「技術と芸術」
(7)のつづき
さて、では《情動》とは何かといえば「恐怖・驚き・怒り・悲し
み・喜びなどの感情で、急激で一時的なもの。情緒。」(Goo辞典)
とある。つまり《情動》とは「急激で一時的な」「感情」である。
たとえば、我々が怒りや喜びを感じるのは大概「急激で一時的」だ
が、そして感情に身をまかす時、我々は《我を忘れる》。つまり《
情動》は我々を本来の自分を昂揚させて別の自分へ向かわせる。と
ころで、「意志するとは、自分を超えて意志することである」(ニ
ーチェ)とすれば、《情動》は「意志」と同じように、否、「意志」
は《情動》と同じように自己超越の様相を呈す。ニーチェは、「人
間とは、まず思惟する存在であって、その上になお意志し、そのさ
い更に思惟と意志のつけたしとして――美化のためにせよ醜化のた
めにせよ――感情をあわせもつ、というような者ではない。そうで
はなく、感情の状態性こそ根源的なものであり、思惟と意志もこれ
に属しているのである。」(ハイデガー『ニーチェ』)と言い、つま
り、理性によって規定される思惟や意志も、その根源は「自分を超
えて新しい自分に転化することの悦び」の感情、つまり「意志する
とは感情(気分の状態)である。」(〃)というのだ。
(つづく)