「捩じれた自虐史観」⑥
私もまた、暗黒の昭和史を辿るつもりはありませんが、と言うの
も「きけ わだつみのこえ」など最初のページに何度目を通しても、
その「静かな慟哭」にとても耐えられなくなって一度たりとも最後
まで読めた験しがないほど堪え性のない人間なので、氾濫する感情
に流されて思わぬ方へ行ってしまうことを怖れるからです。とは言
っても、日露戦争から「先の戦争」までの三十年余りが事もなく流
れたわけではありません。それどころか国際情勢は愈々激動の時代
を迎え、第一次世界大戦、ロシア革命、世界恐慌と、国内では韓国
併合、関東大震災、台頭してきた軍部によるクーデターが頻発し言
論が弾圧され日中戦争へと、近代は戦争に明け暮れる狂気の時代だ
ったといっても過言ではありません。そして、わが日本帝国はアメ
リカとの戦いに破れ、多くの国民の命を犠牲にして全面降伏しまし
た。おそらく、世界中を見ても、黙って「一億玉砕」を受け入れる
国民は我々「皇民」をおいて他に存在しないに違いないが、ところ
が、「一億玉砕」はポツダム宣言受諾によって一転「堪ヘ難キヲ堪
ヘ忍ヒ難キヲ忍(ぶ)」詔勅によって「一億総ざんげ」に転換され、
ナショナリストたちが非難する「自虐史観」が生まれたのだ。仮に、
「自虐史観」が間違いだとするなら「一億総ざんげ」こそが間違い
であり、「一億総ざんげ」しなければ償えないほどの禍根をもたら
した狂気の沙汰としか思えない「一億玉砕」、つまり、国民すべて
が死に絶えても国体だけは護らなければならないという「皇国史観」
こそが間違いだったのではないだろうか?つまり、われわれの「自
虐史観」は裏返しになった「皇国史観」なのだ。
(つづく)