「捩じれた自虐史観」 ②
明治史を紐解いて詳らかに語るには枚挙に暇がないのでここでは
私の感想だけを記しますが、本来の伝統文化と部分として移植され
た近代文化、明治維新以来われわれはこのアンビバレンスに翻弄さ
れてきた。「和魂洋才」や「脱亜入欧」などという折衷主義はその
表れにほかならない。何れにしろ近代化を急がなければ欧米列強の
植民地にされてしまう。わが国の領土だけはどんなことがあっても
侵されてはならない。彼らの侵略を阻止するには「アジアが一つ」
になって戦うしかない。ところが、頼みの中国でさえもアヘン戦争
に敗れて以来領土は欧米列強の恣(ほしいまま)になり、既にアジア
諸国も易々と彼らの侵略を許してしまっている。しかし、なぜ彼ら
は国家を守るために団結して戦おうとしないのか?こうして、われ
われの西欧文明に対するコンプレックスは、不甲斐ないアジア諸国
に対する不満へと転化する。強い者に媚びる人は弱い者に対して威
張る。つまり、文句さえも言えない強い相手の前では怒りの矛先は
屈折して文句の言える弱い相手へと向かうのだ。もちろん、それは
コンプレックスとは反対の感情だが、しかし、実はそんなものはど
うでもよくて、と言うのも、感情などというのは現実の後を追うも
のだから。たとえば、思い通りになれば嬉しくなり、思い通りにな
らなければ嫌になるのなら、われわれは感情に左右されているので
はなく、現実の成否が感情を左右していることになる。話を元に戻
そう。れわれの関心が、敵わない強い欧米列強から敵う弱いアジア
諸国へと入れ替わったのだ。そして、もはやアジアを恃まずと日清
戦争の火ぶたが切られ、次いで欧米列強に肩を並べんと日露戦争へ
と突き進んでいった。つまり、わが国は負け組のアジア諸国を見放
して、勝ち組の欧米列強と伍する国になることを望んだ。この時、
われわれの西欧世界に対する自虐的感情はアジア世界に対する軽蔑
に転化した。つまり、わが国の国粋主義者たちが隣国を蔑視するの
は、その元を辿れば、西欧近代文明に対するコンプレックス(自虐
的感情)の裏返しである。
(つづく)