開人たちの生活に魅了され、「非常に奇妙な生活様式

をもはや棄てることができなくなって、そこでその全生涯をすごし

たというような記事をわれわれは無数の箇所で読んだり、分別に富

んだ宣教師たちさえ、それほどに軽蔑されているそれらの民族のも

とで過ごした平和で無垢な月日を感動をもってなつかしがっている

のが見かけられたりするではないか。」というのには驚かされる。

もしかすると、文明社会というものはそれほど人を幸福にするもの

ではないのかもしれない。文明のあるなしに拘わらず、人は人と係

わり合って幸福を見出す。近代的な高層マンションの一室でさえも

絶望は忍び寄る。ところが、ただひとりで森の中でひとりで暮らし

ても快楽に適った一生を送ることもできるのだ。それは、「幸福の

評価は理性よりもむしろ感情にかかわる」からだ。果たして、我々

は感情を諌める理性に幸福の評価をかかわらせていないだろうか?

経済成長しなければ本当に幸福になれないのだろうか?ルソーは、

我々文明人の関心はただ二つのこと、「すなわち、自分のためには

生活の安楽と、他人の間では尊重されることにむけられている」と

未開人たちは容易く見抜くが、我々の理性は彼等が幼稚ともいえる

快楽に浸る精神状態を理解出来ないと言う。彼等は何もなくてもた

だ生きているだけで幸福を「感ずる」が、我々は幸福を手に入れる

ためなら不幸も厭わずに「図ら」なければならない。つまり、我々

は感情を封じて、自身の安楽と世間体のために幸福を追い求めてい

るのだ。


                                 (つづく)

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