「あほリズム」(596)

2019-10-23 07:50:42 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (596)

 

 生きることは《手段》に過ぎないとするならば、近代とは《目的

喪失》の時代である。われわれが創り出した科学技術、自動車も、

電気も、医療も、核兵器も、すべて《手段のための手段》でしかない。

 

            (597)

 

 生きることは《手段》に過ぎないとするならば、その《目的》と

はいったい何だろうか?西欧形而上学はさんざん神学論争を経た後

に、形而上学的な思考方法の限界を認識した。存在するかしないか

(神の存在)を思惟によって証明することはできなかった。神の存在

を証明することはできなかったが、その方法論は科学(実存)に応用

されて華々しい成果を上げた。後にニーチェは、プラト二ズム(プラ

トンが説いたイデア論[理想と現実の二世界論])を逆転させ、形而上

学的思考の固定的な結論(絶対性)が変遷流転する生成の世界(相対性)

に的中しないことを説いた。ここでは、我々の認識が変わってしまい

《手段》がいつの間にか《目的》へと変貌する。つまり、生きること

は《目的》に《過ぎない》のだ。

 そういった認識の変化から生じる言語矛盾の実例を挙げれば、

「我々は、わが国の平和を守るためなら戦争も辞さない」安倍晋三