「日本は加害者でもあった」
朝日新聞デジタルの記事より
『「日本は加害者でもあった」抑留経験の僧侶はシベリアへ』
https://digital.asahi.com/articles/ASM9104M1M80UHBI039.html?rm=315
1919年3月、シベリア出兵中の旧日本軍が多数の住民を殺害し
た事件があったロシアの村を20年間以上にわたって訪ね、慰霊し
てきた日本人僧侶がいる。自らは第2次大戦後、シベリアに抑留さ
れた。高齢となり今年の訪問を最後にするつもりだが「憎しみを乗
り越えるには、お互いの立場を知って寄り添うこと」と改めて感じ
ている。(以下有料記事のため不記載)
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わが国は、近隣諸国からの反日感情を謂れのないものだと反論す
るが、過去を振り返ればロシアに限らず、かつて「日本は加害者で
もあった」という、被害国にすれば忘れ難い史実を、我々はすっか
り忘れてしまって、安っぽい国家主義に陥っていないだろうか?そ
の認識のズレが感情をこじらせているのではないか。「戦後レジー
ムからの脱却」、つまり戦争責任からの脱却を加害国が一方的に宣
言して、被害国がそれをあっさり受け入れると思っているのだろう
か。改めて問うが「もはや日本は加害者ではない」のだろうか?
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「イワノフカ村事件」とは、1917年にロシア革命が起きると、
日米英仏などはシベリアに共同出兵して反革命派を支援。日本はシ
ベリア中部のバイカル湖畔まで占領した。日本軍側が当時、住民か
ら聞き取った記録によると、イワノフカ村では19年3月、抗日パ
ルチザンを掃討するためだとして村民を射殺し、物置に押し込めて
火を放つなどして200人以上を殺害したとされる。