「あほリズム」(756)~(759)

2020-10-04 23:02:14 | アフォリズム(箴言)ではありません

            「あほリズム」

 

             (756)

 

 関西には何でもすぐに口を挟んでくる輩を「いっちょかみ」と呼

ぶが、まあ、他人の上げ足を取らせたら日本一の橋下徹は、たぶん

それは弁護士としては優れた気質だったに違いないが、しかし、自

らの政治信条は語らずに、かつて大阪府知事時代には、教職員が「

君が代」をちゃんと謳っているかどうか口元を監視させたほどの男

で、他人のどうでもいい些細な上げ足を取ることには「いっちょう

かむ」。つまり、さすが弁護士で、やることが何もかも「せこい」。

 

              (757)

 

 そうか!SNSとは「いっちょかみ」ツールだったんだ。

 

              (758)

 

女性はいくらでもうそをつけますから

と、言ったにもかかわらず、問い詰められると言ってない

とウソをついた杉田水脈議員は、自らその真実を実践した。

 

               (759)

 

 世界中が保守化している。

たぶん、これはヒューマニズムの終わりの始まりだ。

自国優先主義は自己中心主義の始まりにほかならない。

そして、自己中心主義は決して人間中心主義(ヒューマ

ニズム)とは違う。


 ハイデガー「存在と時間」上・下(13)

2020-10-04 22:46:33 | 「ハイデガーへの回帰」

        ハイデガー「存在と時間」上・下

 

             (13)


 ハイデガーの本を何冊か取り寄せて、彼がわずかでも「自然に帰

れ」らしき発言を残しているかもしれないと思って探してみたが、

木田元氏が言うようなハイデガーの〈企て〉、それは「人間を本来

性に立ちかえらせ、本来的時間性にもとづく新たな存在概念、おそ

らくは〈存在=生成〉という存在概念を構成し、もう一度自然を生

きて生成するものと見るような自然観を復権することによって、明

らかにゆきづまりにきている近代ヨーロッパの人間中心主義文化を

くつがえそうと企てていたのである。」(木田元「ハイデガーの思

想」)、と語られているような明確な言質を見つけることはできなか

った。ただ、〈世界=内=存在〉であるとか、〈始原忘却〉である

とか、それらの言葉から自然回帰への想いは読み取れないわけでは

ない。たとえば、われわれがどれほど自分たちの都合のいいように

世界を作り変えたとしても、〈世界=内=存在〉である人間は〈存

在=生成=自然〉に依存しなければ生きられないことは明白である。

さらに近年は地球環境問題が深刻化して、人間中心主義的文化(ヒュ

ーマニズム)の限界が近づいていることに気付かない者はいない。つ

まり、近代科学文明社会がこれからも永遠に続くことは有り得ない。

だとすれば、われわれが今享受している近代社会はいずれ淘汰され

消滅する幻想文化にほかならない。それどころか、今われわれが営ん

でいる生活そのものがさまざまな機械を代用させることによって、本

来の生存能力を著しく退化させていることは明らかである。いずれ、

エネルギー資源の枯渇によって「快適な生活」を失った近代人が、退

化したい身体を恨みながら、いったい何のために生きているのかさえ

見失って、遂には絶滅するようなことがないようにするために、われ

われは、今のうちから科学技術に頼らずに自らの能力を進化させ、「

人工の世界」を脱け出して「生成の世界」へ回帰するべきではないだ

ろうか。おそらく、その時はすでに訪れている。

「だって将来は誰一人としてそんな風にして暮していないんだよ」

 

                         (おわり)