「捩じれた自虐史観」③

2013-06-20 02:27:47 | 「捩じれた自虐史観」


       「捩じれた自虐史観」③


 たぶん、こんなことは誰かがすでに書いているとは思いますが、

近代社会とは、科学技術の進歩によって産業を機械化し飛躍的に生

産性を高め、その恩恵は均しく国民に配分される社会だとすれば、

近代化を担うのは当然技術力であり、技術力を高めるには、目的を

共有する人々と情報の共有化が欠かせないが、そういう社会を「国

家」と呼ぶなら、近代社会は「国家」が確立されていなければ生ま

れなかった。つまり、近代化は「国家」意識のない社会には生まれ

ない。「国家」とは「秩序」です。そして、国民とはその秩序を共

有する個人です。わが国が、アジア諸国が尽く欧米列強の植民地に

される中で唯一その支配を免れたのは、唯一「国家」の体裁を保っ

ていたからではないだろうか。侵略者は内紛に乗じて勢力を拡大す

る。近隣諸国が、欧米列強の進出による混乱に乗じて反乱を起こし

たり覇権争いに血眼になって国家の存亡の時でさえも小異にこだわ

り大同団結できなかったのは、国家意識がなかったからではないか。

かつて、孫文は「中国に於いてはただ家族主義、宗族主義あるのみ

で国族主義がない」と言った。今や高度経済成長ただ中の中国では

あるが、その恩恵に与れるのもやはり家族主義、宗族主義に依って

いる。一方で、恩恵に与れないプロレタリアートには決して国族主

義は芽生えない。つまり、「プロレタリアートに国家なし」である。

 話は違う方へ行ってしまいましたが、わが国では、黒船来航以来、

欧米列強によって開国(植民地化)を迫られる差し迫った状況下で、

大名たちによる覇権争いや領地紛争が起らなかったことは徳川幕藩

体制による統一支配の下で国家意識が育まれていたからである。も

ちろん、尊皇派と佐幕派の間に激しい対立があったが、それでも、

諸藩の藩主たちは欧米列強の直接的な干渉を避け(攘夷論)、彼

らに操られることはなかった。そして、国家を危うくしてまで覇権を

競うようなこともなかった。それは誰もが大きな時代の転換を認識

していたからにほかならない。そして、何よりも運が良かったのは

七百年にも及ぶ武家政治の下でも皇室は絶えることなく脈々と代

を継いで、幕府からの大政奉還に応じることができたことが幕府

崩壊後の国権を巡る争いを鎮静させる役割を果たした。もし朝廷

が存在しなければ、たぶん大名たちによる内乱は避けられなかっ

ただろう。そして、近隣諸国が内乱から列強の干渉を受け侵略さ

れたことから、わが国も同じ運命は避けられなかったに違いない。

つまり、アジア諸国が挙って欧米列強の侵略を許した中にあって、

唯一わが国だけがその憂いを被らずに、更に、近代化を成し遂げ

ることができた背景には、近代化に欠かせない「国家」意識が確立

していたからと、「オワコン」の幕府に代わる朝廷が脈々と残されて

いたからではないだろうか。そして、国家意識が備わっているという

ことは、国民の秩序意識が高いということにほかならない。



                                     (つづく)