「非正規社員に愛社精神なし」
確か「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ペンダサン著)に書かれてい
たのだと思うが、某国の(著書では実際の国名が書かれていた)使用
人に倉庫番をさせると倉庫の中のものが次々に無くなっていくが、
日本人にさせるとそんなことは起こらない、と日本人のモラルの高
さを評していたが、昨今の非正規従業員(?)らによる「バイトテロ」
を見るに、いよいよ日本人の従業員のモラルも、もちろん悪い意味
でだがグローバルスタンダードに同化し始めたたかと思わざるを得
ない。しかし、これまでは右肩上がりの経済成長の下で、とはいっ
ても随分昔のことになってしまったが、終身雇用に守られ年功序列
によって所得が上がっていく時代が失われると、何のことはない、
日本人の高いモラルというのも実は損得勘定の上で従ったまでのこ
とだったのではないかと疑わざるを得ない。つまり、それぞれが主
体的にそうあるべきだと思ったからではなくて、大樹の陰に身を寄
せることが得策だったからに過ぎなかったのではないか。
「プロレタリアートに国家なし」、私はこの言葉を、高橋和巳の
エッセイ集「孤立無援の思想」で知ったのだが、誰か著名人の言葉
だと思って調べてみたが少なくともネットには掛からなかった。昨
今は政治家だけにあらず多くの言論人までも喧しく愛国心を煽って
原理主義への回帰を訴えるが、賎しい言い方をすれば、所謂「マッ
クジョブ」で糊口を凌ぐワーキングプアたちとって果たして愛国心
が何らかの安心を与えてくれるのだろうか?かつて経済成長期には
頻りと社員の愛社精神が持て囃されたが、ところが経済成長が停滞
し始めると、途端に企業は生き残るために正社員を減らして使い捨
ての非正規社員を増やした。しかし、彼ら非正規社員が会社の成長
のために身を賭して働くことはないだろう。それどころか将来の夢
さえ描けない仕事、待遇だけでなくマニュアルに決められたことし
かさせてもらえない単純作業から仕事への情熱などというのは疾う
に失せて、辞めることばかり考えている彼らが企業の信用を貶める
ことで待遇への鬱憤を晴らそうとするのにも「三分の理」があるの
かもしれない。
私はここで敢て彼らの行為を怪しからんと言わないで置こうと思
う。何故なら、彼らはたぶん作業をするにあたって食品衛生の指導
など受けずに、ただマニュアルだけに従った作業を、何故そうしな
ければならないかも分らずに、行っていたに違いない。つまり、彼
らが映像をSNSに流すまでは彼ら自身もその行為が不衛生だと非
難されるとは思わなかったのではないか。ということは、表沙汰に
ならない作業現場では実際はもっと信じられない不衛生な行為が日
常的に行われていたからではないか?図らずも彼らの悪ふざけがそ
の一端を暴露してくれたのではないだろうか。それもひとつの情報
として見れば、衛生のことなど全く意識しない従業員を雇っている
会社の信用が失われたことは、ただ彼らだけの責任だとも言えな
いのではないか。
さて、一企業の一非正規従業員による「バイトテロ」なら法的処
分で済むかのかもしれないが、格差社会の問題は、たとえば「アラ
ブの春」と呼ばれる民主化運動もその根底にあるのは不公平な格差
社会に対する不満から内乱へと発展した。その後のエジプトにしろ
シリアにしても、もはや民主化運動の域を越えて宗派間の権力争い
にまで拡大している。いまや、いずれの国でも社会を不安定にして
いるのは格差問題である。北一輝は著書『国体論及び純正社会主義』
の中で「生きるとより死に至るまで脱する能わざる永続的飢饉の地
獄は富豪の天国の隣りにて存す」と述べているが、もちろん現在は
当時ほど固定的ではないとはいえ、停滞した格差社会の下で、国家
を見限ったワーキングプアたちがより過激になって「国家テロ」へ
と暴走することだってないとは言えない。非正規社員が増え愛社精
神が廃れたように、愛国心もまた社会格差に応じて意識格差が生じ
るとすれば、某国に習って馬鹿げたスローガンや教育によって愛国
心を洗脳するよりも、政治は、格差社会を是正して「ぢっと手を見
る」人々が国家意識に目覚めるような健全な社会を築く方が早いの
ではないか。そうでなければ、いずれ国家が危うくなるような事態
さえ発生するかもしれない。何故なら「ワーキングプアに国家なし」
だから。
(おわり)