「あほリズム」(653)

2020-03-19 13:24:35 | アフォリズム(箴言)ではありません

        「あほリズム」

 

         (653)

 

 かつて我々の精神は神に依存したが、今では科学に依存している。

果たして我々の精神は「自立」することがあるのだろうか?

 

           (654)

 「神が死んだ」と説いたニーチェはこう言います、

 「われわれは、真の世界を破棄した。いかなる世界が残されたか。

 もしかすると、仮象の世界でも?・・・・断じて否。われわれは、

真の世界とともに、仮象の世界をも廃棄してしまったのだ。」

     *       *         *

 「真の世界」とは永遠不滅の「神の世界」、つまり「あの世」の

ことで、信仰を破棄した者は「仮象の世界」、つまり「この世」を

「真の世界」と思えるだろうか?しかし、われわれはいずれ死んで

しまう。だとすれば、果たして存在しなくなる世界を「真の世界」

と言えるだろうか?「神の世界」を棄てたことで「この世」も意味

を失ってしまったのではないか。こうして世界はニヒリズムに陥る。

そして、ニヒリズムから遁れるために神に代わって科学技術が発達

した。われわれは小石で遊ぶ猿のように科学技術を玩(もてあそ)ぶ。

しかし、科学はせいぜい世界の一部でしかなく決して世界全体を認

識できない。

            (655)

 

 われわれは「真の世界」(神の世界)を破棄した。そしてニヒリズム

に陥った。ニヒリズムを紛らわしてくれたのがまさに科学技術である。

つまり、われわれの依存が神から科学に代わっただけのことである。

われわれは決して自立していない。

 


「技術と芸術」(8)のつづき

2020-03-19 09:01:57 | 従って、本来の「ブログ」

          「技術と芸術」

          (8)のつづき

 
 われわれは今や技術だけでなく知能までも科学技術に委ねようとし

ているが、そもそもAI(人工知能)とは過去のデータを基にして未来

を予測するシステムであるからAIから何か独創的な思考や技術が生

れて来ることはない。もちろん我々がそれを独創的だと判断すればそ

れまでだが、AI化社会とは、つまり後ろを見ながら後ろ向きに進む

社会であり、気が付けばまた元の場所に戻っていたということになる

。たとえば、それは将棋や碁のようにルールが決まっている世界なら、

いつも同じ展開が繰り返されても気にならないのかもしれないが、お

お、これはまさに「同じものの永遠なる回帰」ではないか、しかし、

生成の世界とはその枠組みやルールが変更されるのだ。過去のデータ

が無意味化した新しい世界ではAIは全く役に立たない。そして、生

成としての人間も常に新しいものを追い求める限り、AIは人間がこ

れから何に新しい価値を見い出すかを予測することはできない。

                          (つづく)