「同じものの永遠なる回帰の思想」⑥

2018-07-09 03:30:40 | 従って、本来の「ブログ」

-      「同じものの永遠なる回帰の思想」⑥


       ハイデッガー著「ニーチェ」①②を読んで


 上下巻を合わせると優に千ページを越える浩瀚な本で、その要点

だけをかい摘んで記したとしても多分その尻尾の毛を掴むくらいで

、全体を過たずに捉えるとなれば、それもまた浩瀚な文章にならざ

るを得ないし、さらに哲学書独特の難解な言葉に迷わされて、読み

終えたと言っても理解できたかどうかは覚束ないので、ここでは主

に私の感想を記することにします。

 まず、ニーチェは「存在とは何であるか?」と問うことは「思

想の中の思想」または「もっとも重たい思想」だと言います。(ア

リストテレスはそれを「第一哲学」と呼びました。)そして、存在

者(存在するもの)の存在とは「力への意志」であると言います。

 以下は私考ですが、物質を構成する素粒子は、正負どちらかの電

荷があり、異なる電荷同士の間には引力が、そして同じ電荷同士に

は斥力が働きますが、それは驚くべきことで、そのことによって世

界は無への回帰から逃れて存在の多様性が生まれました。それらは

他者との間に結合や反発を繰り返して新しい原子を形成し、さらに

原子は同じようにして分子を形成します。つまり、そもそも存在者

(存在するもの)を構成する最小単位の物質においてすでにある力を

有しているのです。われわれは「力への意志」と聞くとすぐに権力

主義であったり生存競争を思い浮かべますが、ハイデッガーは「意

志」を「命令」と似たニュアンスだと解説してくれてます。たとえ

ば、私が人を好きになったり嫌いになったりするのは私の感情に拠

るのですが、私自身が外の世界に対して抱く様々な感情であったり

認識(理性)は、あるがままで静止している自分を自分自身の中から

動かして変えようとする意志が生まれ、意志はそうするために力に

働きかけます。つまり、今の自分を越えて未知の高みへ自分を投企

すること、それこそが「力への意志」であり、何も厳格な命令だけ

を言うのではありません。つまり人を思い遣ることも「力への意志」

によることに他なりません。素粒子から宇宙の果てまで存在者(存在

するもの)のすべては「力への意志」による、と言うのです。

                         (つづく)