「技術と芸術」
(4)
ショウペンハウア―は、我々の認識能力には限界があり、世界全体
を認識することはできず、表象の世界だけしか認識することしかでき
ないので、我々はそれぞれの認識能力に応じた表象としての世界を世
界全体として認識するしかない。つまり、「世界とは私の(認識能力が
創り上げた)表象(の世界)である」。
同じように、我々の身体は生存本能に縛られていて、それは存在す
るすべての生物が共有する謂わば本能的な意志であり、つまり、「世
界(の意志)とは私の(本能に引き継がれた生存への強い意志である」。
そして、我々の世界とは「(生存するための)意志と(誤謬である)表象と
しての世界」なのだ。たとえば、我々は誰しも等しく幸福を追い求め
るがすべての人が同じ幸福を手にすることはできない。ところで、我
々が幸せを追い求めるのは苦しさから脱け出したいと思うからにほか
ならない。だとすれば、我々は苦しみの世界に生れてきたのではない
か?そして、生きることの共通の苦しみから抜け出そうとして意志が
芽生える。ショウペンハウア―は苦しみの共感を「共苦」(Mitleid=ミ
ットライト)と呼び、「共苦」こそが世界の現実だと考えた。まさに
それは仏教の世界観にほかならない。
(つづく)