「あほリズム」
(636)
日本語には「品格」という言葉があるが、トランプ大統領
を見ているとアメリカ大統領に相応しい「品格」に欠ける。
それでも彼が国民から支持されているすれば、いまやアメリ
カ国民の多くが品格よりも「アメリカファースト」を求めて
いるからにほかならない。だが、わが国もアメリカを笑うこ
とができない。安倍政権の下で不透明な便宜供与が疑われて
も、いまや日本国民の多くが首相の品格よりも「アベノミク
スの幻想」を求めているからだ。こうして「安倍一族」は官
吏たちの忖度に守られて滅ぶことなく続いている。
「品格」を「余裕」と言い換えれば、今やアメリカは余裕
を失い始めている。余裕を失った社会から新しい展望は生れ
て来ないだろう。つまり、アメリカの終わりの始まりである。
そして、いまやアメリカどころではない巨額の負債を抱える
わが国は、すでにそれさえも話題にしなくなって、とうの昔
に「余裕」を失くして行き詰った社会はとうに終わっている。
(637)
アメリカの民主党の迷走ぶりを見ていると、まるでわが国
の野党の迷走の後を追走しているかのようだ。たぶんわが国
は《失政においては》アメリカ政府に先行している。
(638)
トランプ大統領のウクライナ疑惑への弾劾裁判は、共和党
がボルトン前大統領補佐官の証人尋問を拒否して主権者であ
る国民の「知る権利」を冒した。これは民主政治の否定にほ
かならない。共和党はまるでわが国の与党の隠蔽政治の後を
追走しているかのようだ。