「あほリズム」(645)

2020-03-03 17:02:27 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (645)

 

 安倍政権による新型コロナウィルスへの対応は、まず、感染拡大

が予想された春節期にインバウンドの減少がもたらす観光事業への

影響を危惧して、中国からの入国を全面禁止にせずに水際での防疫

に失敗して、国内での感染が拡大すると、今度は地域差があるにも

かかわらず全ての学校を一斉休校にして国内経済を混乱させた。そ

れは、まるで「羹(あつもの)に懲りて 膾(なます)を吹く」ようなチグ

ハグな対応によって、いまや我が国は感染の拡大と景気の縮小に苦

しんでいる。

 

 

 


「技術と芸術」 (7)のつづき

2020-03-03 10:41:51 | 従って、本来の「ブログ」

          「技術と芸術」

           (7)のつづき


 さて、では《情動》とは何かといえば「恐怖・驚き・怒り・悲し

み・喜びなどの感情で、急激で一時的なもの。情緒。」(Goo辞典)

とある。つまり《情動》とは「急激で一時的な」「感情」である。

たとえば、我々が怒りや喜びを感じるのは大概「急激で一時的」だ

が、そして感情に身をまかす時、我々は《我を忘れる》。つまり《

情動》は我々を本来の自分を昂揚させて別の自分へ向かわせる。と

ころで、「意志するとは、自分を超えて意志することである」(ニ

ーチェ)とすれば、《情動》は「意志」と同じように、否、「意志」

は《情動》と同じように自己超越の様相を呈す。ニーチェは、「人

間とは、まず思惟する存在であって、その上になお意志し、そのさ

い更に思惟と意志のつけたしとして――美化のためにせよ醜化のた

めにせよ――感情をあわせもつ、というような者ではない。そうで

はなく、感情の状態性こそ根源的なものであり、思惟と意志もこれ

に属しているのである。」(ハイデガー『ニーチェ』)と言い、つま

り、理性によって規定される思惟や意志も、その根源は「自分を超

えて新しい自分に転化することの悦び」の感情、つまり「意志する

とは感情(気分の状態)である。」(〃)というのだ。

                         (つづく)