海に「放出しかない」福島第1の汚染水処理 原田環境相

2019-09-10 12:02:25 | 従って、本来の「ブログ」

      『海に「放出しかない」福島第1の汚染水処理』 原田環境相

 

 原田義昭環境相は10日の閣議後記者会見で、東京電力福島第1

原発から出る汚染水処理について、「(海に)放出して希釈するし

か方法がない」と述べた。その上で、「これから政府全体で慎重に

議論すると思うので、単なる意見として聞いてほしい」と話した。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019091000524&g=soc&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit

        *      *      *

 

 世界は今、プラスチックごみの海洋投棄が問題になっている最中

に、しかも、7月に開催されたばかりのG20大阪サミットでは主

要国の首脳が集まって、海洋プラスチックごみを2050年までに

ゼロとする目標を決めたばかりであるのに、そんなことも忘れて、

こともあろうに環境大臣が放射能汚染水の海洋放出を口にするとは

、一体あの会議は何だったのか?プラスチックごみはダメだけど放

射能の汚染水なら構わないと言うのか?薄々そうするのではないか

とは思っていたが、それにしても「アンダー コントロール」はいっ

たいどうなったんだ!そもそも安倍内閣はアベノミクスしかり、公

約を何ひとつ実現させていないではないか。大前研一「安倍首相が

実現させ公約はひとつもない」

https://president.jp/articles/-/26699?page=3

汚染水の放出はいかにの安全性を強調しても、国内はもちろん、

近隣諸国だって絶対に納得しないだろう、特に韓国は鬼の首を取っ

たように非難するに違いない。そもそも「放出して希釈する」とい

うことは世界中の海洋を汚染することにほかならない。そこは多様

な命が生まれた生命の源泉である。たとえ福島県が貯水タンクで埋

まっても、それどころか日本列島が貯水タンクで埋まったとしても、

それだけは絶対にやってはいけないことだと思う。自国の窮状を遁

れるために地球上の命を危険に曝すことは地球人として絶対に許す

ことができない。汚染水被害のリスクは日本だけが負わなければな

らないのだ。素人の意見だが、たとえば使われていないダム湖に貯

水するとか、或は近隣の山中に人造湖を造って貯水するとか。もち

ろん流出の危険性はあるかもしれないがそれは国内問題に過ぎない。

つまり、国内の汚染水は絶対に「海外」に放出してはならない。そ

れはおそらく日本という先進国の存立に係わることだと思う。

 ところで、今や中国は58基もの原発を日本海を望む海岸線沿いで

稼働させているが、もしも中国で原発事故が起こったならば、私はた

ぶん次は中国が危ないと思っているのだが、彼らは躊躇せずに汚染水

を海洋に放出しようと考えるに違いない。その時、中国を信頼してい

ないわが国はパニックに陥り、わが国の抗議がダブルスタンダードに

ならない為にも、つまり「お前たちもそうしたではないか」という言

質を与えない為にも、決して汚染水を海洋放出してはならない。


「あほリズム」(550)

2019-09-10 04:04:33 | アフォリズム(箴言)ではありません

 

        「あほリズム」

 

         (550)

 

 台風一過による鉄道の運休がもたらした通勤客の混雑は、

果たしてこれがネット社会の出来事なのかと思ってしまう。

「運休しているのが分っていて何で行く?」 

https://video.twimg.com/ext_tw_video/1170900447378518021/pu/vid/640x360/39sKuGOyyxizq1kl.mp4?tag=10

 

          (551)

 

 情報伝達の仕組みが適切に機能していないとすれば、たとえば、

鉄道会社の言うことは言葉足らずで判断できないとか、もしかした

らすぐに動き始めるかもしれないとか、予測が情報よりも優先され

るとすれば、こと通勤であればそれほど気にすることでもないのか

もしれないが、もしも、生死を分ける緊急の事態であれば、更に情

報がフェイクであったとすれば、信用できないネット情報によって

空回りする社会ほど怖ろしいものはない。

 

          (552)

 

 それほど異常だとは思わないことの異常さ。

そもそも、ネット社会そのものが非日常的であるということ。

 

           (553)

 

 正確な情報を発信することと正しく受け取ることの難しさは、

情報が固定化した言葉によって伝えられ、言葉は変化する状況ま

では捉えることができないからである。どれほど正確に今現在の

状況を説明したとしても、生成の世界はその状況を覆すのに理由

は要らない。つまり、情報が真理を追い求める限り、情報は誤謬

から遁れることができない。

 

 

            (554)

 

 であるとすれば、いかなる情報もその内容よりもまずその真偽

を確かめなければならないことになり、情報化社会にとって発信

者の信頼性こそが重要になる。虚偽の情報はもちろんのこと、偏

った情報、隠蔽された不十分な情報など、過失であれ故意であれ

、発信者によって歪められた情報の流布ほど怖ろしいものはない。

 

            (555)

 

 たぶん我々は正確な情報のやり取りの方法を考えなければなら

ない。