「無題」 (十七)―⑦

2013-09-19 13:33:49 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



        「無題」


        (十七)―⑦



 わたしは、口からこぼれたものを拾って囲炉裏に捨てながら、

「何も船を棄てて海へ飛び込め、じゃなかった、自然に還れなんて

言うつもりはないさ」

人は意図しない結果から気持ちとは裏腹に思わぬ方に流されてしま

うことがしばしばあるが、わたしは体裁の悪さを繕うために多少ム

キになった。

「ただ、自然環境を無視して生きて行けないと言っているだけだ」

すると、ガカは、

「それは分ってますよ。しかし、経済を無視してやっていけないの

も事実でしょ?」

黙って聴いていたバロックが、

「つまり、どっちも大事で、そのバランスが問題なんとちゃう」

すると、佐藤さんも、

「私もそう思う」

と言った。そして、

「たとえば原発問題にしても廃止か推進かの二者択一ではうまく行

かないと思う」

「ええ」とガカが答えた。佐藤さんは、

「ここに居た人が言ったように原発を止めればきっと経済はメチャ

クチャになってしまう」

「なんだ、聴いてらっしゃったんですか?」

「すみません、廊下で盗み聞きしてました」

ガカは、

「それどころか事故処理に掛かる金や被災者への補償を考えただけ

でもキリがないですよ」

すると、バロックが、

「それじゃあ、原発を再稼働させるしかないと言うのですか?」

「ただ、再稼働させるにしても絶対に事故が起きないという保障が

なければならない」

「そんなのあるわけないでしょ、現に余震だって頻発しているんだ

から」

「やっぱり問題はそれなんですよ」

「それって?」

「原発はメルトダウンが起こると取り返しがつかないんですよ」

わたしは、

「そんなの分ってたことじゃないですか」

「ま、そうなんですけど。ちょっと整理しますと、原発を再稼働さ

せると環境リスクが高まり、停止させると経済リスクが生じる。再

稼働を求める人々は環境リスクを疎かに考え、脱原発を求める人々

は経済リスクを侮る。私は、意見の異なる者同士が互いのリスクを補

い合わないと社会がバラバラになってしまうと思うんですよ」

わたしは痺れが切れて、

「じゃあどうするべ?」

「やっぱり、地震大国の日本では原発は無理かもしれません」


                               (つづく)


「あほリズム」 (333)

2013-09-18 05:17:43 | アフォリズム(箴言)ではありません



         「あほリズム」


       (333)



 わが国の経済成長が著しい頃、つまり反権力運動が全盛の時代に、

仮に今の中国のような国と領土巡って紛争になったとすれば、夢を

信じることができた若者たちは、案外、祖国のために信条を捨て

身を棄てて果敢に戦ったかもしれない。

 それとは反対に、その危機が現実に迫りつつある今日において、

ナショナリズムが声高に叫ばれてはいるが、失われた時代に夢を諦

めてしまった若者たちは、案外、いざとなったら信条を捨て身を翻す

かもしれない。 というのも、人は自分の弱さを隠すために言葉によ

って偽装するからだ。つまり、言葉は行動を保証しない。




「非正規社員に愛社精神なし」

2013-09-18 02:40:19 | 従って、本来の「ブログ」



          「非正規社員に愛社精神なし」


 確か「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ペンダサン著)に書かれてい

たのだと思うが、某国の(著書では実際の国名が書かれていた)使用

人に倉庫番をさせると倉庫の中のものが次々に無くなっていくが、

日本人にさせるとそんなことは起こらない、と日本人のモラルの高

さを評していたが、昨今の非正規従業員(?)らによる「バイトテロ」

を見るに、いよいよ日本人の従業員のモラルも、もちろん悪い意味

でだがグローバルスタンダードに同化し始めたたかと思わざるを得

ない。しかし、これまでは右肩上がりの経済成長の下で、とはいっ

ても随分昔のことになってしまったが、終身雇用に守られ年功序列

によって所得が上がっていく時代が失われると、何のことはない、

日本人の高いモラルというのも実は損得勘定の上で従ったまでのこ

とだったのではないかと疑わざるを得ない。つまり、それぞれが主

体的にそうあるべきだと思ったからではなくて、大樹の陰に身を寄

せることが得策だったからに過ぎなかったのではないか。

 「プロレタリアートに国家なし」、私はこの言葉を、高橋和巳の

エッセイ集「孤立無援の思想」で知ったのだが、誰か著名人の言葉

だと思って調べてみたが少なくともネットには掛からなかった。昨

今は政治家だけにあらず多くの言論人までも喧しく愛国心を煽って

原理主義への回帰を訴えるが、賎しい言い方をすれば、所謂「マッ

クジョブ」で糊口を凌ぐワーキングプアたちとって果たして愛国心

が何らかの安心を与えてくれるのだろうか?かつて経済成長期には

頻りと社員の愛社精神が持て囃されたが、ところが経済成長が停滞

し始めると、途端に企業は生き残るために正社員を減らして使い捨

ての非正規社員を増やした。しかし、彼ら非正規社員が会社の成長

のために身を賭して働くことはないだろう。それどころか将来の夢

さえ描けない仕事、待遇だけでなくマニュアルに決められたことし

かさせてもらえない単純作業から仕事への情熱などというのは疾う

に失せて、辞めることばかり考えている彼らが企業の信用を貶める

ことで待遇への鬱憤を晴らそうとするのにも「三分の理」があるの

かもしれない。

 私はここで敢て彼らの行為を怪しからんと言わないで置こうと思

う。何故なら、彼らはたぶん作業をするにあたって食品衛生の指導

など受けずに、ただマニュアルだけに従った作業を、何故そうしな

ければならないかも分らずに、行っていたに違いない。つまり、彼

らが映像をSNSに流すまでは彼ら自身もその行為が不衛生だと非

難されるとは思わなかったのではないか。ということは、表沙汰に

ならない作業現場では実際はもっと信じられない不衛生な行為が日

常的に行われていたからではないか?図らずも彼らの悪ふざけがそ

の一端を暴露してくれたのではないだろうか。それもひとつの情報

として見れば、衛生のことなど全く意識しない従業員を雇っている

会社の信用が失われたことは、ただ彼らだけの責任だとも言えな

いのではないか。

 さて、一企業の一非正規従業員による「バイトテロ」なら法的処

分で済むかのかもしれないが、格差社会の問題は、たとえば「アラ

ブの春」と呼ばれる民主化運動もその根底にあるのは不公平な格差

社会に対する不満から内乱へと発展した。その後のエジプトにしろ

シリアにしても、もはや民主化運動の域を越えて宗派間の権力争い

にまで拡大している。いまや、いずれの国でも社会を不安定にして

いるのは格差問題である。北一輝は著書『国体論及び純正社会主義』

の中で「生きるとより死に至るまで脱する能わざる永続的飢饉の地

獄は富豪の天国の隣りにて存す」と述べているが、もちろん現在は

当時ほど固定的ではないとはいえ、停滞した格差社会の下で、国家

を見限ったワーキングプアたちがより過激になって「国家テロ」へ

と暴走することだってないとは言えない。非正規社員が増え愛社精

神が廃れたように、愛国心もまた社会格差に応じて意識格差が生じ

るとすれば、某国に習って馬鹿げたスローガンや教育によって愛国

心を洗脳するよりも、政治は、格差社会を是正して「ぢっと手を見

る」人々が国家意識に目覚めるような健全な社会を築く方が早いの

ではないか。そうでなければ、いずれ国家が危うくなるような事態

さえ発生するかもしれない。何故なら「ワーキングプアに国家なし」

だから。


                                  (おわり)




「ケロロ軍曹に間違いないのであります!」

2013-09-15 04:10:00 | 従って、本来の「ブログ」



       「ケロロ軍曹に間違いないのであります!」



 突然ですが、2013年9月6日、NASAは月の無人探査機「LADEE

(ラディー)」を搭載したロケットの打ち上げに成功したのであります。

その打ち上げの瞬間の写真が公開されたのですが、そこになんと空

飛ぶカエルが写っていたのであります。









 これは「ケロロ」軍曹に間違いないのであります。

                               「ケケロ」脱走兵

 CNNニュースはさらに悪乗りして報じてます。


 日本では形式に拘ってニュースの中でとてもこういう遊びはできな

いでしょうね。如何にわれわれがリゴリスティックであるかが窺えます。

否、たぶんマスコミではなく国民意識の方でしょうが。ふざけたってい

いじゃないか。 






「無題」 (十七)―⑧

2013-09-11 06:27:52 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



                 「無題」


                 (十七)―⑧



 個々の生き物が支配されている強い感情は恐怖である。そこで生

き物たちは恐怖から遁れるために群れを求める。生きるとは恐怖か

ら遁れることなのだ。群れは個々が恐怖から遁れるために形作られ

た手段である。群れに身を潜めることで恐怖が共有分散され、そし

て恐怖そのものが対象化され認識、つまり理性がもたらされた。社

会を繋ぐ言葉は叫び声から生まれた。だから認識を共有できない異

質な他者は恐怖をもたらす。他者に対する反発や憎悪やはその元を

辿れば恐怖心に到るに違いない。世界は恐怖によって回っているの

だ。近隣諸国が未だ反日感情を抱くのは過去の植民地支配の屈辱的

な恐怖が甦ってくるからだろう。彼らは過去にわが国から恐怖を与

えられた。それに対してわが国は彼らの恐怖心を取り除く努力をし

てきただろうか。つまり、認識を共有しようとしてきただろうか。

他者との信頼だとか友好だとかいう関係は恐怖の「少ない」関係の

ことである。恐怖を拭えずに信頼など築けない。そもそも生きるという

ことが恐怖や不安から遁れることだとすれば、なんと今やこの世界は

無神経に人々を恐怖に陥れていることだろう。放射能汚染が恐怖で

あることは言を俟たないが、それ以上に恐怖を感じるのは関係者が自

分たちの利権を守るために被害を被る国民とは認識を共有しようとせ

ずに、強権によって原発の再稼働を決めようとしていることだ。たぶん、

原発の廃止は甚大な経済的損失をもたらすのだろうが、それさえもそ

もそも原発が抱えていた問題であったはずだ。少なくとも、未来を失う

かもしれない原発事故の恐怖に怯えながら今を楽して生きるよりも、

今を耐え忍べば未来への憂いが失われることの方が、この国で群れ

て生きるわれわれは、より恐怖から遁れることができるのではないだ

ろうか。

                                   (づづく)