「森の泉」
私の暮らす市には温泉施設が一軒しかなく、それも市町村合併以
前には隣村だったので市内からは離れていて、それでも、温泉好き
の私は週に一回は山間を車を走らせて浸かりに行く。二三年前まで
は市内にも一軒あったのだが潰れてしまった。其処へは車で10分
とかからない距離だったが一度たりとも訪れたことがなかった。そ
れは施設内で大衆演劇が興なわれていたからで、温泉に浸かっての
んびりすることが目当ての者にとって観劇目当ての団体客の襲来ほ
ど興醒めなものはない。さらに人伝ではあるが、酒宴の酔客が出た
後の浴槽には目をも疑うものが浮かんでいたりして汚いと聞いて尚
更で、地元の者たちから評判が良くなかった。思うに、泉質だけでは
客を呼べない施設が興行に頼ったりするのだろうがそのコラボレー
ションはどっちつかずで上手くいってるとは思えない。そもそも、県
下には数多温泉施設があるけれども源泉掛け流しの天然温泉など
一軒もない筈だが、温泉好きの者はそんなことは元より承知してい
るが、それでも白々しく「源泉掛け流し」を謳っているイカサマ温泉が
あるのには驚かされる。私が通う温泉は雑誌「じゃらん」西日本版の
読者投票で愛媛県の松山にある道後温泉に次いで上位に支持され
たほどの泉質で、もっともヤラセの疑いがないとは言えないが、湧出量
は毎分600リットルもあっても「源泉掛け流し」でなく、やはり冷泉を沸
かして湯を作っている。恐らく、今は円高で相殺されているが、何れ中
東の政情不安や新興国の需要が増えて原油の値上がりが避けられな
り、「源泉掛け流し」を謳いながらボイラーで沸かしているようなイカサマ
温泉は看板を下ろさざるを得なくなるだろう。
私の風呂好きは恐らく子供の頃にあったと思う。大阪の庶民の暮
らしには銭湯が欠かせず、子供たちは親から入浴券を貰うと近所の
なじみの銭湯には行かずに、仲間と連れ合ってあっちこっちの銭湯
を探検することが楽しみだった。阪和線の終点天王寺駅の一つ前に
「美章園」という駅があって、その頃は何とも思わなかったが今に
して思えば何とも曰く在りげな地名だが、その駅近くに「美章園温
泉」という銭湯があった。銭湯と言ってもただの銭湯ではなく、サ
ウナや電気風呂、薬風呂までがある今で言うスーパー銭湯だった。
建物は重厚なアールデコ調で造られ天井には豪華なシャンデリアま
で飾られていた。更にその階上にはダンスホールまであって、裸の
まま階段を上って確かめたことを記憶している。今、PCで確かめ
たら何でも有形文化財に指定されていたらしいが、残念なことに既
に取り壊されていた。
銭湯の思い出は尽きないが、ある時、どういう経緯か忘れたが、
友だちとの話から、小さな浴槽を飛び越えて向こう側の縁へ飛べる
かということになって、私は一番始めに浴槽を飛び越えて、ところ
が向こう側の縁には立てずに滑ってしまい後頭部を縁にしこたま打
ちつけて、それでも飛び越えることが出来たことを自慢していると
何故かみんな素知らぬ顔をした。それから、みんなと並んで身体を
洗っていると、後ろから見知らぬおっさんが「ぼく、頭から血出てる
で」と教えてくれた。手を頭に当てると鮮血で真っ赤に染まった。
それでも、「何や、それでシャンプーが泡立てへんのか」と笑って
ゴマ化したが、銭湯の人が駆け付けて、どうしてそんな怪我をした
のか尋ねたが、誰も口を開かなかった。すぐに病院に連れて行か
れて5針縫った。
またある時は、近所の銭湯の男湯と女湯が船底で繋がっていて、
しかし、その幅は子供であれば辛うじて身を収めることができる程
度で、しかも2メートル位はそのまま前に進まなければ女湯には出
れないし、その間には湯が沸きだす湧出口もあって、そこを通り抜
ければ女湯の方へ出ることができると、実際に通り抜けたすごい奴
がいたのだ。その頃はえらそうに振舞っていた私は友だちに嗾けら
れて潜ってみたが、その途中で前にも後ろにも動けなくなった時の
ことを思うと怖ろしくて、それに、子供心にもそんなことをして死んで
しまったら恥ずかしいと思って止めた。しかし、それからは何度も湯
舟の底の管に挟まったまま身動きが取れないで悶え苦しむ夢を見
た。こんな風に、私の温泉好きは子供の頃の銭湯巡りで培われた
のだ。
ところで、今では週に一度は通うなじみの温泉はリニューアル工
事のために一ヵ月間も休館することになった。私はほぼこの町周辺
の温泉施設を隈なく訪れたがその温泉を諦めて代わりに訪れるとこ
ろが見当たらなくて困っている。