2006年11月5日 TOHOシネマ京都 クリント・イーストウッド監督
折しも一昨日、来日しているイーストウッド監督がテレビに出てこの映画のコメントをしていたのを観た。
「娯楽映画を期待している人はこの映画を観ない方がいい。」
そんな意味の発言を聞いたときは、監督がこの映画で描きたかったもの、はっきり反戦映画であると表明した根本にある、信念のようなものを感じた。この人は歳を重ねるごとにいいものを出してくる。
3年前にサイパンに初めて行った。半分観光気分できれいな海を見たくて出かけたのだが、向こうに着くまで太平洋戦争における激戦地であることを忘れていた。グァム、サイパン、テニアンが陥ちてから日本本土への空襲が激しくなる。さらに、この映画の舞台である硫黄島が陥落すると日本への距離はさらにちぢまりB-29の爆撃は激しさを増すことになる。
映画の中の艦砲射撃をを見ながら、スーサイド・クリフやらバンザイ・クリフといった戦跡の切り立った岩肌に残る、砲弾が撃ち込まれた無数の穴を思い浮かべてた。
映画の中の戦闘シーンのすざましさ、リアルさは「プライベート・ライアン」(スピルバーグ監督、アメリカ映画)を思い起こさせる。
戦争は英雄を必要とする。英雄がいないと戦争を継続できない。英雄を作り出すことによって《国》のために、後に続く兵士と戦費を調達できるのだ。
以前、高橋哲哉の「靖国問題」を読んだ。そこには「靖国神社」の存在理由が分析されている。国家が英霊を祭りあげる必要性があるのだ。その点で、双方を比較すると、上のような事情は、日本もアメリカも同じなのだと思った。
○ ○ ○
前述の番組ではクリント・イーストウッドの監督の代表作として「許されざる者」と「ミリオンダラー・ベイビー」をあげていたが、個人的には「マジソン郡の橋」をあげてほしかった。「許さざる者」は見ていないが、「マジソン郡の橋」で監督としも俳優としても新しい魅力を発見した感じだった。
それにしても前向きで年齢を感じさせない精力的な仕事をする人だ。
「父親たちの星条旗」/「硫黄島からの手紙」-公式サイト
折しも一昨日、来日しているイーストウッド監督がテレビに出てこの映画のコメントをしていたのを観た。
「娯楽映画を期待している人はこの映画を観ない方がいい。」
そんな意味の発言を聞いたときは、監督がこの映画で描きたかったもの、はっきり反戦映画であると表明した根本にある、信念のようなものを感じた。この人は歳を重ねるごとにいいものを出してくる。
3年前にサイパンに初めて行った。半分観光気分できれいな海を見たくて出かけたのだが、向こうに着くまで太平洋戦争における激戦地であることを忘れていた。グァム、サイパン、テニアンが陥ちてから日本本土への空襲が激しくなる。さらに、この映画の舞台である硫黄島が陥落すると日本への距離はさらにちぢまりB-29の爆撃は激しさを増すことになる。
映画の中の艦砲射撃をを見ながら、スーサイド・クリフやらバンザイ・クリフといった戦跡の切り立った岩肌に残る、砲弾が撃ち込まれた無数の穴を思い浮かべてた。
映画の中の戦闘シーンのすざましさ、リアルさは「プライベート・ライアン」(スピルバーグ監督、アメリカ映画)を思い起こさせる。
戦争は英雄を必要とする。英雄がいないと戦争を継続できない。英雄を作り出すことによって《国》のために、後に続く兵士と戦費を調達できるのだ。
以前、高橋哲哉の「靖国問題」を読んだ。そこには「靖国神社」の存在理由が分析されている。国家が英霊を祭りあげる必要性があるのだ。その点で、双方を比較すると、上のような事情は、日本もアメリカも同じなのだと思った。
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前述の番組ではクリント・イーストウッドの監督の代表作として「許されざる者」と「ミリオンダラー・ベイビー」をあげていたが、個人的には「マジソン郡の橋」をあげてほしかった。「許さざる者」は見ていないが、「マジソン郡の橋」で監督としも俳優としても新しい魅力を発見した感じだった。
それにしても前向きで年齢を感じさせない精力的な仕事をする人だ。
「父親たちの星条旗」/「硫黄島からの手紙」-公式サイト
映画で世界や過去の歴史の断片を知ることで、他国に対する意識がだいぶ変わりました。
最近読んだ「隣のアボリジニ」と言う本で、あの平和とばかり思っていたオーストラリアにおいてさえ先進国と言われた国による身勝手な仕打ちがあったことを知りました。
世界各地で侵略が繰り返されてきたことを心に刻んでこれからの世界を生きていかなければと思います。
「プルートで朝食を」や「ベロニカ・ゲリン」「イノセント・ボイス」はまだ観ていないので観てみます。