「捩じれた自虐史観」 ②

2013-06-21 11:35:36 | 「捩じれた自虐史観」



      「捩じれた自虐史観」 ②


 明治史を紐解いて詳らかに語るには枚挙に暇がないのでここでは

私の感想だけを記しますが、本来の伝統文化と部分として移植され

た近代文化、明治維新以来われわれはこのアンビバレンスに翻弄さ

れてきた。「和魂洋才」や「脱亜入欧」などという折衷主義はその

表れにほかならない。何れにしろ近代化を急がなければ欧米列強の

植民地にされてしまう。わが国の領土だけはどんなことがあっても

侵されてはならない。彼らの侵略を阻止するには「アジアが一つ」

になって戦うしかない。ところが、頼みの中国でさえもアヘン戦争

に敗れて以来領土は欧米列強の恣(ほしいまま)になり、既にアジア

諸国も易々と彼らの侵略を許してしまっている。しかし、なぜ彼ら

は国家を守るために団結して戦おうとしないのか?こうして、われ

われの西欧文明に対するコンプレックスは、不甲斐ないアジア諸国

に対する不満へと転化する。強い者に媚びる人は弱い者に対して威

張る。つまり、文句さえも言えない強い相手の前では怒りの矛先は

屈折して文句の言える弱い相手へと向かうのだ。もちろん、それは

コンプレックスとは反対の感情だが、しかし、実はそんなものはど

うでもよくて、と言うのも、感情などというのは現実の後を追うも

のだから。たとえば、思い通りになれば嬉しくなり、思い通りにな

らなければ嫌になるのなら、われわれは感情に左右されているので

はなく、現実の成否が感情を左右していることになる。話を元に戻

そう。れわれの関心が、敵わない強い欧米列強から敵う弱いアジア

諸国へと入れ替わったのだ。そして、もはやアジアを恃まずと日清

戦争の火ぶたが切られ、次いで欧米列強に肩を並べんと日露戦争へ

と突き進んでいった。つまり、わが国は負け組のアジア諸国を見放

して、勝ち組の欧米列強と伍する国になることを望んだ。この時、

われわれの西欧世界に対する自虐的感情はアジア世界に対する軽蔑

に転化した。つまり、わが国の国粋主義者たちが隣国を蔑視するの

は、その元を辿れば、西欧近代文明に対するコンプレックス(自虐

的感情)の裏返しである。


                                     (つづく)


「捩じれた自虐史観」③

2013-06-20 02:27:47 | 「捩じれた自虐史観」


       「捩じれた自虐史観」③


 たぶん、こんなことは誰かがすでに書いているとは思いますが、

近代社会とは、科学技術の進歩によって産業を機械化し飛躍的に生

産性を高め、その恩恵は均しく国民に配分される社会だとすれば、

近代化を担うのは当然技術力であり、技術力を高めるには、目的を

共有する人々と情報の共有化が欠かせないが、そういう社会を「国

家」と呼ぶなら、近代社会は「国家」が確立されていなければ生ま

れなかった。つまり、近代化は「国家」意識のない社会には生まれ

ない。「国家」とは「秩序」です。そして、国民とはその秩序を共

有する個人です。わが国が、アジア諸国が尽く欧米列強の植民地に

される中で唯一その支配を免れたのは、唯一「国家」の体裁を保っ

ていたからではないだろうか。侵略者は内紛に乗じて勢力を拡大す

る。近隣諸国が、欧米列強の進出による混乱に乗じて反乱を起こし

たり覇権争いに血眼になって国家の存亡の時でさえも小異にこだわ

り大同団結できなかったのは、国家意識がなかったからではないか。

かつて、孫文は「中国に於いてはただ家族主義、宗族主義あるのみ

で国族主義がない」と言った。今や高度経済成長ただ中の中国では

あるが、その恩恵に与れるのもやはり家族主義、宗族主義に依って

いる。一方で、恩恵に与れないプロレタリアートには決して国族主

義は芽生えない。つまり、「プロレタリアートに国家なし」である。

 話は違う方へ行ってしまいましたが、わが国では、黒船来航以来、

欧米列強によって開国(植民地化)を迫られる差し迫った状況下で、

大名たちによる覇権争いや領地紛争が起らなかったことは徳川幕藩

体制による統一支配の下で国家意識が育まれていたからである。も

ちろん、尊皇派と佐幕派の間に激しい対立があったが、それでも、

諸藩の藩主たちは欧米列強の直接的な干渉を避け(攘夷論)、彼

らに操られることはなかった。そして、国家を危うくしてまで覇権を

競うようなこともなかった。それは誰もが大きな時代の転換を認識

していたからにほかならない。そして、何よりも運が良かったのは

七百年にも及ぶ武家政治の下でも皇室は絶えることなく脈々と代

を継いで、幕府からの大政奉還に応じることができたことが幕府

崩壊後の国権を巡る争いを鎮静させる役割を果たした。もし朝廷

が存在しなければ、たぶん大名たちによる内乱は避けられなかっ

ただろう。そして、近隣諸国が内乱から列強の干渉を受け侵略さ

れたことから、わが国も同じ運命は避けられなかったに違いない。

つまり、アジア諸国が挙って欧米列強の侵略を許した中にあって、

唯一わが国だけがその憂いを被らずに、更に、近代化を成し遂げ

ることができた背景には、近代化に欠かせない「国家」意識が確立

していたからと、「オワコン」の幕府に代わる朝廷が脈々と残されて

いたからではないだろうか。そして、国家意識が備わっているという

ことは、国民の秩序意識が高いということにほかならない。



                                     (つづく)


「コンフェデレーション杯 ザックジャパン対ブラジル戦」

2013-06-17 04:14:21 | 「閑話放題」




  「コンフェデレーション杯 ザックジャパン対ブラジル戦」


 最近のザックジャパンの戦いを観ていて、私は随分戦力が落ちて

るなあ、と思っていたので、いまさら「もしかして」などと期待せ

ずに観ていたので[0―3]で負けても何の感慨もなかったが、ただ、

気になったことは、それにしても肝心な時に日本選手はよくコケる

なあ、と思った。サッカーは足を使うスポーツなのでコケてしまえ

ば何もできない。もちろん、相手選手にコカされるからだが、それ

でも主審はファールを取らないことの方が多かった。世界で活躍す

るトップレベルの選手は、たとえば、ブラジルの選手はチャージさ

れてもまずコケない。そしてコカされた時は大概日本選手にファー

ルが宣告されていた。つまり、ファールに対する認識の違いが際立

っていた。途中からファールと認定されない転倒の数を日本とブラ

ジルで比べるために数えはじめたほどだった。その体力の差は歴

然としていた。競り合いで負けるとなるとマイボールを奪われる前に

パスワークで「かわそう」とする。そんなネガティブな苦し紛れのパス

がどれほどあっただろうか。つまり、パスワークは攻撃力があって始

めて効果を発揮することができるが、ただ「かわす」ためだけのパス

ワークは相手に恐怖感を与えない。今の日本代表に必要なのは相手

のディフェンスと競り勝つ突破力だ。ただ、競り勝つために耐久力を

鍛えろなんて言っても今さらの感が拭えない。たぶん、これまでパス回

しやフェイントばかりに凝って肝心のボールを奪われない体力づくりが

等閑(なおざり)になっていたに違いない。ボールを支配するには相手選

手を「かわすしかない」と思っているのかもしれないが、競り勝って奪わ

れないことの方がはるかに支配率は高い。つまり、足技による華麗なる

フェイントはボールコントロールの一つの奇策でしかない。野球で言うなら、

いくら巧妙にバンドを繋いで塁を進めてもホームに還す前にチェンジにな

ってしまうのだ。日本の選手は誰もがメッシのようなテクニカルプレーを目

指しているようだが、フッキのゴッツイ顔がアップになった時に何故か「弁

慶」を思い出した。すると軽快に走り回る香川眞司はさしずめ「牛若丸」だ。

ただ、京の五条の橋の上とはちがって、地球の裏側のブラジルのピッチ

の上では勝手が違った。ブラジルサッカーはこれまでのテクニカルサッ

カーからパワーとスピード重視にシフトしたのではないかと思った。彼な

ら纏わりつく相手ディフェンダーもボールと一緒にゴールに蹴り込むくらい

のパワーを持っているにちがいない。今や世界のサッカーはテクニカル

重視からパワー&スピードへ転換し始めているのではないだろうか。まず、

スピードとパワーを兼ね備えてないとテクニックが活きてこないからだ。ザ

ックジャパンはブラジルのテクニックよりも、スピードとパワーで負けた。


                                  (おわり)


「捩じれた自虐史観」④

2013-06-16 06:54:08 | 「捩じれた自虐史観」



        「捩じれた自虐史観」④


 「③」で見たように、欧米列強が開国(植民地化)を迫って、近隣

諸国はすでにその植民地支配を受ける中、わが国だけが免れたのは、

ただ孫文などは、日本が結んだ安政条約は不平等条約だったので、

日本も同じように欧米列強の植民地だったと言ってますが、いわゆ

る居留地に住む外国人に対してわが国の法も行政権も及ばなかった

からですが、しかし、それも近隣諸国より先んじて改正(1894年)

させ独立国となった。こうして列強支配を免れたのは、近隣諸国と

比べて、幕藩体制の下で統一支配されていたことが国家意識を芽生

えさせたのではないだろうか。しかし、丸山真男氏の著書「日本政

治思想史研究」によると、ペリーが浦賀沖に現れるまでの徳川幕藩

体制の下で国家意識などというのは生まれなかったと書いている。

では、どうしてわが国だけが列強の植民地支配を免れたることがで

きたのか、それどころか日本はやがて欧米列強に続いて近隣諸国を

植民地化するまでに近代化を成し遂げた。同じ儒教国家である中韓

とわが国はいったい何が違っていたのか?私がそこに拘るのは、そ

の違いこそが対立を生む決定的な違いではないかと思うからです。

ただ、今はまだその結論を得てないのでまた別の機会に考えますが、

しかし、近代化は近代国家の下にしか根付かないし、ところが、

日本だけは伝統文化を棄てて何とか近代化を果たすことができた。

それは日本が近代国家へ転換しうる国家意識を徳川時代に育んで

いたからではないかと思った。

 そして、われわれの西洋文明に対するコンプレックスは、欧米列

強に追い着いたと錯覚して増長し、それまで大陸からの文化に倣っ

ていたわが国は、彼らが抗いもせずに、一応、アヘン戦争は戦った

が近代兵器に圧倒されて諦めてしまった。いとも容易く欧米列強に

侵略される様を見て、尊敬の想いが剥がれ落ちて東洋文化を見限

った。その後、日清、日露戦争を勝利した日本国民は富国強兵を果

たし、背伸びをして「一等国」として振舞おうとするが、欧米列強には

何もかもが借り物の衣装の下の足元の草鞋が見えていた。


                                     (つづく)


「捩じれた自虐史観」⑤

2013-06-13 04:50:54 | 「捩じれた自虐史観」



          「捩じれた自虐史観」⑤


 作家の司馬遼太郎は、学生の時に学徒出陣によって徴兵され満州

の戦車部隊に配属された後、本土決戦のため内地へ呼び戻されて終

戦を迎えた。歴史小説家としての彼は、戦国から明治維新まで、更

には古代中国の歴史までもと幅広く小説の題材を取り上げながら、

自ら体験した戦争だけは書かなかった。そもそも、作家を志したき

っかけは終戦を迎えて、「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれ

たのだろう?」「いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」 と、

やり切れない想いが作家生活の原点にあったにもかかわらず、「昭

和というものを書く気も起こりません」と語り、それは「書いたら

ですね、おそらく一年を待たずして私はおかしくなりそうですね。」

(『昭和という国家』) 確かに、彼が小説で取り上げる人物は個性

的で明るく颯爽とした主人公ばかりだったから、つまり「馬鹿にな

った」日本人を書く気にならなかったのだろう。彼は、日本は日露

戦争に勝ってからおかしくなった、と言ってます。ポーツマス条約

締結後に日比谷公園で開かれた「弱腰外交」を糾弾するための

抗議集会で群衆が暴徒化し焼打ち事件にまで発展しついに戒厳

令まで布かれた。「この群衆こそが日本を誤らせたのではないか

と私は思っています」。それは過去の出来事だとばかりは言って

られないのではないだろうか。


                                  (つづく)