【 2023年1月8日 ~11日 】
新聞を読んでいたら中村桂子さんの随想が載っていた。『辞書を読んで言葉を楽しむ』という本(辞書)にまつわる話だ。
《辞書は引くもの》と思っていたが、「辞書は本です。読みましょう」と提唱する他の人の著作に触れ、中村さんは以後それを実践して言葉を楽しんでいるという。それを文字通り体現させてくれたのが「新解さん」こと、「新明解辞典」(三省堂)だそうだ。《人格のある、しかもとても魅力的な性格を持つ》辞書の中身の例として挙げられているのが【今朝】や【恋愛】の語釈の説明だ。
『今朝』は「広辞苑」(岩波書店)では『今日の朝』とそっけないのに対し、「新解さん」では『話をしている、その日の朝』と、具体的なイメージが湧くと。
また、『恋愛』では「広辞苑」が『互いに相手をこいしたうこと』とあっさりしているのに対し、「新解さん」は「特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」というふうに、思いがこもっていて、臨場感があるという。
これを、《恋の名指南役の寅さん》が聞いたら、絶対《新解さんの解釈》に軍配を挙げるだろう!
『ぼくだったら絶対、新解さんだな!』と、
首をかしげ目を細めながら語る、寅さんのそんな台詞が聞こえてくるような気がする。
○ ○ ○
少し前から、古くなった辞書に代えて、新しい国語辞書が欲しいと思っていた。書店で物色することはあったが、どれがいいか迷い、買うのをためらっていた。それまで、「辞書なんて、収録語数の違いだけ、どれも大差ないのでは?」という認識だったが、この記事を読んで、個性がかなりあることを知った。同時に1つの辞書を作るのにどれだけ手間暇を掛け苦労するのかということも改めて認識した。
かなり以前に読んだ三浦しをんの「舟を編む」を思い起こした。
どんな言葉を採取するかから始まって、語義の説明をどうするか等々、編集に携わる人々や若い男女の恋を絡め、辞書を作る過程の煩雑さ・膨大な作業時間を要することなど記述されていて、興味深く読んだ記憶がある。
今回、改めて家に置いてあるDVDの『舟を編む』を観てみた。
わかりきっている言葉こそ、改めて問われると別の言葉で言うのが難しい。例えば、【右】という言葉の概念を説明するのに【左の反対側】では駄目だし【箸を持つ側】では人によって違う。それを、映画では『西を向いたとき北に当たる方向』とか『この本を開いたとき、偶数ページのある方・がわ』や『アナログ時計の文字盤をみたとき、1時や5時のある方向』。さらに『10という数字の”0”のある方』等々の語釈が紹介されている。
古いそれまでの国語辞典(三省堂)を開いてみると、『恋愛』は「新解さん」の語釈を簡略化した内容で、『今朝』は「きょうの朝」で、『右』は「この本を開いたとき、愚数ページのある方」と馬締くんが映画の中で言っている「他社のパクリは駄目」を地でいくような「広辞苑」と「新解さん」の折衷のような内容だった。
こうなったら、「新明解辞典」を買うしかない。【衝動買い】もいいところー【これ以上本を買うな】の警告を無視して書店に走り、「新明解辞典」の青版を購入。(皮装の高価版は別にして、赤版と青版の違いも考えないで!)
早速、該当するページをめくってみると、【恋愛】では中村さんの言うとおりの語釈が載っていて、他の2つも、映画の展開と同様の趣旨の説明が載っていた。
そうか、あの映画『もしかしたら「新解さん」のできあがる実際の過程をモデルにしたのかな』と、何か新しい発見をしたような満足感というか、喜びのようなものを感じた。
新聞を読んでいたら中村桂子さんの随想が載っていた。『辞書を読んで言葉を楽しむ』という本(辞書)にまつわる話だ。
《辞書は引くもの》と思っていたが、「辞書は本です。読みましょう」と提唱する他の人の著作に触れ、中村さんは以後それを実践して言葉を楽しんでいるという。それを文字通り体現させてくれたのが「新解さん」こと、「新明解辞典」(三省堂)だそうだ。《人格のある、しかもとても魅力的な性格を持つ》辞書の中身の例として挙げられているのが【今朝】や【恋愛】の語釈の説明だ。
『今朝』は「広辞苑」(岩波書店)では『今日の朝』とそっけないのに対し、「新解さん」では『話をしている、その日の朝』と、具体的なイメージが湧くと。
また、『恋愛』では「広辞苑」が『互いに相手をこいしたうこと』とあっさりしているのに対し、「新解さん」は「特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」というふうに、思いがこもっていて、臨場感があるという。
これを、《恋の名指南役の寅さん》が聞いたら、絶対《新解さんの解釈》に軍配を挙げるだろう!
『ぼくだったら絶対、新解さんだな!』と、
首をかしげ目を細めながら語る、寅さんのそんな台詞が聞こえてくるような気がする。
○ ○ ○
少し前から、古くなった辞書に代えて、新しい国語辞書が欲しいと思っていた。書店で物色することはあったが、どれがいいか迷い、買うのをためらっていた。それまで、「辞書なんて、収録語数の違いだけ、どれも大差ないのでは?」という認識だったが、この記事を読んで、個性がかなりあることを知った。同時に1つの辞書を作るのにどれだけ手間暇を掛け苦労するのかということも改めて認識した。
かなり以前に読んだ三浦しをんの「舟を編む」を思い起こした。
どんな言葉を採取するかから始まって、語義の説明をどうするか等々、編集に携わる人々や若い男女の恋を絡め、辞書を作る過程の煩雑さ・膨大な作業時間を要することなど記述されていて、興味深く読んだ記憶がある。
今回、改めて家に置いてあるDVDの『舟を編む』を観てみた。
わかりきっている言葉こそ、改めて問われると別の言葉で言うのが難しい。例えば、【右】という言葉の概念を説明するのに【左の反対側】では駄目だし【箸を持つ側】では人によって違う。それを、映画では『西を向いたとき北に当たる方向』とか『この本を開いたとき、偶数ページのある方・がわ』や『アナログ時計の文字盤をみたとき、1時や5時のある方向』。さらに『10という数字の”0”のある方』等々の語釈が紹介されている。
古いそれまでの国語辞典(三省堂)を開いてみると、『恋愛』は「新解さん」の語釈を簡略化した内容で、『今朝』は「きょうの朝」で、『右』は「この本を開いたとき、愚数ページのある方」と馬締くんが映画の中で言っている「他社のパクリは駄目」を地でいくような「広辞苑」と「新解さん」の折衷のような内容だった。
こうなったら、「新明解辞典」を買うしかない。【衝動買い】もいいところー【これ以上本を買うな】の警告を無視して書店に走り、「新明解辞典」の青版を購入。(皮装の高価版は別にして、赤版と青版の違いも考えないで!)
早速、該当するページをめくってみると、【恋愛】では中村さんの言うとおりの語釈が載っていて、他の2つも、映画の展開と同様の趣旨の説明が載っていた。
そうか、あの映画『もしかしたら「新解さん」のできあがる実際の過程をモデルにしたのかな』と、何か新しい発見をしたような満足感というか、喜びのようなものを感じた。