これは、中島敦の「名人伝」を下敷きにしたパロディーです。
汚らわしい描写が頻出しますので、良い大人の皆さんは読ま
ない方が無難でしょう。
ケケロ脱走兵
* * * *
「性人伝」
東京の新宿に住む起承(きしょう)という男が、天下第一の性の名人
になろうと一物をおっ立てた、あっ違う、志を立てた。己(おのれ)の
師と頼む人物をアダルトビデオを観て物色するに、今や女を抱かせて
は、名手・転結(てんけつ)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百人の女
を相手に休まずに百発百中させたという達人だそうである。起承はは
るばる転結をたずねてその門にはいった。
転結は新人の門人に、まず勃起せざることを学べと命じた。起承は
彼女の家に行ってその閨(ねや)に潜り込んだ。理由を知らない彼女は
大いに驚いたが、厭がる彼女を起承は叱りつけて説得し、無理に身体
を求めたが勃起させることはなかった。来る日も来る日も通い続けて、
おかしな恰好までして絡み合っても決して勃起させなかった。二年の
後には、彼女の方が呆れ果てて断りもなく家を替えてしまった。すで
に一物は用を足す時も空気の抜けた風船のように垂れ、さすが性の
名人を志すだけの一物といえども、彼は正坐をすれば膝頭が三つでき
ると噂されるほどの、それも遂には玉だけを残して竿は身体深くに
陥没してしまった。
それを聞いて転結がいう。勃たざるのみではまだ性技を授けるに足
りぬ。起承は「そらそうだ」と合点した。次には、勃つことを学べ。
勃つことに熟して、さて、ものに依らずただの言葉から、凡そ情欲を
そそらざるものに到るまで、果ては何も思い浮かべずとも思いのまま
に勃起を操ることができ、自在に動かせること犬の尾のごとくになれ
ば、来たって我に告げるがよいと。
起承はふたたび家に戻り、部屋中から欲情を刺激するものをすべて
除き、手始めに桃を、次に林檎と果実を見詰めて勃起を促した。それ
が上手くいくと、今度は態と性欲を催さないものを選んで勃起を催そ
うと試みた。始めは全く勃たなかったが三月めの終わりには、化粧品
や入浴剤などの香りのあるものに反応し、その香りを移した衣服やソ
ファ、やがて、香りがなくとも想像が働き、食器や書物にも情欲が湧
いてきて、遂には、家具や文具、ドアノブ、電化製品、照明にまで、
つまり、家中の有りと有らゆるものが情欲をそそるまでになり、起承
の一物は何時も反り返ったままになった。すると、その付け根を縛り
1リットルのペットボトルに水を満たしてそれへぶら下げて鍛え上げ、
今では限は腕っぷしを上回るまでに漲るまでになった。今度は、その
一物を思い通りに動かせるようにするために、部屋の中でひねもす一
物を露出させたまま、副交感神経を自在に操れるように訓練を繰り返
した。そして早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気づくと嬉しい
ことがあるとその一物が犬の尻尾のようにパタパタと上下に振れた。
そして、肛門の筋肉を弛緩させると、左右にも動くようになった。し
めたと、起承は誤って真ん中の膝を打ち、痛い思いをしながら表へ出
る。彼はわが目を疑った。人々は欲情丸出しで歩いているではないか。
女性は淫靡な香りを漂わせて、起承の一物はそれだけで発射寸前だっ
た。道路のアスファルトを見ても建物を見ても店先の商品を見ても、
街中がセクシャルなもので溢れていた。雀躍として家にとって返した
起承は、脳裏に思い浮かべた記憶を頼りに一物には触れもせずに射精
して果てた。
起承はさっそく師のもとに赴いてこれを報ずる。転結は高踏して胸
を打ち、はじめて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、ただちに性技
の奥義秘伝を剰(あま)すところなく起承に授けはじめた。一物を自在
に操る訓練に五年もかけた甲斐あって起承の性技の上達は、驚くほど
速い。
奥義秘伝が始まって十日のち、試みに百人の女を相手に、すでに休
むことなく百発百中である。勃起した一物を五指ように自在に操り弛
緩と膨張だけで腰を使わず相手を逝かせた。そばで見ていた師の転結
も思わず「善し!」と言った。
もはや師から学び取るべき何ものもなくなった起承は、ある日、よ
からぬ考えを起こした。いまや性技をもって己に敵すべき者は、師の
転結をおいてほかにない。天下第一の名人となるためには、どうあっ
ても転結を除かねばならぬと。転結には愛する女性が居た。起承は秘
かに彼女を誘い出して不義を迫った。固より性風俗の世界に身を寄せ
る者は、貞操に拘っていては生きていくことは適わない。彼女は酒酔
に我を失し起承に身を任せた。やがて、転結はそれに気付いて、彼女
を咎めたが、彼女が人倫を失うは自分の生業に因すると深く省みて、
きっぱり仕事の竿を納めた。彼はこの危険な弟子に向かって言った。
もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。濔(なんじ)がもし
これ以上この道の蘊奥(うんおう)を極めたいと望むなら、ゆいて西の
方大阪の信太山の頂を極めよ。そこには寛容老師とて古今を曠(むな)
しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の
技のごときはほとんど児戯に類する。濔の師と頼むべきは、今は寛容
師のほかにあるまいと。
起承はすぐに西に向かって旅立つ。己が業が児戯に類するかどうか、
とにもかくにも早くその人にあって技を比べたいとあせりつつ、彼は
ひたすら道を急ぐ。おっ立つ起承を、あっ違う、気負い立つ起承を迎
えたのは羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんで
ある。来訪の趣意を伝えて、透かさず下衣を下げて一物を露出して、
反り返った一物を自在に動かした。
ひととおりできるようじゃな、と老人が穏やかな微笑みを含んで言
う。老隠者は起承を導いて、そこから二百歩ばかり離れた廓へと連れ
て来る。老師が馴染みの店へ入ると客俟ちの遊女が大挙現れて頭を下
げる。その中から二人を選んで部屋へ上がる。部屋に入ると老師に促
されて一人の遊女が衣を脱ぎ起承に抱きつく。気承の一物はここぞと
ばかり漲り、呆気なく女を放心させて自らも果てた。ところが、老師
曰くそれは所詮射之射というもの、好漢まだ不射之射を知らぬと見え
る。老師はもう一人の遊女に向くと、では射というものをお目にかけ
ようかな、と言った。起承はすぐに気がついて言った。しかし、衣は
どうなさる?衣服は?老人は衣服を重ねたままだった。衣?と老人は
笑う。裸で抱き合ううちはまだ射之射じゃ。不射之射には、一物も膣
もいらぬ。
言い終えると、老人は股を割いて面する遊女に向かって腰を前後に
振ると、女はぴくぴくと體を震わせながらよがり声を漏らした。そし
て、その場に倒れ込み、悶絶しながら歓喜の叫び声を上げて気を失っ
た。
起承は慄然とした。今にしてはじめて交合の深淵を覗きえた心地で
あった。
九年の間、起承はこの老名人のもとに留まった。その間いかなる修
業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りてきたとき、人々は起承の顔つきの変わったの
に驚いた。以前の負けず嫌いな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、な
んの表情もない、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変わっている。久
しぶりに旧師の転結を訪ねたとき、しかし、転結はこの顔つきを一見
すると感嘆して叫んだ。これでこそ天下の名人だ。我儕(われら)がご
とき、足下に及ぶものではないと。新宿の風俗界は、天下一の名人と
なって戻って来た起承を迎えて、やがて竿師として活躍するものと期
待した。
ところが、起承はいっこうにその要望に応えようとしない。そのわ
けを訊ねた一人に答えて、起承は懶(ものう)げに言った。至為は為す
なく、至言は言を去り、至交は交えずと。しごく物分りのいい新宿
の都人士はすぐに合点した。女体と交わらぬ性の名人は彼らの誇り
となった。
やがて起承は身を固めた。連れ合いは老師の一人娘であった。その
閨房の中まで覗うことは叶わなかったが、老いてもふたりはまるで幼
子のように仲睦まじく暮らした。ある日、起承がかつての知人のもと
に招かれて行ったところ、主(あるじ)は大勢の娘たちを侍らせて彼を
歓待してくれた。起承が何事か訊ねると、主は、是非百発百中の名人
技をここで見せて欲しいとせがんだ。起承は思い当たらないので、主
に何のことかと尋ねた。主は、客が冗談を言っているとのみ思って、
ニヤリととぼけた笑い方をした。起承は真剣になってふたたび尋ねる。
主は客の眼をじっと見つめて、其方の一物ははて何のために有る?起
承は慌てず、用を足すためにある。更に主は、では奥方とも情を交わ
さずか?起承曰く、情を交わすに體を交えず。主は狼狽を示して吃(
ども)りながら叫んだ。
「ああ、夫子が、――古今無双の性技の名人たる夫子が、交合いを忘
れ果てられたとや?交合うことも、男根の使い途も!」
その後、新宿では、誰もが體を交えず情を交わそうとしたが身につか
ず、すぐに多情を取り戻した。それを伝え聞いた起承は、こう呟いた
という、
「至情は多情に非ず」
そして、
「至福とは多福に非ず」
と。
(おわり)
中島敦 「名人伝」 (青空文庫)