「無題」 (十七)―⑧

2013-09-11 06:27:52 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



                 「無題」


                 (十七)―⑧



 個々の生き物が支配されている強い感情は恐怖である。そこで生

き物たちは恐怖から遁れるために群れを求める。生きるとは恐怖か

ら遁れることなのだ。群れは個々が恐怖から遁れるために形作られ

た手段である。群れに身を潜めることで恐怖が共有分散され、そし

て恐怖そのものが対象化され認識、つまり理性がもたらされた。社

会を繋ぐ言葉は叫び声から生まれた。だから認識を共有できない異

質な他者は恐怖をもたらす。他者に対する反発や憎悪やはその元を

辿れば恐怖心に到るに違いない。世界は恐怖によって回っているの

だ。近隣諸国が未だ反日感情を抱くのは過去の植民地支配の屈辱的

な恐怖が甦ってくるからだろう。彼らは過去にわが国から恐怖を与

えられた。それに対してわが国は彼らの恐怖心を取り除く努力をし

てきただろうか。つまり、認識を共有しようとしてきただろうか。

他者との信頼だとか友好だとかいう関係は恐怖の「少ない」関係の

ことである。恐怖を拭えずに信頼など築けない。そもそも生きるという

ことが恐怖や不安から遁れることだとすれば、なんと今やこの世界は

無神経に人々を恐怖に陥れていることだろう。放射能汚染が恐怖で

あることは言を俟たないが、それ以上に恐怖を感じるのは関係者が自

分たちの利権を守るために被害を被る国民とは認識を共有しようとせ

ずに、強権によって原発の再稼働を決めようとしていることだ。たぶん、

原発の廃止は甚大な経済的損失をもたらすのだろうが、それさえもそ

もそも原発が抱えていた問題であったはずだ。少なくとも、未来を失う

かもしれない原発事故の恐怖に怯えながら今を楽して生きるよりも、

今を耐え忍べば未来への憂いが失われることの方が、この国で群れ

て生きるわれわれは、より恐怖から遁れることができるのではないだ

ろうか。

                                   (づづく)