「同じものの永遠なる回帰の思想」⑥-3
ハイデッガー著「ニーチェ」ⅠⅡを読んで-3
真理について、「ニーチェはかく語り」ます。(赤字は本書では
すべて傍点がされている)
「〈真理〉の本質とは、〈私はしかじかのものはこうであると信じ
る〉という価値評価。この価値評価のうちには、維持と成長の諸条
件(Erhaltungs-und Wachstums-Bedingungen)が表現されてい
る。我々のすべての認識器官と感能は、もっぱら維持と成長の諸条
件という観点から発達してきたのである。理性とそのカテゴリーへ
の信頼、弁証法への信頼、要するに論理学の尊重は、経験によって
証明済みの、これらのものの生にとっての有用性を証明しているに
すぎず、それらのものの〈真理〉を証明するわけではない。幾多の
信が現存する必要があること、判断を敢えてすることが許されてい
ること、すべての本質的価値に関しては疑念がないということ――
これが、すべての生物とそれの生命の前提である。すなわち、何ご
とかが真なりと見なされなければならないということが必然であっ
て――それが真であるということは必要ではない。
〈真なる世界と仮象の世界(die wahre und scheinbareWelt)〉
――この対立は、私から見れば、価値関係へ還元される。われわれ
はわれわれの維持条件を、存在一般の述語として投影(projiziert)し
たのである。われわれは発展するためにはわれわれの信において安
定している必要があるということ、――このことをわれわれは、〈
真の〉世界は変化生成する世界でなく、存在する世界である、とい
うふうに作りかえたわけである」。【断片五〇七番(一八八七年春
から秋にかけて成立)】
ニーチェは新たな主著の執筆を準備をしていたが、その表題は「
新たな価値定立の原理」だったが、精神を病んでしまって遂に果た
せなかった。しかし、そのために書き残した多くのメモや断片を彼
の死後に編集され出版された。この文章はその断片の一つで、ハイ
デッガーは、この断片を「幾巻もの認識論の書物を無用にするほど
のものである」とその重要性を語る。そこで主題になっているのは
真理の本質規定である。ニーチェは真理の本質とは「価値評価」で
あると言う。「価値」という言葉はニーチェにとって本質的な言葉
である。「価値」とは「生」の条件であり、その「生」の本質を、
おのれを超え出でる昂揚(力への意志)と見なしていたニーチェは、
「ダーウィンの影響を受けた同時代の生物学や生命論のように生の
本質を、《自己保存》(《生存競争》)と見たのではなかった。」(
ハイデッガー) 生の本質が生の昂揚であるとすれば、昂揚とは「―
―或る自己超出(ein Über-sich-hinaus)である。ということは、生
は昂揚においておのれ自身のより高い可能性を自分の前方に投企し
て自分自身を前進させ、まだ達成されていないもの、これから達成
されるべきものへ自分自身を志向させる、ということである」そし
て「昂揚の中には、より高いものの圏内へ行き向かう見通しのよう
なもの、一種の《遠近法的展開》(Perspektive)が含まれている。」
生が生の昂揚であるかぎり「生はもともと《遠近法的性格》をそな
えている。これに応じて、生の条件たる《価値》にも、この遠近的
性格がそなわっている。」「《生》、《生の条件》、《価値》――
これらはニーチェの基本用語であって、それなりの独特の規定性を
帯びており、しかもこの思索の根本思想によって規定されているの
である。」(ハイデッガー)
(つづく)